、先刻から黙りこくって聞いていたのだった。
迎えに来たに[#「に」に傍点]組の頭常吉のはなし半ばに鍋屋へ到着したので、中途から、発見者たる初太郎自身が後を引き継いで、この一伍一什《いちぶしじゅう》を話したのである。
釘抜藤吉は、それが熟思する時の習癖《くせ》で、ちょこなんと胡坐《あぐら》を組んで眼を開けたり瞑ったりしながら、しきりに畳の毛波《けば》を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》っている。何かまったくほかのことを考えているようなようすだった。勘弁勘次も神妙に口を噤《つぐ》んで、若いだけに殺された姉よりも美しい文字若の顔を、お得意の「勘弁ならねえ」も涸《か》れ果てていやにうっとり眺め入っている。葬式彦だけはけろり[#「けろり」に傍点]閑《かん》とこれだけは片時も離さない屑籠を背にてすりに腰かけてはだけたお美野の裾前を覗き込むように、例の「かんかんのう、きうのれす――」でも低声《こごえ》に唄っているのだろう。小さく、口が動いていた。
人気第一の客稼業である。女将が変な死に方をしたなどと知れ渡って宿泊人を驚かせても面白くないし、客足にもかかわる。そこは気丈夫な文字若がとっさに適宜の采配を揮って、まだ一切厳秘にしてあるのだが、口さがない女中どもの舌だけは制《と》めようがなく、もういい加減拡まったとみえて近所の人々、泊り客などの愕《おどろ》いた顔が、遠くの庭隅、廊下のあちこちに群れ集ってこそこそ[#「こそこそ」に傍点]ささやき合っているのを、に[#「に」に傍点]組の常吉が青竹を持った若い者を引き伴れてものものしく食い止めている。陽はすでに高く母家の屋根から顔を出して、今日も正月正月した、麗かなお江戸の一日であろう。消え残りの朝霧が、霜囲いした松の枝に引っかかっているように思われて、騒然たる河岸のどよめき、畳町、五郎兵衛町あたりを流して行く呼び売りの声々、漂って来る味噌汁の香、すがすがしい朝の風情《たたずまい》のなかに、ここ大鍋のお美野の寝間にだけは、解きようもない不可思議を孕んで不気味な沈黙が、冷たく罩《こ》め渡っていた。
と、この場合、奇抜なことが起った。釘抜藤吉が、大きな欠伸をしたのだ。
「ああうあ、と!」彼は、後頭部を抱いて傍若無人に伸びをしながら、「旦那衆はどうしたい。べらぼうに遅いじゃあねえか。」
「ほんとに、お役人様は、どうなすった
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