いような顔をする。
「まあ、急《せ》くなってことよ。」
 その釘抜のような顔を運んで、藤吉は、ぴょこりと廊下へ降りた。そして、にわかに鋭い眼になって、一方から蝋燭の光の来る、細い廊下の上下を見渡した。
 うしろからだけ光線を浴びた藤吉の影が、障子をいっぱいに埋めて、黒く塗り潰したように見える。藤吉は、二、三歩、障子のほうへ進んでみた。
 光から遠ざかると、それだけ影が大きくなる――そして、それだけ影が薄くなる。茫っと、拡がるのだ。
 と、その藤吉をぼんやり見守っていた彦兵衛の耳に、不思議な音が聞こえて来た。
 どうやら、藤吉が、笑いを抑さえているらしいのである。が、すぐ、
「なあ、彦。」と、振り向いた藤吉は、もう笑ってはいなかった。「おらあ十手渡世が嫌になった――。」
 また始まった! こう親分が、悲観的な口調を洩らすところをみると、さては謎が解けた、と思って、彦兵衛が微笑を噛み殺していると、藤吉は続けて、
「おいらは、あたまがどうかしてらあ。今のいままで、こんなことに気がつかねえたあ、われながら、情なくて、あいそが尽きるじゃあねえか。」
 拍手の音が聞こえて、浮世節が終ったらしく、花
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