「しかし親分、どうして人がいねえで、影だけ見えたんでごわしょう。」
「さあ、そのことよ――。」
「紋之助とおこよは、」彦が部屋を覗いて、「いねえ。どこへ行った――?」
 幸七が答えた。
「この裏に、高座へ出る前に衣裳を直す部屋がありましてね、出の時刻が迫ると、みなそこへはいりますから――呼んで来ましょうか。」
「いや、いい。」藤吉が停めた。
「その化粧部屋へは、廊下を通らずに行かれるんですかい。」
「はい。ここへ下りずに、向うの唐紙をあけるとすぐのところでございます。」
「武右衛門は、高座から来て間もなく、この廊下を通りながら殺られたんだね。」
「へえ。高座を下りる。ここまで来かかる。ほんのちょっとの間のことで。」
「おこよと紋之助さんは、稽古の話に気を取られていて、障子のそとの廊下で武右衛門が倒れるのを知らずにいた――。」
「そりゃあ親分、ちょうど出の代り、梅の家連が高座へ上った時分で、ここは一番お囃《はや》しの鳴物がやかましく聞こえるところだから、ちっとやそっとの騒ぎは耳にはいりませんよ。まして、話に夢中のようだったからね。」
「そりゃあそうだな。こうっと、高座を下りて来る。す
前へ 次へ
全42ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング