誰も、人は見えませんでした。その時、こいつあお笑いになるかもしれねえが、そこの障子に、ひらりと影が映ったのを見たんで――ちょうど普通の大きさの人間の影でございました。踊るように、ちょっと写ってすぐ消えましたが、あっしゃあ誰かと思って近づいてみますと、だれも人はいねえで、この屍骸《しげえ》――武右衛門さんが倒れていたのでございます。酔興《すいきょう》にも程がある。大きなやつが、こんな通り路に寝て、邪魔になるじゃあねえか。おい、武右衛門さん――声を掛けて揺すぶってみたんですが、なんだか様子が変だから、席主の旦那を呼びに木戸へ引っ返したんでございます。」
 藤吉は口を結んで、鼻から息を吹いた。
「そうかい。よくわかった。が、あんまり役にゃあ立ちそうもねえ話だの。」彦兵衛を振りかえって、
「御同役、まあ、ちょっくらこけえらを嗅《け》えでみるとしょうか。」
 そして、ふっと沈黙に落ちて、あたりを見廻した。狭い板廊の両端に、一方は今来たおもての席、他は裏ぐちへのふたつの戸があって、右側は部屋の障子、左側は壁――出るにもはいるにも、その二つの戸のどっちかを通らなければならない。裏のほうで、芸人たちの
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