世話をする男たちの話が、まだ何も知らないらしく、暢気に笑いさざめいて聞こえていた。
 廊下の入口を見返ると、前に言ったように、大きな裸蝋燭がじいじいと燃えつづけて、その黄色い光線が、幅の広い角度を取ってぼんやり部屋の障子を照らし出している。自然に作り出される光の魔術とでも言おうか、細い個所の一方にだけひかりが動いているので、ちょっと不思議に見えるほど、その蝋燭の灯が、壁に、天井に、複雑に交錯しているのだった。これならば、遠くまで、わりにはっきりと影を投げたことであろうと、藤吉は思った。
 彼は、ゆっくり頭をかきながら、
「なあ、藤吉どん。ここんところをもう一度聞こうじゃあねえか。いいか――おまはんが、この客席《おもて》の戸からはいって来る。部屋の障子がすこしあいて、人形太夫の紋之助さんと――女は、何と言ったっけな?」
 いつの間にか、帰って来ていた幸七が、口を入れて、
「おこよさんと言いましてね、紋之助さんの三味線引きでございます。」
「うむ。そのおこよさんと紋之助が話し込んでいて、ここに、今のとおりに武右衛門が死んで倒れていた。他には誰もいなかった――と、こう言いなさるんだね?」
「へえ、さようでございます。その時、この障子に映ってる大きな影を見ましたんで。」
「人がいねえのに、影だけ見えたのか。」
「そうなんで。」
「紋之助さんとおこよは何をしていた。」
「何とも思わねえから、気をつけて見たわけではありませんが、なんでも、操り舞台の仕度をしながら、紋之助さんが何か一生懸命に口真似で話し込んでいました。大方、高座の打ち合わせをしていたのでございましょう。」
「影は、こう、急いでうつったと言いなすったね。」
「へえ。急ぎにも何にも、障子にひらひらと写ったかと思うと、すぐ消えてしまいました。」
「どんな影か、思い出せねえか。」
「どんな影といって――、」出方の藤吉は首すじを撫で撫で、「着物を着て、袴をつけたような、ふくれ返った人間の影でしたが――。」
「ううむ。袴をはいていた、と。」
 藤吉は、不遠慮に欠伸《あくび》をした。

      四

「なに? 袴をはいていた?」幸七が、大きな声で、出方へ、
「おめえ夢でも見たんだろう。誰も、はかまをはいた者なんか、楽屋にいやしねえじゃねえか。」
「戸外から忍び込んだに違えねえ。」
 彦兵衛の前に、出方の藤吉は口を尖らせて、
「しかし、影だけで、人はたしかにいませんでしたよ。」
「そりゃあお前。」藤吉である。
「この武右衛門さんの影じゃあなかったのかな。」
「冗談じゃあねえ。」
 出方の藤吉は、自分の証言を守るために一生懸命になっていた。
「そん時ぁもう、武右衛門さんはこのとおりここに倒れていたんで。」
「じゃあ、その影のことを、もそっと詳しく話してみな。」
「へえ。ようがすとも!――と言ったところで、なにしろとっさの出来事だったんで、どうもぼんやりしたお話で困りやすが、なんですよ親分さん、影はね、傴僂《せむし》のようでしたよ。」
「せむし――?」
「ええ。大きな髪を結って、手に何か持っていやした。」
「何を持っていた。」
「何だか知らねえが、糸のような物を持っているのが見えたんで――。」
 みな黙って、交る代る顔を見合っていた。割れるような拍手が聞こえて来て、つづいてまた唄と三味線がはじまって、しいんとなった。
「無理もねえ。」藤吉は、しずかに、「影じゃあそんなところまでわかるわけはねえからの。ことに、ちょっと間、ちらと眼にうつっただけじゃあ、これは、細けえことは訊くほうが唐変木《とうへんぼく》よなあ。」
「しかし親分、どうして人がいねえで、影だけ見えたんでごわしょう。」
「さあ、そのことよ――。」
「紋之助とおこよは、」彦が部屋を覗いて、「いねえ。どこへ行った――?」
 幸七が答えた。
「この裏に、高座へ出る前に衣裳を直す部屋がありましてね、出の時刻が迫ると、みなそこへはいりますから――呼んで来ましょうか。」
「いや、いい。」藤吉が停めた。
「その化粧部屋へは、廊下を通らずに行かれるんですかい。」
「はい。ここへ下りずに、向うの唐紙をあけるとすぐのところでございます。」
「武右衛門は、高座から来て間もなく、この廊下を通りながら殺られたんだね。」
「へえ。高座を下りる。ここまで来かかる。ほんのちょっとの間のことで。」
「おこよと紋之助さんは、稽古の話に気を取られていて、障子のそとの廊下で武右衛門が倒れるのを知らずにいた――。」
「そりゃあ親分、ちょうど出の代り、梅の家連が高座へ上った時分で、ここは一番お囃《はや》しの鳴物がやかましく聞こえるところだから、ちっとやそっとの騒ぎは耳にはいりませんよ。まして、話に夢中のようだったからね。」
「そりゃあそうだな。こうっと、高座を下りて来る。す
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