んで来た。具足町の葉茶屋徳撰の荷方《にかた》で一昨年の暮れに奥州から出て来た仙太郎という二十二、三の若者だった。桟《さん》へ指を掛けていた藤吉の腕のなかへ、なんのことはない、※[#「毬」の「求」に代えて「鞠のつくり」、第4水準2−78−13]のように彼は転がり込んで来たのだった。急には口もきけないほど、息を弾ませているのが、なにごとかただならぬ事件の突発したことを、ただそれだけで十分に語っていた。半面に白い物の消えかかった顔の色は、戸外の薄明りを受けて、さながら死人のようであった。隙洩る暁の風のためのみならず、さすがの藤吉もぶるっ[#「ぶるっ」に傍点]と一つ身震いを禁じ得なかった。
「朝っぱらからお騒がせ申してすみません。」と腰から取った手拭いで顔を拭きながら、仙太郎が言った。出入り先の徳撰の店でたびたび顔を合しているので、この若者の人普外《ひとなみはず》れて几帳面《きちょうめん》な習癖《くせ》を識っている藤吉は、今その手拭いがいつになく皺だらけなのを見て取って、なぜかちょっと変に思ったのだった。
「誰かと思やあ、仙どんじゃねえか、まあ、落着きなせえ、何ごとが起りましたい?」
「親分、
前へ 次へ
全28ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング