《とむらい》彦兵衛が、愛用の竹籠を背に諏訪《すわ》因幡守様の屋敷前を馬場へかかると、路地や門口を面白ずくに歩き廻っている河原者らしい一隊に出逢った。後になり前になり、聞くともなしにしゃべり散らすのを聞いて行くと今いったような騒ぎ。何のたしにもなるまいが小耳に挾んで来た、藤吉より一足先に帰宅《かえ》っていた彦兵衛は、こう言って伸びをした。
 ふん[#「ふん」に傍点]と鼻で笑った藤吉、そうかとも言わずに退屈そうな手枕、深々と炬燵《こたつ》に潜って、やがて鬱気もなげな高鼾が洩れるばかり――。
「お、親分え、大事だ。勘弁ならねえ。」
 路地の中途から呶鳴って、勘弁勘次が毬のように転げ込んで来たのは、それから一時ほど後だった。
 お糸のあとを慕った勘次、岡崎町の桔梗屋を出で、堀長門から素袍《すおう》橋、采女の馬場へかかったかと思うと、西尾|隠岐《おき》中屋敷へ近い木挽町三丁目のある路地口の素人家《しもたや》、これへお糸がはいるのを見届けてからさり[#「さり」に傍点]気なく前を通ると、お糸の声で、
「婆や、あの人は?」
 と言うのが聞えた。すると内部《なか》から障子が開いて、白髪の老婆が首を出し、
「あら、お糸さま、昨夜お会いなすったばかりなのに、ほほほほ――あの人が今ごろここにおいでなさるもんですかねえ。まあ、お上りなさいましよ。」
 訳識《わけし》り顔の挨拶だ。
 往き過ぎた勘次、四、五軒向うの八里半丸焼きの店へ寄って訊いてみると、老婆の名はおりき、若いころから永らく桔梗屋に奉公していたお糸の乳母だとある。さてこそ独り胸に頷首《うなず》いて、勘次はすこし離れた個所《ところ》に立っておりきの家へ張り込もうと考えたが、見つけられては面白くない、身を隠す塀もがなとあたりを見廻すと、幸いおりき方《かた》の細格子と向い合って西尾お長屋の普請場、雨上りだから仕事は休みで職人もいない。足場をくぐってはいり込んだ勘次、生壁の蔭に潜んでひたすらおりき婆アの戸口を見守った。
「いつまで経っても婆アも娘も出て来ねえ。あっしもつい緩怠《かんたい》しやしてね、何ごころなく眼の前の壁を見たと思いなせえ。」
 坐りざま背後へ撥ねた裾前、二つきちん[#「きちん」に傍点]と並んだ裸の膝小僧へ両手を置いて、勘次はここで声を落した。
 壁と言ったところでほんの粗壁《あらかべ》、竹張の骨へ葦《あし》を渡して土をぶ
前へ 次へ
全16ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング