え佐平次でございます、鋳掛屋の佐平次でございますへえ。」
「犬が見つけたてなあどういうわけですい。」
「へえ。あっしがこの犬を伴れてこの前面《まえ》の往来を通りかかりますてえと――。」
 藤吉はつ[#「つ」に傍点]と手を振って佐平次を黙らせた。
「俺たちが来るまでお前このわたりに何一つ手をつけやしめえの。」
 佐平次は頷首いた。屍体の上へ馬乗りに股がって、藤吉は灯を近づける。
 草加屋伊兵衛は胸に一本の折矢を立てて、板のように硬張《こわば》って死んでいた。傷は一つ、左襟下を貫いているその太短い矢だけだが、夥しい血が雨合羽の上半身と辺りの土や草を染めて、深く心の臓へ徹っていることを語っていた。香いを利くように藤吉が顔を寄せて、矢と傷痕を白眼《にら》んでいると、佐平次は話を続ける。勘次と彦兵衛、右大臣左大臣のように左右に分れて、静かに仏《ほとけ》を見守っていた。
「金春《こんぱる》屋敷の知人《しりええ》んとこで話が持てましてね、あっしが甚右を連れて此町《ここ》を通ったのは四つ過ぎてましたよ。このお山の向っ側まで来るてえと、甚右のやつ、きゃん[#「きゃん」に傍点]と鳴いてここへ飛び込んだきり、呼んでも賺《すか》しても出て来ねえんで――いつにねえこったが変だなあ、と不審ぶって来て見るてえと、この状《ざま》じゃごわせんか。いや、親分さんの前だがあっしも仰天《びっくり》敗亡《はいぼう》しやしてね、係合いにされちゃあ始まらねえから――。」
「お前さん、店は?」
「へえ、この先、明石町の宗十郎店でございます、へえ。――それでその、係合いになっちゃあつまらねえから、不実なようだが見て見ねえふりをすべえ、とあっしゃあこう考えたんでやすが、甚公の野郎が承服しません。どうあってもこの場を動かねえんで――で、あっしも観念しやしてね、甚公は八丁堀によくお邪魔に上って可愛がられているようでございますかち、親分さんをお迎え申して来い、とまあ言い含めて出してやった次第《わけ》なんで――お騒がせして、相済みません、へえ。」
「なんの。よく報《しら》せて下すった。」
「親分。」
 佐平次がきっ[#「きっ」に傍点]となった。藤吉は顔を振り向ける。
「思いきって申し上げますが、」と佐平次は少し逡巡《ためら》って、「あっしが駈けつけた時あまだ息の根が通ってましてね、灯を差し向けると一言はっきり口走りましたよ。」
「おお、な、何と、何と言ったえ。」
「へえ。俺にゃあわかってる、と口早にね、それだけは聞こえましたが――。」
「なに? 俺にゃあわかってる?」
「へえ。俺にゃあわかってる[#「俺にゃあわかってる」に傍点]――して親分、ああして手で何か指さしながらがっくり[#「がっくり」に傍点]なりましたよ。あああ、嫌な物を見ちまいました。」
 なるほど、死人が草の上に延ばした右手人差指の先、そこに畳み提灯がぶら[#「ぶら」に傍点]のまんま抛り出されて、筆太に八百駒《やおこま》と読める。

      三

「弓を射たたあ親分、大時代な殺しでごぜえすの。」
 勘次が口を出した。が、藤吉は答えもしないで、
「矢が、これ、折れてやがる。中ほどからぽっきり[#「ぽっきり」に傍点]――はてな。」と独語《ひとりご》ちながら、その矢をぐい[#「ぐい」に傍点]と引抜いた。わりに短い。と見ていると、矢羽の下に、勧進撚《かんじんより》が結んである。濡れて破けそうなのを丹念に解いて、拡げた。案の定、矢文である。天誅[#「天誅」に傍点]と二字、達者な手だ。
「弓矢と言い、この文句といい、素町人じゃあねえな。」
 親分の肩越しに葬式彦が首を捻った。
「あいさ、いっそ難物だあね。」
 同ずる勘次。藤吉、しきりに髷をがくつかせていた。
 鬼草《おにそう》というのが、今宵人手にかかって非業《ひごう》の死を遂げた草加屋伊兵衛の綽名だった。鬼というくらいだから、その稼業《しょうばい》も人柄もおよそは推量がつこうというもの。草加屋は実に非道を極めた、貧乏人泣かせの高息の金貸しであった。二両三両、五両十両といたるところへ親切ごかしに貸しつけておいては、割高の利息を貪《むさぼ》る。これが草加屋の遣口《やりくち》だった。貸す時の地蔵顔に取り立てる時の閻魔面、一朱一分でも草加屋に廻してもらったが最後、働き人なら爪を擦り切らしても追いつかないし、商人《あきんど》は夜逃げかぶらんこ[#「ぶらんこ」に傍点]がとどの結着《つまり》。まったく、鬼草に痛めつけられている借人は、この界隈だけでも生易しい数ではない、と言う人の噂。
「血も涙もねえ獣でさあ。あっしゃあいつか人助けのためにあの野郎を叩っ殺してやるんだ。いい功徳になるぜ。」
「あん畜生、生かしちゃおけねえ。」
「鬼の眼にも泪と申す。草加屋伊兵衛は鬼でもないわ。豚じゃ、豚じゃ、山
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