引っ込みがつかねえからなあ、はっはっは。ま、お預けとしとこうぜ。」
 甚八は苦笑を洩らしながらあわてて言った。
「ところが、親分、藤吉の親分、こいつあ真正真銘の掘り出しなんですぜ。」
 と彼は大袈裟な表情をして見せた。
「そうか――。」
 と、それでもいくぶん怪しんでいるらしく、藤吉の口尻には薄笑いの皺が消えかかっていた。その機を外すまいとでもするように、藤吉の右頬へあまり切れそうもない剃刀を当てながら、親方甚八は、
「まあお聞きなせえ。」
 と話の端緒《いとぐち》を切り始める。眠るともなく藤吉は眼をつぶっていた。
 孑孑《ぼうふら》の巣のようになっている戸外の天水桶が、障子の海老の髭あたりに、まぶしいほどの水映《みば》えを、来るべき初夏の暑さを予告するかのように青々と写しているのが心ゆたかに眺められた。

      二

 三月三十一日の常例の日には、ほうぼうの町内から多人数の繰り出しがあって、干潟《ひがた》で獲物の奪い合いも気がきくまいというところから、わざと遅れた四月の五日に、日本橋十軒店の人形店の若い連中が、書入時の、五月市《さつきいち》の前祝いにと、仕入れ先のあちこちへも誘
前へ 次へ
全38ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング