いやだ――。」
と剃刀《そり》の刃を合わせていた甚八が、急に何か思いついたように大声を出した。
「親分はあの清水屋の若主人の大痛事を御存じですかえ?」
「清水屋って、あの蔵前の――。」
「さいでげすよ、あの蔵前の人形問屋の――。」
「若主人――と。こうっと、待てよ。」
藤吉は首を捻っていた。
「伝二郎さんてましてね、田之助《たゆう》張《ば》りの、女の子にちやほやされる――。」
「あ。」と、藤吉は小膝を打った。「寄合えで顔だきゃあ見知っているので、まんざら識らねえ仲でもねえのさ。あの人がどうかしたのかい?」
「どうかしたのかえは情ねえぜ、親分。」
と甚八は面白そうににやにや[#「にやにや」に傍点]していた。
「や[#「や」に傍点]にもったいをつけるじゃねえか。いったいその伝二郎さんが何をどうしたってんだい?」
「じつはね、親分、」と甚八は声を潜める。「実あお耳に入れようと思いながら、ついうっかりしてましたのさ。」
「嫌だぜ、親方」と釘抜藤吉は腹から笑いを揺すり上げた。「またいつもの伝で担ぐんじゃねえか。この間のように落ちへ行って狐憑《きつねつ》きの婆あが飛んで出るんじゃあ、こちとら
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