おもうと、枕頭の障子を音もなく開け閉てして、そのまま縁側へ消えてしまった。出がけに伝二郎を返り見て、にっ[#「にっ」に傍点]と笑ったようだった。改めて夜着の下深くに潜って、彼は知っているかぎりの神仏の名を呼ばわっていた。が女が出て行くや否や、がばと跳ね起きて壁の傍へ躙《にじ》り寄った。気のせいかそこだけ少し分厚なように思われるだけで、外観からは何の変異も認められなかった。が、水を浴びたように濡れていたあの女が今の今までいたその畳に、湿り一つないことに気がつくと、きゃっ[#「きゃっ」に傍点]と叫びながら伝二郎は狂気のように床へ飛んで帰った。耳を澄ますと玄内の寝息が安らかに洩れて来るばかり、暁近い寺島村は、それこそ井戸の底のように静寂《せいじゃく》そのもののすがたであった。
朝飯を済ますと同時に、挨拶もそこそこに寮を出て、伝二郎は田圃を隔《へだ》てたほど近い長屋に、寮の所有者河内屋の隠居を叩き起した。思ったより話がはかどらなかった。その家は元八重洲河岸の叶屋のものだったが、ながいこと無人だったのをこの隠居が買い取ったものだとのことで、大須賀玄内殿に期限もなしに貸してあることではあり、かつ
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