ら一つの秘密を保っていたいと言ったような、世の常の養子根性《ようしこんじょう》から伝二郎もこの年齢になって脱しきれなかったのだった。
 これを縁にして、伝二郎はちょくちょく寺島村の玄内の宅へ姿を見せるようになった。碁は双方ともざる[#「ざる」に傍点]の、追いつ追われつの誂《あつら》え向きだったので、三日遇わずにいるとなんとなく物足りないほどの仲となった。玄内はいつも笑顔で伝二郎を迎えてくれた。帰りが晩くなると、自分で提灯を下げて竹屋の渡しあたりまで送ってくることさえ珍しくなかった。彼の博学多才《はくがくたさい》には伝二郎もほとほと敬意を表していた。何一つとして識らないことはないように見受けられた。そのお蔭で伝二郎も何かと知ったかぶりの口がきけるようになって行った。彼のこのにわか物識りは、養父たる大旦那を始め、店の者一統から町内の人たちにまで等しく驚異《きょうい》の種であった。実際このごろでは、歩き方からちょっとした身の態度《こなし》にまで、伝二郎は細心に玄内の真似を務めているらしかった。供も伴れずに、月並みな発句でも案じながら、彼が向島の土手を寺島村へ辿《たど》る日がいつからともなく繁
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