た。昨日今日の見識りに、突っ込んだ身上話はしが[#「しが」に傍点]ない沙汰と、伝二郎の方で遠慮してはいたものの、前身その他の過去《こしかた》の段になると、玄内はあきらかに話題を外らしているようだった。なるほど独身者の侘び住いらしく、三間しかない狭い家の内部《なか》が、荒れ放題に荒れているのさえ、伝二郎には風流《みやび》に床しく眺められた。
 初めての推参に長居は失礼と、幽《かす》かに鳴り渡る浅草寺の鐘の音に、初めて驚いたように伝二郎はそこそこに暇を告げた。
 玄内は別に留めもしなかったが、帰りを送って出た時、
「伝二郎殿、碁はお好きかな?」
 と笑いながら訊《たず》ねた。
「ええ、もう、これ[#「これ」に傍点]のつぎに好きなんでございまして。」
 居間の床の間に、擬《まが》いの応挙《おうきょ》らしい一幅の前に、これだけは見事な碁盤と埋れ木細工の対《つい》の石入れがあったことを思い出しながら、伝二郎はなれなれしく飯をかっこむ真似をして見せた。
「御同様じゃ。」
 と玄内は哄笑《こうしょう》して、
「近いうちに一手御指南に預りたいものじゃ。こちらへ足が向いたらいつでも寄られい。男同士の交り
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