っという間に伝二郎はどうっ[#「どうっ」に傍点]と女にぶつかった。と、踵《くびす》を返して女はばたばた[#「ばたばた」に傍点]と走り出した。口まで出かかった謝罪の言辞《ことば》を引っ込まして、伝二郎は本能的に懐中に紙入れを探った。なかった。たしかに入れておいたはずの古渡唐桟《こわたりとうざん》の財布が影も形もないのである。さては、と思って透《す》かして見ると、酔眼朦朧《すいがんもうろう》たるかれの瞳に写ったのは、泥濘《ぬかるみ》を飛び越えて身軽に逃げて行く女の後姿であった。
「泥棒どろぼう――。」
舌は縺《もつ》れていても声は大きかった。泳ぐような手つきとともに伝二郎は懸命に女の跡を追った。
「泥――泥棒、畜生、太い野郎だ!」
と、それから苦にがしそうに口の中で呟《つぶや》いた。
「へん、野郎とは、こりゃあお門違えか――。」
すると、街路《みち》の向うで二つの黒い影が固まり合って動いているのがおぼろに見え出した。一人は今の女、もう一人は遠眼からもりゅう[#「りゅう」に傍点]としたお侍らしかった。
「他人の懐中物を抜いて走るとは、女ながらも捨ておき難き奴。なれど、見れば将来《さき》
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