に考えた。
「御用筋が忙《せわ》しくて他町の騒動を外にしていた親分もこれじゃあいかさま出張《でば》らにゃなるめえ。ほい来た奴《やっこ》、それ急げ! 三度に一度あ転《こ》けざあなるめえ!」
背中で籠拍子を取る。彦兵衛は腹掛を押えた。その中に、丼の底に、巻紙の文状《もんじょう》と一緒に揺れているのは、耳一つと毛髪《かみのけ》とがくっ[#「くっ」に傍点]ついたたしかにそれは――人間の片頬であった。
二
「仲の町は嘸かし賑うこってげしょう。」
次の間から勘弁勘次が柄になく通《つう》めたい口をきいた。縁に立って、軒に下げた葵《あおい》の懸崖《けんがい》をぼんやり眺めていた釘抜藤吉。
「葵の余徳よ。なあ、新吉原の花魁《おいらん》が揃いの白小袖で繰り出すんだ。慶長五年の今月今日、畏れ多くも東照宮様におかせられ、られ、られ、られ――ちっ、舌が廻らねえや――られては、初めて西御丸へ御入城に相成った。やい、勘、手前なんざあ文字の学がねえから何にも知るめえ、はっはっは。」
「勘弁ならねえが、こちとら無筆が看板さ。」
梯子《はしご》売りの梯子の影が七つ近い陽脚を見せて、裏向うの御小間物金
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