たのだからもちろん酉だ。お久美の十三も嘉永二年の出生で己酉《つちのととり》。磯屋のおりんとお滝は二十五年の同年で天保八年の生れだが、天保八年は――これもまた丁《ひのと》の酉!
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年齢|干支《かんし》九星|早見弁《はやみのべん》。こうだ。
お鈴――文久元年、かのとのとり[#「とり」に傍点]、四緑、木星、柘榴木《じゃくろぼく》。
お久美――嘉永二年、つちのととり[#「とり」に傍点]、五黄、土星、大駅土《だいえきど》
おりんお滝――天保八年、ひのとのとり[#「とり」に傍点]、一白、水星、山中火。
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 ひとしくとり[#「とり」に傍点]で星は土木水を表している。今いっそう詳しくこれを案じてみるに、お鈴は辛酉は総じて種子であって樹木の生々《せいせい》を意味するから四緑[#「緑」に傍点]の柘榴木[#「木」に傍点]とすべて木[#「木」に傍点]で出ている。お久美はつち[#「つち」に傍点]のとの大駅土[#「土」に傍点]とこれも星の土に合っているが、ただ、おりんお滝のみは水星にもかかわらずひ[#「ひ」に傍点]のと山中火[#「火」に傍点]と水を排して反性の火を採っている。これは穏当《おんとう》ではない。おりんお滝は恨むことを知る年齢に達していたから、星の水を藉りて満々と拡ごり恨み、また、納音《のういん》山中火の音と響いては火と化して炎々と燃え盛っているのではあるまいか。土水木各々をその納音で見れば、お久美は大駅土、大く土に駅《とど》まる。
 お鈴は柘榴木、石榴の古木は、挽いて井桁《いげた》に張れば汚物は吸わず水を透ますとか。
 おりんお滝は山中火、山は土の埋《うず》高き形、言い換えれば坤だ。土だ。火はすなわち烈しき心。破り毀《そこ》なう物の陽気盛んなれど、水の配あらばたちまち陰々として衰え、その状さながら恨むに似たりと。
 土と木と水――土中に木があって水がある、いや、水があるところに火がある、激しい遺恨《うらみ》が残っている――土中に柘榴の材《き》が張渡って、水のあるべきところに水がないとは?――井戸、古井戸!
 門から西南の土に古井戸があろう。その底に女の気がする、酉年生れの女の星が飛去り得ずして迷っている!
「家の内には井《いど》の神――おう、惑信!」夕闇のなかで藤吉は小膝を打った。「だが待てよ、あの高札が惑信の本尊じゃあねえかな。と、彼札《あれ》あ誰が建てた? それに、それに、この御呪文は女筆《おんなのて》だぞ。ううむ、恨むか、燃えるか、執念の業火だ、いや、こりゃあいかさま無理もねえて。」
 日北上《ひほくじょう》の極とはいえ、涼風とともに物怪《もののけ》の立つ黄昏時、呼吸するたびに揺れでもするか、薬師縁日の風鈴が早や秋の夜風を偲ばせて、軒の端高く消ぬがにも鳴る。
 置物のように藤吉は動かなかった。心の迷いか五臓の疲れか、人っ子一人いないはずの仏壇の前に当ってざざ[#「ざざ」に傍点]っと畳を擦る音がする。立ち上って覗いた藤吉、
「あっ!」
 と驚いたことのない釘抜もこの時ばかりはその口から怖れと愕きの声を揚げた。無理もあるまい。線香の香の微かに漂い、燈明の燃えきった夕ぐれの部屋、仏壇前の畳に、日向の猫の欠伸《あくび》のように、山の字形に蠢《うごめ》きながら青白く光っているのは、先刻たしかに四尺は高い供壇《そなえだん》へ祭って置いたあの女の頬の肉ではないか。海月《くらげ》みたいに盛り上っては動くその耳を見ると、釘抜形に彎《まが》った藤吉の脚が、まず自ずと顫え出して、気がついた時、本八丁堀を日本橋指して藤吉は転ぶように急いでいた。

      四

 往昔《むかし》まだ吉原が住吉町、和泉町、高砂町、浪花町の一廓にあったころ、親父橋から荒布《あらめ》橋へかけて小舟町三丁目の通りに、晴れの日には雪駄、雨には唐傘と、すべて嫖客の便を計って陰陽の気の物をひさぐ店が櫛比《しっぴ》しているところから江戸も文久と老いてさえ、この辺は俗に照降町と呼ばれていた。
 その照降町は小舟町三丁目に、端物ながらも食通を唸らせる磯屋平兵衛という蒲鉾《かまぼこ》の老舗《しにせ》があった。
 明暦大火のすぐ後、浅草金竜山で、茶飯、豆腐汁、煮締、豆類などを一人前五分ずつで売り出した者があったが、これを奈良茶と言っておおいに重宝し、間もなく江戸中に広まってそのなかでも、駒形の檜物《ひもの》屋、目黒の柏屋、堺町の祇園屋などがことに有名であった。また同じく金竜山から二汁五菜の五匁料理の仕出しも出て、時の嗜好《しこう》に投じてか、ひところは流行を極めたものだったが、この奈良茶や五匁の上所《じょうどころ》へ蒲鉾を納めて名を売ったのが、伊予宇和島から出て来た初代の磯屋平兵衛であった。
 当代の平兵衛は四代目で、先代に嗣子《よつぎ》がなかったとこ
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