の正覚橋の彼方詰《むこうづめ》には寝呆け稲荷という祠《ほこら》があるから、ことによるとあのお艶という女は眷属様《けんぞくさま》のお一人がかりに人体《にんたい》をとってお徒歩《しのび》に出られるのではあるまいかなどと物識《ものし》り顔に並べ立てる者も出て来て、この説はかなりに有力になり、今までき[#「き」に傍点]印だのき[#「き」に傍点]の字だのと呼んでいたものが、急に膝を正してお艶様さまと奉《たてまつ》る始末。なんのことはない、裏京橋の一帯が今日日《きょうび》はお茶漬お艶の話で持切りの形であった。
 お艶が名高くなるにつけ、いっそう困り出したのが亀島町の近江屋であった。
 風に混って粉雪の踊る一月から、鐘に桜花《さくら》の散る弥生《やよい》、青葉若葉の皐月《さつき》も過ぎて鰹の走る梅雨晴れ時、夏に入って夏も老い、九月も今日で十三日という声を聞いては、永いようで短いのが蜉蝣《かげろう》の命と暑さ盛り、戸一重まで秋は湿やかに這い寄っているが、半歳にもあまるこの期間《あいだ》、降っても照っても近江屋の前にお艶の姿を見ない日はなかった。陽もそぼそぼ[#「そぼそぼ」に傍点]と暮方になると、どこか
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