いな
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あれ、よしこの何だえ
お茶漬さらさら」
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 一つ文句のこの小唄、明暮れこれを歌いながら、お艶は今も夜の巷を行く。白じらとした月明りに罩《こ》もって、それはさながら冥府の妓女《うたいめ》の座興のよう――藤吉勘次は思わず顔を見合せた。拳にも倦《あ》きてか、もう縁台の人影もいつとはなしに薄れていた。
 お江戸京橋は亀島町を中心《なか》にして、狂女のお艶が姿を現わしたのはこの年も春の初め、まだ門松が取れたか取れないころだった。鳥追笠を紅緒《べにお》で締めて荒い黄八に緋鹿子《ひがのこ》の猫じゃらしという思い切った扮装《いでたち》も、狂気なりゃこそそれで通って、往きずりの人もち[#「ち」に傍点]と調子の外れた門付《かどづけ》だわいと振り返るまでのこと、当座はたいして物見評判の的にもならずに過ぎたのだったが、ある好奇家《ものずき》がひょい[#「ひょい」に傍点]と笠の下を覗き込んで、「稀代の逸品でげす、拝むだけで眼の保養でげす」などと大仰《おおぎょう》に頭を叩いてからというものは、お艶の名はその唄うお茶漬音頭とともに売り出して、こんな莫迦騒《ばかさ
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