びこんで来たばかりかあなたの口から近江屋へ全資産引渡しの件を交渉《かけあ》ってくれと泣いて頼んで動かないのだから、因業久兵衛、食指むらむら[#「むらむら」に傍点]と動いて悦に入ってしまった。二つ返事で承知《うけが》ってお茶漬を出すとじつによく食べた。その後で手を出すと、どっこい[#「どっこい」に傍点]この方はそう容易くは参らなかった。が、逃げられるほど追いたくなるのがこの道の人情とやら、ことにはなにしろき[#「き」に傍点]の字のこと、まあ急《せ》いては事を仕損じる。気永に待って取締《とっち》めようと、それからというもの、久兵衛は毎晩お艶を引き入れてお茶漬を食わせて口説いてみるが、お艶は近江屋のことを頼む一方、狂気ながらも途端場《どたんば》へ来るとうまくさらり[#「さらり」に傍点]とかい潜るのが例《つね》だった。
「いけねえ。久てき[#「てき」に傍点]まだお預けを食ってやがらあ。」
 神田代地の忍びから帰って来ると、彦兵衛はこう言って舌を出した。鼻の頭を下から擦って勘次は我事のように焦慮《やきもき》していた。
 お艶の身元については二つの論があった。ありゃあお前、番町のさる[#「さる」に
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