越中の下屋敷へ抜けようとする一廓が神田代地、そこにいかにも富限者らしい造作《つくり》があって近所の人は一口に因業御殿《いんごうごてん》と呼んでいるが、これこそ因業家主が通名の大家久兵衛が住宅《すまい》。此家《ここ》へお茶漬お艶が、近江屋を虐めた帰り毎夜のように立廻ることを見極めたのは、たしかに葬式彦兵衛が紙屑買いの拾物《ひろいもの》であった。だから、因業が祟っていまだに独身の五十男久兵衛が、女の狂っているのをいいことにして、それこそお茶漬一杯で釣っておき、明日にも自分が表から乗り込んで行って近江屋の身上を取返してやると言いながらあわ[#「あわ」に傍点]よくばお艶の肉体《からだ》を物にしようと企んでいることは、八丁堀にはとうの昔にわかっていた。この久兵衛とお艶とどういう関係《かかりあい》にあるのか、などと改めて四角張るのは野暮の骨頂で、片方が気違いのことだ、順序も系統もあったものではない。ただ、近江屋攻めに油の乗り出した二月ほど前に、近江屋の門口に現れた時と同じようにお艶のほうからぶらり[#「ぶらり」に傍点]と因業御殿へ舞い込んだというだけのこと。
 有名な美人の狂女がこう思いがけなく飛
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