村の空遠く道灌山の杉が夜の幕《とばり》にこんもり[#「こんもり」に傍点]と――。
 野菊、夏菊、月見草、足にかかる早露を踏みしだいて、二人は黙って歩《ほ》を拾った。
 こうして肩を並べて行くところ、落人《おちゅうど》めいた芝居気に与惣次はいい心持にしんみり[#「しんみり」に傍点]してしまったが、掃部《かもん》へ用達しに行った帰途だとのほか、女は口を緘《とざ》して語らなかった。内気らしいその横顔見れば見るほどぞっ[#「ぞっ」に傍点]とするような美しさに、独身の与惣次、われにもなく身顫いを禁じ得なかった。
 浄正寺門前へ出ていた。
「三川島はこの裏でさあ。」
 与惣次は女を返り見た。影も形もない。今の今までそこにいた女が、掻き消すように失くなったのである。
「おや!」
 何かを落しでもしたように、与惣次は足許を見廻した。が、ぶる[#「ぶる」に傍点]っと一つ身体を振って、
「狐か、悪戯《わるさ》をしやあがる。」
 ともと来た道へ取って返そうとした。その時、霧を通して見るようなほの[#「ほの」に傍点]赤い江戸の夜空に、大砲《おおづつ》のように鳴り渡る遠雷《とおなり》の響を聞いたことだけを与惣次
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