くのが普通だから、自然、痕が外部へ開いていなければならない。それに、強靱な頸部の筋をこうも見事に切って離すには、第二者としての男の力を必要とすることをも彦兵衛はただちに見て取った。いうまでもなく女は何者かの手にかかって落命したものである。とはいえ、辺りにさまで格闘《あらそい》の跡が見えないのが、不思議と言えばたしかに不思議であった。しかし、朝方かけて降りしきったあの雨でそこらに多少の模様がえが行われたとも考えられる。現に、咽喉の切口なぞ真白い肉が貝のように露出《あらわ》れているばかりで、血は綺麗に洗い流されている。
二十歳代を半ば過ぎた女盛りのむっちり[#「むっちり」に傍点]した身体を、黒襟かけた三|条《すじ》縦縞《たてじま》の濃いお納戸《なんど》の糸織に包んで、帯は白茶の博多と黒繻子《くろじゅす》の昼夜《ちゅうや》、伊達に結んだ銀杏返《いちょうがえ》しの根も切れて雨に叩かれた黒髪が顔の半面を覆い、その二、三本を口尻へ含んで遺恨《うらみ》と共に永久《とわ》に噛み締めた糸切歯――どちらかといえば小股の切れ上ったまんざらずぶ[#「ずぶ」に傍点]の堅気でもなさそうなこの女の死顔、はだけた胸
前へ
次へ
全28ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング