」
「いえ、ちょっくら耳打ちでがす。」
腰の豆絞《まめしぼ》りを脱って顔を拭くと、彦兵衛は藤吉の傍へいざり寄った。
「常さん、ま、御免なせえよ。」と、将棋の相手の方へ気軽に手を振った藤吉は、「こうっ、雨の降る日にゃあ、こちとら気が短えんだ。彦、さっさ[#「さっさ」に傍点]と吐き出しねえ。」
右手を屏風にして囲った口許《くちもと》を、藤吉の左鬢下へ持って行くと、後は彦兵衛の咽喉仏《のどぼとけ》が暫時上下に動くばかり――。苗売りの声が舟松町を湊町の方へ近付いてくるのを、勘次は聞くともなしに放心《ぼんやり》聞いていた。
と、藤吉が突然大声を出した。
「繩張りゃあ誰だ?」
「提灯屋でげす。」
彦兵衛も口を離した。
「提灯屋なら亥之吉《いのきち》だろうが、亥之公なら片門前《かたもんぜん》から神明金杉、ずっ[#「ずっ」に傍点]と飛びましては土器町《かわらけちょう》、ほい、こいつあいよいよ勘弁ならねえ。」
と訳も知らずにはしゃぎ始める勘次の差出口を、
「野郎、すっ[#「すっ」に傍点]込んでろい!」と一喝しておいて、藤吉は片膝立てて彦兵衛へ向き直った。
「土地から言やあ提灯屋の持場だ。旦那衆
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