し》であったが腕にだけ不思議な金剛力があって柱の釘をぐい[#「ぐい」に傍点]と引っこ抜くとは江戸中一般の取り沙汰であった。これが彼を釘抜と呼ばしめた、真正《ほんとう》の原因であったかもしれないが、本人の藤吉はその名をひそかに誇りにしているらしく、身内の者どもは藤吉の鳩尾《みぞおち》に松葉のような小さな釘抜の刺青のあることを知っていた。現今《いま》の言葉で言えば、非常に推理力の発達した男で、当時人心を寒からしめた、壱岐殿坂《いきどのざか》の三人殺しや、浅草仲店の片腕事件などを綺麗に洗って名を売り出したばかりか、そのころ江戸中に散っていた大小の目明し岡っ引の連中は、大概一度は藤吉の部屋で釜の下を吹いた覚えのある者ばかりであった。実際、彼等の社会ではそうした経験がなによりの誇りであり、また頭と腕に対する一つの保証でもあった。で、繩張りの厳格な約束にもかかわらず、彼だけはどこの問題へでも無条件で口を出すことが暗黙の裡《うち》に許されていた。が、自分から進んで出て行くようなことは決してなかった。その代り頼まれればいつでも一肌脱いで、寝食を忘れるのが常であった。次から次と方々から難物が持ち込まれた
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