通って来たらしいが、あの方角はここから北に当る。北と言えばさしずめ北廓《なか》だが、手前と銭は敵同士、やっぱり山谷の伯父貴の家でお膳の向うで長談義に痺《しび》れを切らしたとしか思えねえじゃねえか、え、こう、勘。こんな具合にいろいろ見当を立てて見てよ、それを片っ端から毀して行って、おしまいの一つに留めを刺して推量を決めるってのが、お前の前だが、これはこの目明し稼業の骨《こつ》ってもんだぜ。」
 そのころ八丁堀の釘抜藤吉といえば、広い江戸にも二人と肩を並べる者のない凄腕の目明しであった。さる旗本の次男坊と生れた彼は、お定《き》まり通り放蕩に身を持ち崩したあげくの果てが七世までの勘当となり、しばらく土地を離れて雲水の托鉢僧《たくはつそう》としゃれて日本全国津々浦々を放浪していたが、やがてお膝下へ舞い戻って来て、気負いの群から頭を擡《もた》げて今では押しも押されもしない、十手取繩の大親分とまでなっていたのであった。脚が釘抜のように曲っているところから、釘抜藤吉という異名を取っていたが、実際彼の顔のどこかに釘抜のような正確な、執拗《しつよう》な力強さが現れていた。小柄な貧弱な体格の所有主《もちぬ
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