傍点]と戸外《そと》の泥濘《ぬかるみ》へ降り立った。が、出がけにその辺の格子の一つに小さな新しい瑕《きず》があるのを彼は素早く見て取った。
それとなく近所で何か問い合せた後、彼は八丁堀の藤吉の家を指してひたすら道を急いだ。
二
「真っ平御免ねえ。」
がらり[#「がらり」に傍点]と海老床の腰障子を開けた勘次は、そこの敷居近くに釘抜藤吉の姿を見出してわれにもなくほっ[#「ほっ」に傍点]と安心の吐息を洩らした。
「勘、昨夜は山谷の伯父貴のもとで寝泊りか――。」
例によって町内の若い者を相手に朝から将棋盤に向っていた藤吉は勘次の方をちらっ[#「ちらっ」に傍点]と見たなり吐き出すようにこう言った。吉原《なか》で大尽遊びをして来たと景気のいい嘘言《うそ》を吐こうと思った勘次は、これでいささか出鼻を挫かれた形で逡巡《たじたじ》となった。
「どうしてそんなことがお解りですい?」
端折った裾を下ろしながら彼は藤吉の傍へ腰を掛けた。一流の豪快な調子で藤吉は笑った。
「お前の足駄には赤土がついてるじゃねえか。」
と彼は言った。
「して見ると今|道普請《みちぶしん》をしている両国筋を通って来たらしいが、あの方角はここから北に当る。北と言えばさしずめ北廓《なか》だが、手前と銭は敵同士、やっぱり山谷の伯父貴の家でお膳の向うで長談義に痺《しび》れを切らしたとしか思えねえじゃねえか、え、こう、勘。こんな具合にいろいろ見当を立てて見てよ、それを片っ端から毀して行って、おしまいの一つに留めを刺して推量を決めるってのが、お前の前だが、これはこの目明し稼業の骨《こつ》ってもんだぜ。」
そのころ八丁堀の釘抜藤吉といえば、広い江戸にも二人と肩を並べる者のない凄腕の目明しであった。さる旗本の次男坊と生れた彼は、お定《き》まり通り放蕩に身を持ち崩したあげくの果てが七世までの勘当となり、しばらく土地を離れて雲水の托鉢僧《たくはつそう》としゃれて日本全国津々浦々を放浪していたが、やがてお膝下へ舞い戻って来て、気負いの群から頭を擡《もた》げて今では押しも押されもしない、十手取繩の大親分とまでなっていたのであった。脚が釘抜のように曲っているところから、釘抜藤吉という異名を取っていたが、実際彼の顔のどこかに釘抜のような正確な、執拗《しつよう》な力強さが現れていた。小柄な貧弱な体格の所有主《もちぬ
前へ
次へ
全11ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング