に、越前守、はッと答えて、
「御意《ぎょい》にござりまする。昔から茶匠の棚において、一の位をゆずったことのないこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺――この壺あるがゆえに、わずかの禄にもかかわらず、御三家をはじめ、御譜代|外様《とざま》を通じての大大名をも後《しり》えにおさえて、第一の席は、ずっと柳生家の占むるところでござりました」
「この名壺《めいこ》じゃからな、むりもない」
「それほどの壺をまた、柳生ではどうして、弟の源三郎へなどくっつけて、この江戸の司馬十方斎へゆずろうとしたのであろう……解《げ》せぬ」
 と愚楽老人が、首をひねる。
「サ、それは、なんとかして弟を世に出そうという、兄|対馬守《つしまのかみ》の真情でもござりましょうか。弟の源三郎と申すは、剣をとっては稀代の名誉なれど、何分恐ろしい乱暴者で、とかくの噂《うわさ》もあり、末が気づかわれますところから、天下の人間道場たる江戸へ出して、広い世間を見せてやろうとの兄のはからいに相違ござりませぬ。マ、それはそれといたしまして、サテ、宇治では、各大名の茶壺に新茶を詰め終わりますると、これなる蓋をいたし、この蓋の上から、ピッタリと奉書の紙をはりまして、壺の口に封をいたします」
「フム、それは余も存じておる」
「おそれいります。その封をした茶壺を、それぞれ藩へ持ちかえり、藩公の面前において、お抱えのお茶師が封を切り、新茶をおすすめまいらする……これを封切りのお茶事と申しまして、お茶のほうでは非常にやかましい年中行事の一つでございます」
 愚楽老人は、せっかちに、背中の瘤《こぶ》と膝を、いっしょにゆるがせてすすみ出ながら、
「イヤ、そこらのことは、よくわかり申した。が、わからぬことがたったひとつある。このこけ猿も、毎年宇治へ往復して新茶の詰めかえをしたものなら、中に古い地図などがはいっておったら、とうに人眼につかずにはおかぬはず。とっくの昔に誰かが見つけて、もう宝は掘り出されたあとかもしれぬテ。さようではごわせんか、上様」
「そうも考えられるが、さもなければ、その図は、はじめから壺の中ではなく、壺は壺でも他の場所に――」
 言いかける吉宗の言葉を、愚楽が横から折って、
「えらい! さすがは天下の八代様。これなる越前も、愚楽も、まず、そこらのところとにらんでおります」

       二

 これより先。この壺をあけて、中に、あるべき古図のないことを知ったとき、越前守は、一度は驚き、失望もしたが、たちまち、何か思い当たったことがあるらしく、
「ハハア、そうか」
 と、言った……。
 そしてまた。
 愚楽老人も、さっき自分の部屋で、壺の中がからっぽと聞いて、しばらく考えたのち、これも同じように、何か考えがあるとみえて、
「ハハア、そうか」
 とうなずいたが……。
 馬鹿な人間の考えることは、たいがい同じようなものだが、知者の知恵も、また似たようなもの。
 この天下の知恵者が二人まで、ハハア、そうかと、自信ありげにほくそえんだのですから、まだ悲観するのは早い。秘密の地図は、壺のどこかにかくされてあるのだろうけれど。
 これを言いかえれば、柳生家初代の殿様もまた、相当の知恵者だったということになる。
 すると、です。
 今。
 じっと考えていらっしった八代将軍吉宗公、ニッコリ微笑をお洩らしになったかと思うと、
「ハハア、そうか」
 まるで口まねだ。
 と同時に、手にしていた壺をキッと見すえた吉宗、
「この中だな、この蓋の……」
「恐れ入りましてございます」
 越前守と愚楽老人、一度にそこへ平伏した。畳をなめそうに、忠相は口を開いて、
「新茶の封に宇治で貼りました奉書は、封切りの茶事で縁を切りますだけで、蓋の奉書はそのまま残ります。その上へ、翌年また奉書を貼り、そのつぎの年は、またその上へ……年一枚と、上から上へ奉書が貼り重ねられまして、古い茶壺の蓋は、厚さ何分にも達する奉書の層ができておりまする。上様! 御慧眼のとおり、問題の地図は、その奉書のなかに貼りこめられてあるものと察せられまする」
「なるほど、考えたものだナ」
 感心した吉宗は、一刻も早くその秘密の地図を取り出したいものだと、にわかに興奮に駆られるようす。
「誰かある。何か、この紙を剥がすものはないか」
 ヘヤ・ピンではどうで……小姓が顔を出すのを待ちかねて、吉宗は叱りつけるように、
「コレ、何か薄刃のものはないか。小刀でもよい。とく持て」
 やがて小姓の捧げて来た小刀と茶壺の蓋とを、吉宗は愚楽老人へ突きだして、
「爺《じい》、貴様は手先の器用を自慢にしておる。ていねいに剥がしてみろ」
 これは、大任です。
 何しろ、毎年糊で奉書をベッタリ貼りつけて、毎年その上へ上へと貼ってきたのが、何十年、イヤ、百年の余も貼り重なっているのだから、もうスッカリかたまって、一個のかたい物質に変化しつつある。
 しかも、ただ削り落としてしまえばよいのではない。
 一枚一枚、小刀の先で上から順々に剥がすのですから、愚楽老人たいへんな役目を言いつかったものだ。
 初代の柳生が隠したのですから、どうせ下のほうであろうけれど、もし傷つけでもしては、今までの苦心が水の泡。第一、日光御造営を目前にひかえて、柳生一藩、浮かぶ瀬のないことになる……と小刀のさきで蓋の紙をせせくる老人の額には、いつのまにか玉の汗が――。

       三

 めったに緊張したことのない愚楽老人、このときだけは、小刀で蓋の紙を剥がす手が、ワナワナとふるえたといいます。
 それはそうでしょう。
 何しろ……。
 貧乏と剣術をもって天下に鳴る柳生藩に、莫大な財産がかくされてあるとの、諸国潜行の隠密、お庭番の報告を土台に、このたびの日光大修営の建築奉行を柳生対馬守におとすべく吉宗公に進言したのは、そのお庭番の総帥《そうすい》たるこの愚楽老人……今この壺の蓋から埋宝の個所を明記した古図が出てこない日には、愚楽さんの責任問題だ。
 だが、しかし――百年もの長いあいだ、毎年上から上へと、糊と奉書で貼りかため、そいつがうずたかい層をなしているんだから、ちっとやそっとではうまく剥がれっこありません。
 もし小刀の先で傷つけでもしようものなら、元も子もなくなる……。
 上から削るように、紙を剥がしてゆく老人のしわ深い額には、水晶のような汗の玉が――そしてまた、その愚楽の手もとを見守る八代将軍吉宗様と、大岡越前守の手にも、いつのまにか汗が握られているので。
 壺一つを中に、当時天下をおさえた三賢人の吐く息が、刻々熱く、荒らくなる。
 物事の肝どころをツボと言いますが、それは、このこけ猿の茶壺から起こったのです。
「紙というものは……こうしてみると――わりかた……丈夫な――ものとみえる」
 愚楽老人、そう一言ひと言、切って言いながら、心気のすべてを小刀のさきに集めて、一生懸命、
「世辞をかためて浮気でこねて――じゃアねえ、糊でかためて時代がたって……まるで岩のようじゃわい」
 と愚楽、あまりに緊張しすぎた室内の空気を、笑いほごそうとするかのように、そんなことを言った。
 が、その気分の緩和策も、なんの役にもたたない。
 紙はめくり進んで、もう柳生時代のころに達したらしく、糊と紙のあいだにいつのまにか虫がわいたとみえて、模様のような虫食いの跡が見えてきた。それと同時に、息づまるような三人の力の入れ方もいっそうせまって、今はもう、部屋の空気そのものが固化したよう……緊張の爆発点。
 と! そのときでした。
「オヤッ!」
 と、愚楽老人が叫んだのです。そして、手の小刀をほうり出して、
「あった! 出てきた! ホレ、上様、越州、字が書いてある? ソラ、この下の紙に、うっすらと字が見えまするぞ」
「ドレドレ! ホホウ、なるほど、何やら墨の跡がすけて見えるわい」
「御老人、早く、その上の紙をお取りなされ」
「損じてはならぬぞ」
「心得ております。ここが千番に一番の掛け合い――」
 愚楽老人は、紙の端にそっと爪をかけて、静かに、しずかに剥《む》きはじめた。上の奉書が注意深く剥がされるにつれて、下から出てきたのは、何やら文字と地図らしいものの描かれた、一枚の古びた紙!
 こけ猿の壺の秘密は、いま明るみへ出ようとしている。
 何百万、何千万両とも知れない。柳生の埋宝!
 老人の手が、上の紙を剥ぎ終わりました。六つの眼が、凝然とひとつに集まる。
 押しつぶしたような無言ののちに、声に出してその文字を読んだのは、吉宗公であった。
「常々あ○○心驕○て――」

       四

「常々あ○○心|驕《おご》○て湯水のごとく費《つか》い、無きも○○なるは、黄金なり。よって後世一○事ある秋《とき》の用に立てんと、左記の場所へ金八○○両を埋め置くもの也――」
 そこまで読んだ八代公は、紙片から顔をあげて、のぞきこんでいる愚楽と越前守を見まわした。
「ところどころ虫が食っておって、よく読めぬ。わからん個所には字を当てて、判読せねばならぬが」
 横合いから、愚楽老人がスラスラと読んだ。
「常々あれば心|驕《おご》りて湯水のごとく費《つか》い、無きも同然なるは黄金なり。よって後世《こうせい》一|朝《ちょう》事《こと》ある秋《とき》の用に立てんと、左記の場所へ金――サア、これはわからぬ。八百万両やら八千万両やら、それとも八十五両やら、とにかく、八の字のつく大金」
「シテ、その埋ずめある場所は?」
 忠相の問いに、八代公は、その古びた紙を灯にすかして見ながら、
「武蔵国――アア、どうしたらよいか。このとおり虫が食っておってあとは読めぬ」
 愕然として他の二人は、同時に左右から首をさしのべて、
「いや、それはたいへんなことでござります。せっかくここまでこぎつけたのに、肝腎の個所が虫食いとは……?」
「図のほうではわかりませんか」
 文字の下に、小さな地図がついているのだけれど、それはいっそう虫のくった跡がはげしく、ほとんど何が書いてあるかわからない。
 消えた線を、指先でたどっていた吉宗、
「これはハッキリ読めたところで、たいした頼りにはならぬであろう。ほんのその一個所の地図にすぎぬから……ホラ、この、山中の小みちが辻になっておるところに立って、右手を望めば、二本の杉の木があって――あとはどうにも読めぬが、苔むした大いなる捨石《すていし》のところより、左にはいり……とある」
「山の中の小みちが四つに合し、その辻から二本の杉が見えて、捨て石があって……これが武蔵国のどことも知れぬとは、もはや探索の手も切れたも同然」
 暗然たる愚楽老人の言葉に、越前守は、膝をすすめて、
「しかし、埋宝のあることは、事実でござりますな。だが、大さわぎをしたこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺は、ただ、これだけのことであったのか」
 愚楽老人は憂わしげに、
「柳生はどうするでありましょう」
 吉宗公が、
「どうするとは?」
「イエ、さしあたっての日光修営の費用――柳生は、この壺だけを頼りにしておりますのに、武蔵国とだけでは、まるで雲をつかむような話。こうなると、剣にかけては腕達者揃いの柳生藩、苦しまぎれに天下をさわがせねばよいが」
「上様」
 と改まった声で、両手をついたのは、越前守忠相、
「柳生を救うため、また、日光御造営に関して、不祥《ふしょう》な出来事を防ぎますために、ここは上様、一計が必要かと存じますが」
「事、権現様の御廟に関してまいります」
 愚楽老人も、そばから口を添えるのを、聞いていた吉宗公は、ややあって、
「ウム、みなまで言うにはおよばぬ。そのように取りはからえ」
「ハッ。それでは、日光に必要なだけの金額を……」
「そうじゃ、どこかに埋めて――」
「その所在を図に認めて、これなる壺に納め、それとなく伊賀の柳生の手へ送りとどけますことに……」
 御寝の間に謀議は、いつまでも続きます。

       五

「しかし、上様……」
 愚楽老人は何事か思いつめたように、
「ちょっと、その、張りこめてあった地図を拝見――」
「誰が見たとて同じことじ
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