もあけてみました」
「して、紙片は? 埋宝の所在《ありか》を示す古図は?」
たたみかけて、つめよるごとき愚楽老人の顔を、越前守はじっとみつめて、
「中にはござらぬ」
「中にない?――壺の中にない……とすると?」
「サ、そこでござる、御老人。壺の中にないとすれば?」
「壺に物をかくすとすれば、壺の中にきまっておる。その壺の中にないならば、こりゃ――ないのであろう」
「と、拙者も最初は考えましたが……」
「待った!」
愚楽老人、大きな手をひろげて、越前守の言葉をさえぎった。そして、ハタと膝をうった。
「ハハア、そうか。なるほど、そうか――」
二
夜詰めの近侍たちが、お次の間にしりぞいてから、もうよほどになる。上段の間に御寝《ぎょしん》なされた吉宗公は、うつらうつらとして夢路にはいろうとしていた。
と、いくつか間《ま》をへだてた遠くの部屋で、なにか押し問答をしているような、大きな声がする。
上様《うえさま》に取り次いでくれ、いや、お取り次ぎ申すわけにはまいらぬ……そんなことを言い合っているようだ。
はじめは、水の底で風の音を聞くような、ボンヤリした気持でいた将軍吉宗も、あまりその人声がいつまでも続くので、眠りにおちようとしていた意識を呼びもどされた。
むろん、眠りのじゃまになるというほどではない。遠くかすかに、低く伝わってくるのだが、耳についてならないので、吉宗は、枕もとの鈴をふった。
近習の一人が、お夜着の裾はるかの敷居際に、手をついて、
「お召しでございましょうか」
「ウム、愚楽の声がするようだが」
「ハ、お耳にとまって恐れ入ります。愚楽様と、南町奉行大岡越前守様御同道で、夜中《やちゅう》この時ならぬ時刻にお目通り願いいでておりまする。おそば御用、間瀬《ませ》日向守様《ひゅうがのかみさま》が、おことわり申しあげておりますので」
「ナニ、愚楽と越前とが、余に会いたいと申すか」
「壺? こけ猿?」
ハハア、来たな……と思うと、吉宗公は、さっとお夜着をはねのけて、起きあがった。白倫子《しろりんず》に葵《あおい》の地紋を散らしたお寝間着の襟を、かきあわせながら、
「苦しゅうない。両人ともこれへまかり出るように、間瀬にそう申せ」
とこの時はずれの夜中《やちゅう》、御寝所でお眼通りをおおせつける――よほどの大事件に相違ないと、近侍は眼をまるくしてさがってゆく。
しばらくすると、おおいばりの愚楽老人の声が近づいてきて、
「だから、わしは言うたじゃないか。上様のお耳にはいれば、わけなくお眼通りをお許しくださるにきまっておると。何も知らぬお手前らが、中途で邪魔だてするとはけしからん」
御座《ぎょざ》近くまでほとんどどなりちらさんばかりの勢いで来るのは、愚楽老人、いつもの癖が出たとみえる。
上段の間のふすまを左右に開かせて吉宗公はじっと愚楽を見やった。たって、やっとふすまの引き手に頭のとどくほどの愚楽老人と、上背《うわぜい》もたっぷり、小肥りの堂々たる越前守忠相とがならんで、双方すり足でお次の間へはいってくるところは、その珍妙なこと、とうとう八代様をふきださせて、
「ウフフフフフフ……愚楽、そちの抱いておるのは、そりゃ、なんじゃ」
愚楽老人は、大きな壺の箱を、持てあますように前に置いて、すわりながら、
「エヘヘヘヘ、とうとう伊賀のこけ猿が、大岡越前の入手するところとなりまして」
その横に着座した越前守忠相、
「夜中をもかえりみませず、お眼通りを願い出ました無礼、おとがめもなく、かくは直々《じきじき》お言葉をたまわり、ありがたきしあわせに存じまする。いつもながらごきげんうるわしく拝したてまつり、恐悦至極に存じまする」
つつしんで御挨拶申し上げているのに愚楽老人は、そういう儀礼はいっさい抜きで、いきなり、友達かなんぞのように将軍様へ話しかけて、
「どうしてこの壺が、越前の手にはいりましたか、そこらの筋道は、なにとぞおたずねなきよう」
「ホホウ、例の大金の所在を知るこけ猿とやら――どれどれ」
乗り出す吉宗公……愚楽老人はまるで自分が悪戦苦闘ののち、やっと手に入れたような顔つきだ。
三
吉宗公はせきこんで、
「愚楽、越前。お前たちはもうその壺をあけて見たであろうな」
「ハッ」
と越前は平伏して、
「ところが、紙片などは中にはいっておりません――」
言いかけるそばから、愚楽老人は、まるでお風呂場で背中を流しているときのように、気やすに膝をすすめて、
「それが、上様、ふしぎじゃあございませんか。何もはいっていないんで」
吉宗公は腕組みをして、眼をつぶった。
「フウム、はいっておらぬ。スルト、柳生の埋宝というのは、ひとつの伝説……いや、とんでもない作りごとにすぎなかったのかな」
ニヤニヤした愚楽老人、
「上様、おたずね申しあげます」
「ウ? なんじゃ」
「およそ紙きれなどを壺にかくすといたしますれば、まず、どこでございましょうな?」
「何をいう。壺に封じこめる――つまり、壺の中に決まっておるではないか」
「それが、ソノ、なんども申すとおり、はいっておりませんので」
「それならば、はじめからないのであろう」
「サ、そこです。とそう、私も考えましたが、いま一度お考え願えませんでしょうか」
「ウム、わかった! ハハハハハ、わかったぞ」
眼をかがやかした吉宗公は、力をこめて小膝を打ちながら、
「二重底だな?」
越前守と愚楽老人は、チラと眼を見かわす。
沈黙におちると、もう夜のふけわたったことが、錐《きり》で耳を刺すように、しんしんと感じられます。おそば御用、近侍の者たち、ことごとく遠ざけられて、今この御寝《ぎょしん》の間に額を集めているのは、八代将軍吉宗様を中に、天下ごめんの垢すり旗本愚楽さんと、今をときめく南のお奉行大岡忠相の三人のみ。
黒地《くろじ》金蒔絵《きんまきえ》のお燭台の灯が、三つの影法師をひとつに集めて、大きく黒く、畳から壁へかけてゆれ倒している。
一|町奉行《まちぶぎょう》が、いかに重大な事件だからといって、夜間《やかん》将軍と膝をつきあわせて話すということなどは絶対にない……ナンテことは言いッこなし。物には例外というものがある。これがその、最も意外な例外の場合のひとつなので……正史には出ておりませんけど、このときの三人の真剣さは、じっさいたいへんなものでございました。
愚楽老人の眼くばせを受けて、越前守は、壺の風呂敷をとき、古色蒼然たる桐の箱を取り出した。
時代で黒光りがしている。やがてその蓋を取りのぞき、そっと御前に出したのは、すがり[#「すがり」に傍点]という赤の絹紐の網のかかった、これぞ、まぎれもないこけ猿の茶壺……。
多くの人をさわがせ、世に荒波をかきたてたとも見えず、何事も知らぬ顔にヒッソリと静まり返っているところは、さすが大名物《おおめいぶつ》だけに、にくらしいほどのおちつきと、品位。
人に頭をさげさせるだけで、自分の頭をさげたことのない八|代《だい》有徳院《うとくいん》殿も、このとき、このこけ[#「こけ」に傍点]猿に面と向かったときだけは、おのずと頭のさがるのをおぼえたと申し伝えられております。
ウーム、とうなった吉宗様、壺を手近に引きよせて、つくづくとごらんになり、
「りっぱな作《さく》ゆきじゃなあ。品行といい、味わいといい、たいしたものじゃナ」
幾金《いくら》ぐらいだろう……そんな骨董屋みたいなことはおっしゃいません。
四
「あけてくやしき玉手箱――スウッと煙が出て、この吉宗、たちまち其方《そち》のような老人になるやもしれぬぞ」
ごきげんのいいときは、お口の軽い八代様、そんなことをおっしゃって、愚楽へ笑いかけながら、パッと壺の蓋をとった。
何もはいっていない。
もとより、煙も出ない。
拍子抜けのした玉手箱……吉宗公は壺をひっくりかえして、底をポンポンとおたたきになっては、首をかしげてしきりに音を聞いてらっしゃる。縁日で桶を買うようなかっこうだ。底が二重になっているかどうか、それをあらためているのです。
越前守と愚楽は、笑いの眼をかわしたのち、愚楽が、
「どうです、上様。底に種仕掛けはございますまい」
「イヤ、これは降参いたした」
吉宗はそう言って、壺を畳へ置きなおし、
「この壺に秘図が入っておらんとなると、柳生の埋宝それ自身がちとあやしい話じゃな」
「そう……かもしれません」
「かもしれんではないぞ、愚楽。柳生はああいう武弁一方の貧乏藩じゃが、先祖の隠した大金がある。それをそのままにしておいては危険じゃから、日光を当てて吐き出させてしまえ――と、余に向かってそう進言したのは、愚楽、其方《そち》ではないか」
「ヘエ、上様のおっしゃるとおりで」
「ヘエではないぞ。それで、ああして柳生の金魚を死なしたのじゃが、日光をふり当てられた柳生では、一風とやら申す茶師の言《げん》を頼りに、それ以来、死にもの狂いでこれなるこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺の行方をさがし求めてきた……これ、その壺をいまあけてみれば、ただ空気がはいっているだけとは、愚楽、これはすべて貴様の責任だぞ」
むりな理屈だが、楽しみにしていた壺をひらいてみると、何も出てこないので、吉宗公、ちょっと駄々《だだ》をこねはじめたのかもしれない。将軍をはじめ、昔の大名なんてものは、みんな、子供のようなわがまま者が多かった。
あわてるかと思うと、さにあらず、愚楽老人は平然として、
「上様、蓋をまだお持ちでございますな」
ときいた。
なるほど……気がつくと、八代様はさっき蓋をあけたとき取った蓋を、そのまままだ右手に持っていらっしゃる。
「ウム、これが――これがどういたした」
と吉宗は、つくづくその蓋をみつめている。
御存じのとおり、茶壺の蓋は、木をまるくけずったものであります。それに、奉書の紙が、一枚一枚と貼りかためてある。
「別になんの奇もない、ただの茶壺の蓋ではないか」
と吉宗は、それをポンと畳へほうり出した。蓋は、ころころと輪をえがいてころがりながら、越前守の膝先へ来て、ピタリと倒れた。
手にとった忠相は、おそるおそる口を開いて、
「毎年、新茶の候になりますと、諸藩から茶壺を宇治の茶匠へつかわします。茶匠はなかなか権威のありますもので、おあずかり申した諸侯のお茶壺を、それぞれ棚がありまして、それへ飾っておくのでございますが、そのとき……」
と、ひとくさり茶壺の説明をはじめました。
ひっそりとした大奥の夜気に、太い、おちつきはらった越前守の声が、静かな波紋をえがく。吉宗も愚楽も、いつのまにか緊張して、聞き入っています。
宇治《うじ》は茶《ちゃ》どころ
一
越前守は、静かな声でつづけて、
「御存じのとおり、茶壺にはいろいろの焼きがございますが、各大名の壺をあずかりました茶匠においては、禄高、城中の席順に関係なく、壺の善悪《よしあし》によって、棚の順位を決めるのでござります。いかに大藩の茶壺でも、壺そのものが名品でなければ、上位には据えられませぬ。また、小藩の茶壺なりとも、名器でござりますれば、上位を与えられますのが、これが、宇治の茶匠の一つの権威とでも申しましょうか? イヤ、上様の前をはばかりもせず、先刻御承知のことを、かように談義めかしておそれ入りまする」
ひれ伏そうとする忠相を、愚楽老人がそばから、制するような手つきとともに、
「イヤ、話にはおのずと、順序というものがござる、かまわずお続けめされい」
吉宗様も、ニッコリおうなずきになって、
「それで?」
と、うながされる。
「ハッ……それで、各大名は、おのずと壺の順位を争いまして、万金を投じて伝来の茶壺をあがない求めまするありさま。かくして、新茶が詰まりますまで、壺はその宇治の茶匠のもとに、飾られてあるのでございます」
「すると、このこけ猿の茶壺も、柳生藩から毎年、その新茶を入れに宇治の茶匠へつかわされたものであろうかの?」
上様の御下問
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