丹下左膳
日光の巻
林不忘
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)土葬《どそう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|網打尽《もうだじん》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)もぐら[#「もぐら」に傍点]
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土葬《どそう》水葬《すいそう》
一
ふしぎなことがある。
左膳がこの焼け跡へかけつけたとき、いろいろと彼が、火事の模様などをきいた町人風の男があった。
そのほか。
近所の者らしい百姓風や商人体が、焼け跡をとりまいて、ワイワイと言っていたが。
この客人大権現《まろうどだいごんげん》の森を出はずれ、銀のうろこを浮かべたような、さむざむしい三方子川《さんぼうしがわ》をすこし上流にさかのぼったところ、小高い丘のかげに、一軒の物置小屋がある。
近くの農家が、収穫《とりいれ》どきに共同に穀物でも入れておくところらしいが……。
空いっぱいに茜《あかね》の色が流れて、小寒い烏の声が二つ三つ、ななめに夕やけをつっきって啼きわたるころ。
夕方を待っていたかのように、その藁《わら》屋根の小屋に、ポツンと灯がともって、広くもない土間に農具の立てかけてあるのを片づけ、人影がザワザワしている。
「イヤ、これで仕事は成就したも同様じゃ。強いだけで知恵のたらぬ伊賀の暴れン坊、今ごろは、三方子川の水の冷たさをつくづく思い知ったであろうよ、ワッハッハ」
と、その同勢の真ん中、むしろの上にあぐらをかいて、牛のような巨体をゆるがせているのは、思いきや、あの司馬道場の師範代、峰丹波《みねたんば》。
「ほんとうにむごたらしいけれど、敵味方とわかれてみれば、これもしかたがないねえ」
大きな丹波の肩にかくれて、見えなかったが、こう言って溜息をついたのは、お蓮様である。
取りまく不知火《しらぬい》連中の中から、誰かが、
「ムフフ、御後室様はいまだにあの源三郎のことを……」
お蓮様は、さびしそうな笑顔を、その声の来たうす暗いほうへ向けて、
「何を言うんです。剣で殺されるのなら、伊賀の暴れン坊も本望だろうけれど、お前達の中に誰一人、あの源様に歯のたつ者はないものだから、しょうことなしに、おとし穴の水責め……さぞ源さまはおくやしかろうと、わたしはそれを言っているだけさ」
「そうです」
と丹波は、ニヤニヤ笑いながら一同へ、
「お蓮様は武士道の本義から、伊賀の源三に御同情なさっているだけのことだ。よけいな口をたたくものではない」
と、わざとらしいたしなめ顔。
「そこへ、あの丹下左膳という無法者まで、飛びこんできて、頼まれもしないのに穴へ落ちてくれたのだから、当方にとっては、これこそまさに一石二鳥――」
みなは思い思いに語をつづけて、
「もうこれで、問題のすべては片づいたというものだ。今ごろは二人で、穴の中の水底であがいているであろう」
両手で顔をおおったお蓮さまを、ジロリと見やって、
「サア、これで夜中を待って、上からあのおとし穴をうめてしまうだけのことだ」
「何百年か後の世に、江戸の町がのびて、あの辺も町家つづきになり、地ならしでもすることがあれば、昔の三方子川という流れの下から、二つの白骨がだきあって発見さるるであろう、アハハハ」
いい気で話しあっているこの連中を、よく見ると、みなあの焼け跡の近所をウロウロしていた農夫や、町人どもで、あれはすべて司馬道場の弟子の扮装だったのだ。それとなく火事の跡のようすを偵察していたものとみえる。
「サア、酒がきたぞ」
大声とともに、一升徳利をいくつもかかえこんで、このとき、納屋へかけこんできた者がある。
二
見ると、左膳に火事のことなどを話したあの町人である。
酒を買いにいって、いま帰ったところだ。
「サア、おのおの方、これにて祝盃をあげ、深夜を待つといたそう」
と言う彼の口調は、姿に似げなく、侍のことばだ。
これも、司馬道場の一人なのである。
一同は歓声をあげて、そこここにわりあてられた徳利を中心に、いくつとなく車座をつくって飲みはじめる。
いつのまにか、浅黄色の宵闇がしのびよっていた。こころきいた者の点じた蝋燭《ろうそく》の灯が、大勢の影法師をユラユラと壁にもつれさせる。
皆の心がシーンとなると、とたんに、言いあわせたように胸に浮かんでくるのは、あの、自分らが誤って斬り殺し、それを焼け跡へ放置して、源三郎と見せかけた仲間の死骸。
かたわらにころがしておいたのは、名もない茶壺で、ほんとうのこけ猿の茶壺は、とうに峰丹波の手におさめ、本郷の屋敷に安置してある……。
と思うから、丹波は上機嫌だが、その壺が早くもあの門之丞によって盗み出され、又その門之丞が斬りたおされて、壺はすでに左膳のもとへ――。
その左膳の手へうつった壺もお藤姐御のために、通りすがりの屑屋へおはらいものになって。
今は?
どこにあるかわからない。
……とは、峰丹波、知らなかった。
計略が図に当たって、源三郎を罠《わな》へ落としこんだのみならず、何かと邪魔になる丹下左膳まで、飛んで火に入る夏の虫、自分から御丁寧にも、その穴へ飛びこんでくれたのだから、これこそほんとうに一|網打尽《もうだじん》である。
このうえは。
深夜までここにじっとしていて世間の寝しずまるのを待ち、一同で手早く、地面から地下へ通ずるあの三尺ほどの竪坑《たてあな》を埋めてしまえばいい。
そうすれば。
人相も知れないほどに焼けただれた、あの若侍の死骸と、壺を、源三郎とこけ猿ということにして、本郷の道場へ持って帰る。
もうその手はずがすっかりととのって、いま、この納屋の一隅には、白布をきせたその焼死体と、焼けた茶壺とが、うやうやしく置いてあるのだ。
峰丹波、今宵ほど酒のうまいことのなかったのも、むりはない。
狭い物置小屋に、一本蝋燭の灯が、筑紫《つくし》の不知火《しらぬい》とも燃えて、若侍の快談、爆笑……。
さては、真っ赤に染めあがった丹波の笑顔。
だが、その祝酒の真ん中にあって、お蓮様だけは、打ち沈んだ表情《かお》を隠しえなかったのは、道場を乗っ取るためとはいいながら、かわいい男をだまし討ちにした自責の念にかられていたのであろう。
すると――。
この騒ぎのきれ目切れ目に、どこからともなく風に乗って聞こえてくるのは、異様な子供のさけび声。
「父《ちゃん》?……父上《ちちうえ》! 父上!」
一同は、フト鳴りをしずめた。
「まだ吠えておるゾ。かの餓鬼め!」
だれかが歯ぎしりしたとき、ふたたび、悲しそうなチョビ安の声が夜風にただよって――。
「父上! 聞こえないのかい? 父上!」
三
遠くのチョビ安の声に、鳴りをしずめて聞きいっていた不知火の連中は、
「伊賀のやつらは、あの子供をそのままにして行ってしまったとみえるな」
「ウム、いかに連れ去ろうとしても、あの、左膳の落ちた穴のまわりにへばりついておって、どうしても離れようとせんのだ。だいぶ手古摺《てこず》っておったようだが」
「そこへ、町人体に姿をやつした拙者らが、弥次馬顔に出かけていって、斬りあいを聞きつけて役人どもが、出かけてくるところだと言いふらしたら、かかりあいになるのを恐れて、そのまま逃げちっていった。アハハハハハ」
まったく。
高大之進《こうだいのしん》の尚兵館組《しょうへいかんぐみ》と、結城左京《ゆうきさきょう》等の道場立てこもりの一統とは、底も知れない穴へ左膳がおちこんだのをこれ幸いと、泣きさけぶチョビ安をそのままに、そうそう引きあげてしまったのだ。
この物置小屋から出ていった司馬道場の弟子どもが、町人、百姓姿の口々から、役人きたるとさけんだのに驚いて。
また、その左膳のおちた地中に、自分らの探しもとめる主君柳生源三郎が、同じくとじこめられていようとは、夢にも知らずに。
「父上! あがってこられない? 父上!」
と、それからチョビ安は、こう叫びつづけて、穴の周囲を駈けてまわっているうちに。
めっきり長くなった日も、ようやく夕方に近づき、三方子川の川波からたちのぼる薄紫の夕闇。
穴は、ポッカリ地上に口をひらいて、暗黒《やみ》をすいこんでいるばかり……のぞいてよばわっても、なんの答えあらばこそ。
子供の力では、どうすることもできないのだ。
「父《ちゃん》! ああ、どうしたらいいだろうなア」
チョビ安は気がふれたように、地団駄《じだんだ》をふむだけだ。
とやかくするうちに――はや、夜。
[#ここから3字下げ]
「むこうの森の権現さん
ちょいときくから教えておくれ
あたいの父《ちゃん》はどこへ行った……」
[#ここで字下げ終わり]
うらさびしい唄声が、夜風に吹きちらされて、あたりの木立ちへこだまする。
「ほんとに、あたいほど不運な者があるだろうか。産みの父《ちゃん》やおふくろの顔は知らず、遠い伊賀の国の生れだということだけをたよりに、こうして江戸へ出て――」
チョビ安、穴のふちに小さな膝ッ小僧をだいてすわりながら、自分を相手にかきくどく言葉も、いつしか、幼い涙に乱れるのだった。
「こうして江戸へ出て、その父《ちゃん》やおふくろを探していたが、なんの目鼻もつかず、そのうちに、この丹下左膳てエ乞食のお侍さんを、仮りの父上と呼ぶことにはなったものの、その父上も、とうとう穴の中に埋められてしまっちゃア、もぐら[#「もぐら」に傍点]の性でねえかぎり、どうも助かる見込みはあるめえ」
ちょうどチョビ安が、こんな述懐にふけっている最中。
ここをいささか離れた森かげの納屋では、峰丹波の下知で、いよいよ夜中の仕事にとりかかることになった。
一同は二手にわかれた。丹波とお蓮様は数名の者に、源三郎の身がわりの死骸《なきがら》をかつがせて、泣きの涙の体よろしく、ここからただちに本郷妻恋坂の司馬道場へ帰る。
ほかの連中が、小屋にある農具を手に、大急ぎで、あの左膳と源三郎の穴を埋めてしまおうというので。
いのち綱《づな》
一
「ほんとに、おめえみたいに親不孝な者ったら、ありゃアしない。その年になって嫁ももらわず、いくら屑屋《くずや》だからって、親一人子ひとりの母親を、こんな、反古《ほご》やボロッ切れや、古金なんかと同居さしといてサ、自分は平気で暇さえあれァ、そうやって酒ばっかりくらっていやアがる」
ボーッと灯のにじむ油障子の中路地のなかの一軒に、いきなり、こう老婆のののしる声がわいた。
ここはどこ?
と、きくまでもなく。
浅草《あさくさ》竜泉寺《りゅうせんじ》、お江戸名所はトンガリ長屋。
その、とんがり長屋の奥に住む、屑竹《くずたけ》という若い屑屋の家《うち》だ。
母ひとり子ひとりというとおり、いま、こうたんか[#「たんか」に傍点]をきったお兼というお婆さんは、この屑竹の母親なのだ。
六畳一間ほどの家に、およそ人間の知識で考えられるかぎりの、ありとあらゆるガラクタが積まれて、……古紙、雑巾《ぞうきん》にもならない古着、古かもじ、焚きつけになる運命の古机、古文箱。
古いお櫃《ひつ》には、古い足袋《たび》がギッシリつまり、古い空《あ》き樽《だる》の横に、古い張り板が立てかけてある始末。
身の置きどころ、足の踏み立て場もない。
室内のすべてのものには、上に古という字がつくのだ。
お兼婆さんも、まさに、その古の字のつく一人で、古い長火鉢の前に、古い煙管《きせる》を斜に構えて、
「商売に出たら最後、途中で酔っぱらって、三日も四日も家へ寄りつきゃアしない。この極道者めがッ! お母《ふくろ》なんか、鼠に引かれてもかまわないっていうのかい」
この怒号の対象たる屑竹は?
と見ると。
やっと二畳ほどのぞいている古だたみの真ん中に、あおむけにひっくりかえって、酒臭い息、ムニャムニャ言っている。
二、三日前、籠を背負って、
「屑イ、屑イ、お払い物はございやせんか」
と、駒形のほうへ出
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