峰丹波の言うことです。ことには、源三郎とも和を結んだという。
 萩乃が信用したのも、無理ではない。
 峰丹波、わざと供はつれません。つづみの与吉ただひとり。
 まもなく、いかめしい道場の門をあとにした旅ごしらえの三人は、何も知らぬ萩乃を中に、右に丹波、左に与の公。
 多勢《おおぜい》の不知火の弟子どもに送られて、笠《かさ》を振り振り妻恋坂をくだりながら、もう道中気分の与の公は、馬鹿にいい気持になってしまって、
「ねえ峰の殿様、旦那、先生……旅は道づれって言いますけど、正直のところ、野郎ばかりの道中じゃアあんまりドッとしねえが、こうして妻恋小町の萩乃さまを真ん中にはさんでゆくと、どうもハヤ往来の者がみんな振りかえりますぜ。実にどうも萩乃様は、生き弁天でげすからね」
 だまって三歩とは歩かない与の公、
「ねえ、峰の旦那、殿様、イヤサ、先生。こうやってわっちら三人が、ブラリブラリ日光見物に出かけるところは、さぞかし結構な身分と見えやしょうな。きっと知らねえ者が見たら、あっしは人間が粋《いき》にできていやすから、さしずめ大店《おおだな》の若旦那、お嬢様はその許婚。ヘッ、峰の先生は、用人棒に頼まれてきなすった店子の御浪人――そう思うに相違ござんせんぜ」
「たわむれにも、無礼なことを言うやつじゃ。じゃが、まア、よいよい。旅は気散《きさん》じじゃでのう」
 一本道の日光街道。
 足弱を連れて、道ははかどりはしないが、ひと晩とまった翌日は、粕壁から一里で二つや、杉戸《すぎと》。
 あれからかけまして、幸手《さって》の堤。
 と、はるかむこうに、アレ! 豆のように小さな四人の人影が……。

       七

「アッ! 源三郎様だ!」
 と、遠くへ小手《こて》をかざして与吉がさけぶと、それと聞いて萩乃は、今までおくれがちだった脚が、にわかにはやまって……。
 源三郎とすっかり仲なおりができて、彼に頼まれて萩乃を送ってゆくという口前《くちまえ》で、連れだして来たのだから、峰丹波も与吉も、いま狂気のように急ぎだした萩乃を、引きとめることはできません。
 小走りに歩を早める萩乃に、引っぱられるように、しょうことなしに丹波と与吉は、だんだん源三郎の一行に近づいてゆく。
 幸手《さって》の堤の木立ちのかげに立ちどまって、じっと振りかえりながら待っていた源三郎。
 とうとう顔を会わせた伊賀の暴れン坊と、峰丹波。
 両雄――。
 足をとめて、キッと顔を見合わせた丹波の横を、萩乃はすり抜けるように、源三郎へかけ寄って、
「マア、やっと……江戸を出てから今まで、ほんとうに気が気ではございませんでした。でも、丹波と和睦《わぼく》をされたとのこと、これからは道場も平穏、こんなうれしいことはございません」
 源三郎に口をきかれて、この狂言が割れてはたまらぬと、丹波は急いで、
「アいや、種々お話申しあげ、またおわびすべきところは、いかようにもおわび申しあげんと、かくはおあとを追ってまいりたるしだい――」
 と懸命に目くばせするのを、源三郎ははやくもその意をくみとって、
「イヤ、こういうことであろうと存じ、お待ちかたがた、ゆっくりまいった。旅は多勢のほうがにぎやかでよろしい。それでは、ごいっしょに、ブラリブラリとまいるとしようか」
 表面はうちとけても、内心は、すきがありしだいやにわに斬《き》りつけもしかねまじい気組み。
 それは丹波も同じことで、白刃をつつんだ笑顔のうちに談笑しながら、一行七人。
 栗橋《くりはし》、中田、古河……。
 古河は、土井|大炊頭《おおいのかみ》、八万石、江戸より十六里でございます。
 あれから野本、まま田、と進んでゆくと。
 小山《おやま》へ近づいた灌木の茂みのかげから……。
 何者の手すさび?
 爪弾《つまび》きの三味線の音《ね》が流れ出て、
[#ここから3字下げ]
「尺取り虫、虫、
尺取れ寸取れ
足の先から頭まで――」
[#ここで字下げ終わり]
 何者? と言うまでもなく……櫛巻お藤は疲れ休めに、藪《やぶ》かげに足を投げだして、たったひとつの、旅の荷の三味線を取りだし、そう思い出したように口のなかで唄っているそばに。
 大刀|濡《ぬ》れ燕《つばめ》をかたえに引きつけ、大の字なりに草の上に寝ころんでいた丹下左膳。
 枕もとに咲きみだれる秋の七草を、野分が吹いて通る。
 と、突然、その藪原から二、三間はなれた街道に、来かかった旅人の跫音《あしおと》が、乱れ立って、
「おおッ、あの唄声! 尺取り虫の唄だッ? 旦那方、御用心なせえ! 櫛巻の姐御がいるからにゃア、あの丹下左膳てエ化け物侍も、どうやらこの近くにとぐろをまいているにちげえねえ」
 と、頓狂な声をあげるのは、まぎれもなくつづみの与吉。
 とたんに、源三郎の大声で、
「ナニ? 丹下左膳が近くにおると? オイ左膳殿! オーイ、丹下……!」
 なつかしそうな声でよばわりながら、ガサガサと草を分けて、こっちへ来る気配。

       八

 道しるべの立っている四つの角――丹波にとっては、知らず、生命の辻。
 腰から上を穂すすきの波に浮かべて、ぬっと街道へたち現われた丹下左膳を見るが早いか、
「三方子|川尻《かわじり》の、漁師六兵衛の住居《すまい》以来だったナア」
 ニタっと笑って、そうつぶやいた伊賀の暴れん坊、いきなり、右の肩がグイとあがって、白い棒のような光が、細い鏡のごとく陽に光ったと思うと……抜いたのだ。斬りつけたのだ。
 居合抜き……。
「アッ痛《つ》ウ――!」
 ざッくり横腹を割りつけられてうめきながらよろめいたのは、ほかでもない……峰丹波。
「ナ、何をする! これ、源三郎殿、何をなさるる!」
 腕の相違というものは、いたしかたがない。
 足《そく》もひらかず、からだも動かさずに、突如、刀で指さすように横にはらった源三郎の剣を、峰丹波、受けるには受けた。が、胴ッ腹で受けた。これじゃア受けたことにならない。
 与吉は、すでに逃げ腰、左膳につづいて草むらからあらわれた櫛巻お藤をはじめ、源三郎手付きの若侍三人、萩乃などあっけにとられているなかで、伊賀の暴れん坊の凜《りん》たる声。
「いつぞやおあずかりのままの真剣勝負だ。貴公よりもおれよりも、剣腕の上の者が、判定に立ちあうのでなければ勝負はせんと、言いはったが、いまここへ、丹下左膳というあつらえむきの立会人が出て来たからな」
「おのれッ!」
 刻々に細る息であえぎながら、丹波の指先は虫のようにおののいて、いたずらに帯刀の柄《つか》をはうが、もう抜く気力もないところを!
「…………」
 無声の声、無音の音。恐ろしい気合いで、源三郎の振りおろした二の太刀に。
 あわれ丹波! 胴首ところを二つにして、街道の砂塵にまみれた血糊《ちのり》の首が、ガッと小石を噛んだ。秋草に飛ぶ赤黒い血。
「とは言うものの――」
 と伊賀の暴れん坊は、大あくびをかみしめながら、さし出した血刀を部下の一人に、懐紙一|帖《じょう》ですっとぬぐわせつつ、
「その丹下左膳が、おれより上の腕とは、まだきまらぬテ。まず伯仲《はくちゅう》であろうとは思うが、いずれその決着も、つく折りがあろう、ウフフフフ」
「くだらぬ者を斬ったな。それよりゃア畑の大根でも切るほうが、ましだろう。日光へか」
「ウム、兄貴が行っておるでなア。貴様はまた何しに日光へ」
 問われた左膳の一眼は、忘れようとしても忘れることのできない、美しい顔が、そこににっこり[#「にっこり」に傍点]立っているのを認めて、萩乃へ眼で挨拶。
「おうイ! 伊賀の暴れん坊とやら、あんまり荒っぽいこたアしねえがいいぜ。それから丹下の殿様、お藤の姐御、また江戸でお眼にかかることもありやしょう。泰軒先生が言いやしたヨ。君子あやうきに近よらずッてね、ヘッヘッヘ」
 と遠くの街道《みち》からこのとき捨て台詞《ぜりふ》の流れてくるのに、振りかえってみれば。
 逃げ足のはやいのが、このつづみの与吉の性得。もうドンドン江戸のほうへ引っかえしかけて、はやその姿は、わらじの蹴あげる土煙に、消えさってしまった。
 はからずもここに、ふたたび顔を会わせた伊賀の暴れん坊と丹下左膳。
 両雄。
 剣技をきそう烈々たる敵心をつつむに、一見旧友のごとき談笑のうちに、美女二人を加えての一行七人、小山から小金井、下石橋、あれからかけて、やがてのことに大沢、今市と、おいおい日光へ……。

   永遠《えいえん》の疑問符《ぎもんふ》


       一

 一足さきに日光へ着いた泰軒先生とチョビ安、造営奉行所へまともに願い出たところで、作阿弥に会わせてもらえるわけはないから、町の噂、人の口裏を、それとなく聞きだし、つづり合わせて考えると……。
 霧降りの滝の近くの谷に、さきごろから小屋を結んで、誰をも近づけずに、何やら仕事をしている一人の老人があるとのこと。
 それよりも、二人が気になってならない聞きこみというのは、護摩堂の壁とやらへ人柱を塗りこめることになって、もう、その母娘《おやこ》の犠牲《いけにえ》が、どこかの山内《さんない》の秘密の場所に、養われているという。
 人の口に戸を立てることはできない。もうこんなに知れわたって、町の人々は恐ろしそうに、ささやきかわしていた。
 もしかすると、お蓮様とお美夜ちゃんではないかしら?
 そう思うと、チョビ安も泰軒居士も、一刻の猶予もならない。
 といって、どこにその二人がかくまわれているのか、それをたずねでもしようものなら、即座にこっちの命があぶないにきまっている。
 で、まず第一に、作爺さんに会わねばと……こうして今。
 霧降り道からわかれて、急な崖《がけ》を谷底へたどり着いたチョビ安と泰軒先生。
「お爺ちゃん! あたいだよ、安公だよ! 泰軒小父ちゃんもいっしょだよ。江戸からお前をたずねて来たんだ。あけてくんねえ」
 いぶかしそうに戸をくった作爺さんが、顔を出して、
「おお安ッ! これはこれは、泰軒先生も」
「さまざまの話はあととして」
 と泰軒居士は、いつになくあわてぎみに、
「さっそくじゃが、お美夜坊とお蓮はここにたずねてこんかったかな?」
「ナニ、お美夜とお蓮も、この日光へ来ているのじゃと?……ははあ!」
 ポンと平手を打つと同時に、サッと顔色を変えた作阿弥、
「思い当たることがありますわい。母と娘の旅の者を、人柱に捕えたということを聞いたが、さては――」
「サ、われらがうれうるもそのこと。一刻もはやく救い出さねば……と申して、どこにかくされているものやら」
 突然、チョビ安が、うしろの山の上を指さして、
「あッ、たいへんだたいへんだ! 山火事じゃないかしら」
 さけぶ声に、泰軒と作阿弥が振りあおいで見ると、なるほど……日光の町のかなたに当たって、一団の焔が炎々と空をこがしている。
「町はさわぎらしい――ウム! このどさくさにまぎれて探せば、ひょっとすれば、知れぬこともあるまいと思われるが」
「とにかく、一刻をあらそう場合」
 作爺さんは何を思ったか、仕事部屋の板敷を一足とびに、その奥の土間へかけこんだかと思うと、
「これ! 足曳《あしびき》や、われとおらあながいあいだ、ひとつ屋根の下に暮らして、たがいに気心も知り合ったなかだ。今おれの娘と孫娘が、むごたらしく人柱にされようという瀬戸ぎわだ。一つ、存分に働いてくれよなア……」
 と、まるで人にもの言うよう……にわかにくつわ[#「くつわ」に傍点]を取りつけ、裸馬のまま引き出してきたのへ、
「うむ、これは思いつき!」
 ととび乗る泰軒居士、身の軽い老人と子供のことだから、作阿弥とチョビ安を前後にかかえこんで、三人を乗せた名馬足曳は、一路焔を望んで、道なき山道を日光の町へ――。

       二

「おお、かようなところに、小流れがある」
 と、足もとの闇をすかして、源三郎が言った。
 やっとのことで、一行が日光の町の下までたどり着いた夜中。
 眼の前には、真っ黒な山が切り立つようにそびえて、はるか上の断崖のふちに、雑木林にかこまれた一軒家の灯が、何事か
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