るようですけど、私ども母娘《おやこ》は、作阿弥をたずねてまいったもので」
「ソウラ! サクアミが始まった! あはははは、ワッハッハッハ」
 と一同は、腹をかかえて笑いくずれる。なかに一人、ごくものずきなのが、妙なかっこうでお蓮様の前へしゃしゃり出て、
「サクアミ様をおたずねなら、お会わせ申すはわけのないこと。日が暮れますと、あの太郎山の頂上に宵の明星がピカリ、ピカアリと光りまするナ……」
「オイオイ、よせよせ」
「そもそも、この、星が光ると申しますのは、お星様から下界へ向かって、青い糸を投げおろしまするので――サクアミ様はその糸にぶらさがって、スルスルスルッと降《お》りてきましてな。ホラ、あの杉の木のてっぺんへ、毎晩おくだりになりますよ、ヘッヘッヘ」
「よせと言うのに! 本気にされたら、また厄介じゃあないか」
 お蓮様はあっけにとられて、その剽軽《ひょうきん》な男の顔を穴のあくほどみつめている。
 ポカンと口をあけて。
 江戸を離れると、いたるところにお化けが出る――ということを聞いたけれど、どうしてこの日光には、こんな変てこな侍ばかり集まっているのだろう……。
 泣きたくなるような気持で、またションボリと家へはいると、ただ一人つけられている若い女中が背戸口から秋草を取ってきて、床の間に生《い》けています。お蓮様母子をなぐさめようという、やさしい心があるのかもしれない。
 お蓮さまはそのそばへすわって、
「ねえ、なんとかならないのかしら。お前、ひとっ走り造営奉行所へいって、上のほうのお役人様に……ああ、そうだったねえ。お前は唖だったねえ。ええイじれったいッ!」
 娘はニッコリ笑うばかりで、どこ吹く風といったように、活《い》けた秋草をながめては、そこここ葉をはらっている。
 焦慮とも、懊悩《おうのう》とも、いいようのない日がつづく。
 それでいて食事だけは、三度三度二の膳つき。
 たいせつな人柱。
 いざ用に立てるまでに、母娘もボッテリふとらせておこうという肚《はら》かもしれない。これじゃアまるで、市場へ出すのを楽しみに、豚を飼っているようなもの――。
 すると、ここに。
 人情というものは、まことに微妙なものです。
 仇敵《かたき》同士でも、ひとつ屋根の下に起き臥ししていれば、いつしかそこに、情がわく。ことに不具の者ほど、そういった人なつっこい気持は、強いと言います。
 唖の娘……その名を、お梶《かじ》という。
 彼女は。
 このたびの御造営に壁を受け持って、京都稲荷山からはるばる上ってきた伊助という左官頭の妹で、お蓮様づきとしてこの一つ家《や》へ送られるまでは、兄や、手下の左官どもとともに、奉行所につづくお作事部屋にいたのですが。
 唖だから、耳は聞こえないけれども、兄伊助とだけは、千変万化の手真似や表情で、かなり複雑な話ができるのも、これは肉親だから、ふしぎはない。
 ここへ来る前、ある夜兄の伊助が、お梶へ、いろいろと手真似をして、こんどあの護摩堂の西側の壁へ、人柱……それも、母と娘の二人を塗りこめることになった――と、話したことがあるのです。
 で、このお梶《かじ》だけは、お蓮様|母娘《おやこ》の悲しい運命を知っている。

       五

 陸つづきの離れ小島……といったのが、今のお蓮様の生活。
 彼女とお美夜ちゃんと、侍女のお梶とたった三人きり。外部とすっかり遮断されて、まるで島流しにされているようなもの。
 日に日に親しみがます。
 ことに、お美夜ちゃんは。
 外へ遊びに出られない退屈さ。遊びざかりの子が毎日雨にとじこめられているようなもので、朝からお梶を相手に、ままごとやら隠れん坊やら、かあいいはしゃぎ方。
 子供はなじみの早いもので、夜も、眼をこすりこすり枕を持って、お梶の床へゆくくらいですから、お梶もいつしかお美夜ちゃんに、小さい妹のような愛情を感じだしたのも、ふしぎはない。
 唖のお梶、幼い時分からのけ者にされて、暗い、いじけた心になっていたが、はじめてこの天真爛漫なお美夜ちゃんによって、人間的な心の眼をひらかせられた。
 耳が聞こえなくても、美しい人情はわかる。
 口はきけなくても、情愛を伝えるに困りはしない。
 いつしかお梶とお美夜ちゃんはちょっともそばを離れないほど、無二の仲よしとなったのも、奇縁であろう。
「ねえ、お梶。作爺ちゃんのお山のお仕事がすんで、みんなでお江戸へ帰るときには、お前もいっしょに行こうね。チョビ安兄ちゃんという、とてもいい人がお家《うち》に待っているよ」
 何を言っても、お梶はニコニコして、アワワと口をおさえたり、しきりに壁を塗るような手つきをしたり、なんだかサッパリわからないけれど、お美夜ちゃんはおもしろがって、
「まあ、お梶を見ていると、踊りのようだわ。口がきけないんですものねえ、かわいそうに」
 と、お梶の手を取って、お美夜ちゃんもニッコリする。
 そのお梶が、この二、三日、急に、めっきりふさぎこんでいるのは、
「こんなかあいいお美夜ちゃんと、お蓮様を、人柱などにして、生きながら壁のなかへ封じ込めてしまわなければならないのか――!」
 と、親しみがますにつれ、あわれも深まったというのは、これは人情でそうあるべきところ。
 この人柱のことは、いくら極秘にしても、微風のようなささやきが、造営奉行所をとりまくお作事部屋に、つぎからつぎと伝わって、諸職人のあいだには、もう誰知らぬ者もない。
 この唖のお梶さえ、兄の手真似をりっぱに判断して、ちゃんと知っているくらい。
 口のきけない者だから、秘密のもれる恐れは断じてなかろう……というので、選ばれてこの母娘《おやこ》の世話をすることになったのだが。
 片輪だけに情が深く、やさしくされればひと一倍、恩にむくいたいという心のわくことには、係役人は気がつかなかったとみえる。
 はじめお蓮様は、ションボリうなだれてばかりいるお梶を変に思って、頭を指さして顔をしかめてみせたり、お腹《なか》をかかえてうなるやら、いろいろやってきいてみたけれど。
 いいえ! というように、首を振るばかり――頭痛でも腹痛でも、病気でもないという。
 不憫《ふびん》な者だけに、ときどきこうして沈みこむのであろうと、お蓮様とお美夜ちゃんの二人は、ひとしおやさしくいたわる。
 それがまたお梶の身には、火責めにされるよりもつらいので。
 とうとうたまらなくなったお梶、ある夕方、突然、グッとお蓮様のたもとをおさえて……。

       六

 宵の口から、ポツリと落ちだした雨。
 山の天気は変わりやすく、アレ! 雨かしら? と思ううちに、一山ゴウッととどろきわたって、大粒な水滴が、まるで小石のように縁先の笹《ささ》の葉をうち鳴らす。
 沛然《はいぜん》。
 それに雷《らい》さえも加わったものすごさに、お蓮様はあわててたちあがり、
「お美夜や、手を貸してちょうだい。お梶はあんなに、ふさぎこんでばかりいて、このごろは、笑い顔ひとつ見せない。かわいそうだから、使いだてるのも遠慮しましょう。いい子だからお母ちゃんといっしょに、この雨戸をしめましょう」
「ほんとに、お梶はどうしたの? 母ちゃん。今もお台所にすわって、こうやって泣いているわよ。その悲しそうな声ったら……」
 とお美夜ちゃんは、長いたもとで自分の顔をおおって、泣くまねをして見せる。
「サアサ、それよりも早く雨戸を――ホラ、こんなに雨が吹きこんで」
 母娘《おやこ》二人が手を貸し合って、やっと座敷の戸をしめ終わると。
 眼を真っ赤に泣きはらしたお梶が、行燈《あんどん》を持ってはいって来たが、そのまま立ち去るかと思うと、灯《あか》りを部屋のほどよいところに置き……このときだった、お梶がいきなりお蓮様のたもとを握ったのは。
「オヤ、どうしたのだえ、お前は!」
 振りむいたお蓮様は、びっくりした。
 お梶の顔の色といったらない。あおざめた面色《めんしょく》に、眼は血ばしり、頬には、涙の糸とほつれ毛を引き、その毛の先をきゅっと口に噛みしめて、物すごいばかりの形相。
「アラ、気がふれたのかしら、この娘《こ》は!」
 と、お蓮様はギョッとしながら、必死の力をこめたお梶の手に、べったりくずれるように、そこへすわらせられてしまった。
 と、お梶は、あっけにとられてそばに立っていたお美夜ちゃんを、いきなり片手に引き寄せて、痛いほど抱きしめ、
「ムムムムムムムム」
 もの言いたげな風情。
 口のきけぬをもどかしがるありさまに、これは何事か、思いきって言いたいことがあるのだなと、見てとったお蓮様。
 キチンと両手を膝に、すわりなおして、
「なんです」
 という眼顔をしてみせる。
 それにいきおいを得たように、お梶はフラフラと立ちあがって、壁際へ走り寄った。
 そして、両手をひろげて壁の前に、こっち向きに立ちながら、お蓮様とお美夜ちゃんを指さして、ふしぎな泣き声をその口からもらすのだ。
 あなた方お二人は、夢にも知らないだろうが。こうして壁へ塗りこめられて……。
 という意味を示すつもりだろうが、人柱などという複雑なことが、こんな簡単なしぐさひとつで、わかろうはずがない。
 お蓮様はふしぎそうに、お美夜ちゃんをかえり見、
「なんだろうねえ」
「あたし、気味が悪いわ」
 お美夜ちゃんはこわそうに、母のかげへまわる。
 じっさいそれは、妖異な場面であった。唖の娘が、何事か懸命に知らせようとして、渾身《こんしん》の力をこめてさまざまの動作をする室内。行燈の灯《ひ》がお梶の影を、大きく壁に踊らせて。
 戸外《そと》は、地殻《ちかく》も割れんばかりのすさまじい大|暴風雨《あらし》。

       七

 お梶は一生懸命に、身ぶりをつづけて、背中を壁にすりつけたり、壁の前に立って、しきりに土を塗る手つきをするやら……左官の妹だけに、壁屋の手まねは堂にいっている。
 かと思うと、こんどは、お蓮様とお美夜ちゃんを指さして、眼をつぶり、呼吸《いき》をつめて見せるのは、「死ぬ」という意味を表わすつもりだろうが、まるで踊りの手ぶりを見ているようで、こんなことでわかるはずはない。
 お蓮様とお美夜ちゃんは、あっけにとられて見まもるのみ。
 お梶はもどかしそうに、身もだえしていたが、やがて、新しい方法を思いついたと見え、急に、にっこりすると同時に、
「ウウウ――」
 と、異様にうめきながら、母娘《おやこ》の手を取ってグイグイ引き立てる。
 雨中《うちゅう》のすき間から、一瞬間、サッと青白い光が射し込んで、畳の目をくっきり描きだすのは、雷《らい》が、ちょうど頭の上へ来ているらしい。
 戸障子のはためき、屋棟《やむね》のうなり、この小さな家は、今にもくだけ飛びそうである。
 灯影《ほかげ》の暗い室内に、狂気のようにあせり動くお梶の影だけが、大入道のようにゆらいで、なんとも不気味な景色であった。
 唖美人……それは、うつくしい獣を連想させる。
 お美夜ちゃんは、もうすっかりおびえきり、お蓮様も、何ものかにつかれたように、母娘《ふたり》はお梶に手を取られるまま、フラフラと膝を立てて、
「コレ、何をするの、お梶」
「母ちゃん、こわいよウ!」
 うわア、うワア!……というような声を、お梶はつづけざまに発しながら、全身の力をそのかぼそい腕にこめて、母と娘を壁に押しつけた。
 そうしておいて、手早く壁土を塗りこめる手つき。
 これでもわからないか!――と言わぬばかりのもどかしさが、顔いっぱいにあらわれて、お梶の眼は、必死の涙にうるんでいる。
 お蓮様とお美夜ちゃんは、白痴の相手をして遊んでいるような、気恥ずかしいようすで、されるとおりになって壁の前に立ちならんでいたが、お梶がいつまでも、左官のしぐさを繰り返すだけなので、お蓮様ははじめて、オヤ! これは変だ。何か重大な意味があるのでは……。
 と、思ったとき!
 フと胸をかすめたのは、遠い子供のころ、乳母か誰かに聞いたことのある、あの、「もの言はじ、父は長柄の……」の人柱のこと!
 大きな土木工事には、土の神、木の神
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