ござろう。誰にことわって、ここへはいってこられた!」
それは、相手が誰かということも忘れたらしい、芸術心《たくみごころ》のほか何ものもない、阿修羅のようなものすごい形相であった。
「最後の鑿《のみ》を打つまでは、人に見せぬというのが、わしの心願じゃ。この山奥へこもっておるのもそのため。ごぞんじであろう」
この剣幕に、対馬守もたじたじとして、
「いや、其方《そち》をわずらわしたその馬像《うまぞう》を、どこへすえるか、場所が決まったによって、ついては、もうどのくらいできたか、ちょっと見とうなってナ、つい……」
主水正が、前へ出て、
「コレコレ! 作阿弥どの。言葉が過ぎようぞ。芸熱心はよいが、殿のおん前もわきまえず、あまり仕事に凝《こ》って、乱心でもされたか」
「どこへ置こうと、そんなことはわしの知ったことではない。早々出て行ってもらいたい」
「イヤ、許せ、許せ」
対馬守は、かえってその一本気の工匠気質《こうしょうかたぎ》に、おもしろそうに眼を細めて、
「護摩堂の守護《まもり》として、長くあの前へ飾りおくことに決めたぞ、作阿弥」
殿のお言葉を、主水正が受けついで、
「作阿弥どの。これには深いわけのあることなのじゃ。どういうものか、いつの御造営にも、あの護摩堂の壁がいちばん先にいたんで、たちまち落ちてならぬ。で、それに犠牲《にえ》をささげて、壁のたたりを納めるこころと、かねては、この御修覆の儀の事なく終わるを祈念されて、あの護摩堂の壁へ、母と子と二人の人柱を塗りこめることになったのじゃ」
と聞いたときに、何やら作阿弥は、急に、不安な気もちがこみ上げてならなかった。
いわゆる、胸騒ぎ……。
「人柱を? 母と子の――」
「うむ。そこで、その母子《おやこ》なきがらをのむ壁を、永遠に守り、かつ、見はるために、千里をゆく其方《そち》の駒《こま》を、あれなる護摩堂の前にすえようと一決したのじゃ。任は重いぞ、作阿弥! 母と娘のたましいをしずめる、気高き神馬《しんめ》を彫りあげてくれい」
なぜか作阿弥は、気もそぞろの体《てい》で、
「そういたしますと、そ、その、母娘《おやこ》の人柱というのは、もうきまりましたので」
「客分として、大切にもてなしてあります。本人たちは、人柱などとは夢にも知らぬ。わしもまだ会いはしませぬが……」
と、主水正が答えた。
竹筒《たけづつ》
一
田母沢《たもざわ》の橋を渡ってゆくと、左のほうに、大日堂《だいにちどう》。
荒沢《あらざわ》の橋の手前から、道を右にとって登ってゆくと、裏見の滝に出ます。
この滝道の途中に、雑木林のなかへ折れこんでゆく小みちがありますが、何も知らぬ近処《きんじょ》の人たちなどが、この道をはいってゆこうとすると、
かたわらの草むらから、ぬっと二、三人の人影が立ちあがって、
「コラコラッ、いずこへまいる」
お百姓などは、腰をかがめて、
「へえ、裏見の谷へ、草を刈りにまいりますので」
「いかん! この道を通すことはあいならん」
二、三人が口をそろえて、
「名主よりお触れ書がまわっておるであろうが。さては貴様、無筆だな。イヤ、無筆なら無筆で、読み聞かせられておるはず」
「この道は通行禁止じゃ。この付近へ立ち寄ってはならぬぞ」
きびしく叱りつけられて、追い返されてしまう。
とんぼつりの子供など、まれに看視の眼をまぎれて、この林間の小みちをかなり奥まで迷いこんでゆくと……。
むこうのこんもりした木立ちのかげにわらぶきの屋根が見える。ひっそりとして、人の住んでいる気配もない。
が、この屋根の見えるところまで近づくのは、上乗の部で。
たちまちどこからともなく、バラバラっと造営奉行の手付きらしい役人が現われて、「ウヌ! こんな所まではいりこんでくるとは、めっそうもない!」――とばかり。
眼の玉がとび出るほどどなられて、送りかえされる。
厳重をきわめている。
この小さな百姓家一家を、十間おき、半町おき、一町おきといった具合に、幾重にも看視が伏してとりかこんでいると見える。
家はさきごろまで、ちょっとした百姓が住んでいたと思われる、こぢんまりした住居《すまい》で、見たところなんの変哲もないが……いったい、こうまで水ももらさない見張りがつけられるとは、何者であろう。
よほど凶悪な囚人《めしゅうど》!……でもあるかと思うと。
家のなかには、品のいい武家の後室らしい女と、その娘のかあいい女の児、それに、二十《はたち》ばかりの美しい腰元が一人、食事その他の世話役に、ついているだけだ。
「マア、ほんとうに、いつまでこんなところに、こうしていなければならないのだろうねえ」
と、今もお蓮様は、柿の枯れ葉の吹きこむ百姓家の小縁側《こえんがわ》に立って、ひとり言のようにつぶやいた。
折り重なる日光の山々、男体《なんたい》、女体《にょたい》、太郎山、丸山などが、秋の空気の魔術か、今日は、眉にせまるように近々と望まれる。
お蓮様の言葉を聞きつけたお美夜ちゃんが、愛らしくそばへ寄りたって、
「ねえ、母ちゃん、ここはもう日光なんだろう? いつお爺ちゃんのところへゆけるの?」
お蓮様は、屈託気《くったくげ》に、帯の胸元へほっそりした両手をさしこんで、
「サア、それが母さんにも、サッパリわからないんですよ」
「アラ、じゃ、まだここは日光じゃないの?」
「ほほほほ、いいえ、日光は日光なんですけれど、いつお爺ちゃまにお眼にかかれるか……それがねえ」
二
じっと考えこんだお蓮様は、腑に落ちかねるおももちで、
「ほんに、どうしたというのでしょうねえ。あの鹿沼新田のお関所でお調べを受けたとき、母娘《おやこ》かということを妙に念を入れてきいていたようだけれど」
風に話しかけるように、お蓮様はひとりごとをつづけて、
「母娘ということに、何か意味があるかしらん……ハイ、たしかに母と娘だと言うと、お役人衆がマアたいそう喜んで、さっそく二人を駕籠に乗せて、まっすぐにこの家へ連れてこられたのだけれど――」
その途中。
駕籠わきに引き添う侍たちのヒソヒソ話に。
「大切な客人」とか、「運よく母娘づれが通りかかるとは、幸《さい》さきがよい」とか――。
そうした言葉が、チラチラとお蓮様の耳にはいって、駕籠のなかの彼女に、しきりに首をひねらせたのだったが。
この百姓家は、前に用意がしてあったものとみえる。
きっと持主から買いとって、家を明けさせ、客を迎える準備をしておいたものとみえて、ここらの山奥の百姓家にしては、内部は小ざっぱりと掃除され、最近手を入れたあとも見られるのである。
翌朝にでもなれば、きっと役人の前へ呼び出されて、どうしてこういう予期もしない好遇を受けるのか、その理由《わけ》もわかるであろうから、そのとき自分たち母娘は、この日光造営方の工人の一人、彫刻名人作阿弥の身寄りの者で、彼をたずねて入晃《にゅうこう》したということを、申しあげればよい……。
お蓮様はそう思って、旅の疲れにこの思いがけないもてなしをいいことに、その夜は手足をのばして休んだのだったが……。
翌日になっても、翌々日がきても、イヤ、何日たっても、なんの音沙汰もないばかりか、さながらこの家へとじこめられたなり、すっかり忘れられてしまったよう――。
どこから運んでくるのか、三度三度の食事などは、ごちそうずくめ。
身のまわりの用を達するには、ちゃんと侍女がつけられているし、なんの不足があるわけではないが。
これでは、まるで、日光へ寝ころびに来たようなもの。作阿弥に会いたいということを伝達したいにも、その方法がない。
唖なのです。……その唯一の腰元というのは。
まず、退屈しはじめたのはお美夜ちゃんで、
「ねえ、母ちゃん。日光の町のほうへ、お爺ちゃんを探しにゆきましょうよ」
「そうねえ。いつまでもここに、ぼんやりしていることもない。途中でお役人様に会ってきいたら、おじいちゃんのいどころも知れるかもしれない」
べつに、戸じまりが厳重だというわけでなし、垣根が結いめぐらしてあるのでもないから、お蓮様はお美夜ちゃんの手を引いて、庭づたいに、雑木林の小みちをたどろうとすると。
忽然《こつぜん》として、五、六人の足軽風の者が現われて、そのまま家へ追いかえされてしまう。
体《てい》のいい監禁ということに、お蓮様が気がついたのは、このときからだった。
「江戸から、当|山内《さんない》の作阿弥という者をたずねてまいった者です。どうぞ、作阿弥にお会わせくださいますよう……」
お蓮様の必死の願いにも、足軽どもは相手になろうともしない。
三
この、裏見の滝道の林の中の一軒家。
あそこに住む女と娘は、狂人と白痴だから、何を言っても取りあげるな……警備の役人、足軽たちは上司から、こう言い聞かされている。
「ああ見えていて、狂気だそうだ。娘はまた、生まれつきの馬鹿で、母娘《おやこ》そろってあのありさまとは、なんとも哀れなものじゃのう」
「御造営竣工まで、厳のうえにも厳なる警戒を要する日光御山内に、どうしてまた、ああいう母娘づれの狂人などが、舞いこんできたのであろう」
「さればサ、どこからともなくフラフラッと、鹿沼新田《かぬましんでん》のお関所にさしかかったと申すことじゃ」
「捕えてただしてみても、何を言うやらさっぱり要領を得ぬ。引き渡そうにも、身もとは知れぬし、と言って、ああいう者をさまよわせておいては、清浄森厳《せいじょうしんげん》であらねばならぬ御造営の眼ざわりじゃ。造営奉行の面目にもかかわる」
「追放すればよいではないか」
「サ、それがさ、貧しい旅の服装《なり》ではあるが、顔姿、言葉のはしはしなど、武家も大どころの者らしいふしが、ないでもない。このまま山から追い出して、あとでひょんなかかりあいにでもなろうものなら、この御修営に疵《きず》がつこうというもの」
「ははあ、それでわかった。自《じ》ままに町を歩かせては人さわがせ、追い出すこともならず、というわけで、ああしてあの一軒家にとじこめ、われらを見張りにつけておくのじゃな。厄介な者がとびこんできたものじゃなア」
「しかしまア、相手は狂人と馬鹿娘のことだ。家から出しさえせねばよいのじゃから、遊び半分の楽な役まわりをおおせつかったというものじゃテ」
草むらにあぐらをかいた下役《したやく》どもは、ひなたぼっこと雑談を仕事と心得て、こうガヤガヤ話しこんでいる。
ふしぎなもので、狂人といわれたその眼で見ると、普通の人でも、変に見える。
そう言えば、すこし眼の色がちがっているとか、笑い声が尋常でないとか……。
そう信じこんでいる者へ向かって、「いえ、わたしは狂気ではありません」と弁解しようものなら、さてこそ、狂人の十八番《おはこ》が始まったとばかり、いっそう狂人扱いされるのみ。
「サクアミとか、南無阿弥とか、たえず妙なことを口ばしっておるようじゃが」
「ナニ、言いたいことをいわせておけばよいのじゃ」
と、これでは、お蓮様はどこにも、取りつく島がありません。
一日に何度となく、庭づたいに役人衆のいるところへ来て、
「どなたか上の方に、お眼どおりを許していただくわけにはまいりませんでしょうか」
「ハイハイ、御城主様でも公方様へでも、どなたへでもお取り次ぎを申しまするで、どうぞ、お屋敷でお待ちのほどを、願いあげまする」
お蓮様は癇癪《かんしゃく》を起こして、
「マア、何を言うのでしょう。日光というところは、狂人ばかりそろっているのねえ。気味の悪い!」
侍たちはドッとふきだして、
「イヤ、こいつは参った。まったく言われてみると、狂人のお守《も》りをしているわれらも、こう退屈では、いつのまにか気が変になろうも知れぬテ」
「なんですって? わたしを狂者ですと?」
「イエイエ、とんでもない! あなた様に対して、けっしてさような失礼なことを――」
四
何がなんだかわからないお蓮様、
「くどくお願いす
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