しかたがない。だが、もうもうこれからは、けっしてお前をはなしはしないよ」
江戸から泊りを重ねて、もう日光までは眼と鼻のあいだ。ここまで来るあいだに、旅はことさらに人を近しくするもの。いわんや、血の通う母と娘である。
お美夜ちゃんも、もうスッカリお蓮様に親しんで、脚絆《きゃはん》、草鞋《わらじ》がけのかあいい足を引きずりながら、
「ねえ母ちゃん、もうじき日光なの?」
「ええええ、あとほんのすこしのしんぼうですよ」
と、お関所へさしかかったときである。
「待てッ」
横あいから、グッと棒がつき出て立ちはだかった一人の侍、
「姓名住所は、何も聞かんでよろしい。ただひとこと――お前たちは、母娘《おやこ》であろうナ?」
七
以前のお蓮様なら、眉ひとつ動かさず、
「無礼をすると容赦《ようしゃ》はいたしませぬぞ」
ぐらい、ちょいと威猛高《いたけだか》なところを見せたはずだが。
今は、名もない旅の女。
「ハイ」
と、口のうちに答えつつ、手ばやく裾を引きさげ、そこへしゃがみこみながら、
「お美夜や、コレ! 立っていてはいけません。お侍様に失礼があっては……」
と手を引っぱってすわらせようとするのも、できるだけ下手に出て、早くこの関所を通してもらいたいという、矢のような心があればこそ。
制止した武士は、そのまま棒を斜《しゃ》にかまえて、
「念のために、もう一度きくぞ。たしかにそのほうどもは、母娘に相違あるまいな」
親子と言われることは、このごろ急に母性愛に眼ざめたお蓮様には、何ものよりもうれしいので。
眉の剃りあとの青い、美しい顔を、思わずニコニコほころばせるのも、あながち、番人へのお追従だけではない。
「はい。あなた様のお目にも、まぎれもなく母と娘と見えますでございますか。まア、なんというありがたい――」
「コレコレ、妙な挨拶だな。確かにこの児そのほうの娘かと、きいておるのじゃ」
「マア、妙にお疑り深いお言葉。誰がなんと申しても、このお美夜はわたくしの一人娘、わたくしはお美夜のただ一人の母。どっちから申しても同じこと。サ、女旅で先を急ぎまする。おうたがいが晴れましたら、どうぞ、お通しのほどをお願いいたしまする」
お美夜ちゃんもそばから、
「ねえ、母ちゃん、このお侍さんにおねがいして、早くとおしてもらいましょうよ」
じっと二人のようすを見守っていた関所番人は、今このお美夜ちゃんの言葉を聞くと、グッと大きく一人でうなずき、
「ヨシヨシ、いま手形を書いてやるから、そこに待っておれ」
言いすてて、足を宙にとびこんで来たのが、役人のつめている番所だ。
「おのおの方、とうとう親娘《おやこ》の旅の者が引っかかりましたぞ。しかも、美しい母と、あどけない女の子で。これでわれわれの大任もおりたというもの」
茶を飲んでいた津田玄蕃が、急ぎ床几《しょうぎ》を離れて、
「それはお手柄。拙者もこれで安心いたした。では、かねての手はずのとおりに……」
なにやら低声《こごえ》に命令をくだした玄蕃は、お蓮様とお美夜ちゃんの待ってるところへ、たちいでて、
「コレハコレハ、よく来られた。むろんお手前はまだ、御存じではあるまいが、このたびの日光造営奉行たるわが藩においては、このお山どめの関所開きに、はじめて関所にさしかかった母と娘の二人連れを、縁起祝いとしておおいにもてなすことになっておるのじゃ」
生きながら壁へ塗りこめてしまうのが、なんで待遇《もてなし》なものか。
何も知らないお蓮さまが、あっけにとられていると、玄蕃はかまわずつづけて、
「二人とも今より、奉行所の大切な賓客《ひんきゃく》じゃ。われらがお供申しあげるにより、これより用意の駕籠《かご》に召されて――」
と玄蕃、ポンポンと手をたたくと、かねて手はずの山駕籠が一丁、焚き火の光のなかへかつぎこまれて来る。
「御遠慮無用。サ、これへ……」
逃がすまいと、手取り足とらんばかりに、はや、駕籠へ――なるほど、たいせつな人柱、これは逃がされない。
芸心《げいしん》阿修羅《あしゅら》
一
カット照りつける陽の光の底に。
どこやらうっすらと、秋の気配の忍びよる午後である。
今は日光小学校があります。あれに沿って左に曲がり、四本竜寺の前を過ぎて、その道を真っすぐにとってゆけば、さらに右手に、稲荷川のつり橋。
あれから左に折れると、外山《そとやま》。
一直線に行けば、霧降道《きりふりみち》だ。
外山はつり橋から五、六町も行けばすぐふもとについて、山麓《さんろく》には凍岩《こおりいわ》、摺子岩《すりこいわ》があり、山上のながめは日光第一といわれているが――
つり橋のたもとから、途中に律院《りついん》と梅屋敷のそばを過ぎて、渓流にかかった橋を渡ると、小倉山の高原。
で、この高原を一里あまりもたどって、赤薙《あかなぎ》の東ふもとに出れば、もうはやそこに、とうとうと地ひびきをうって聞こえてくるのは……。
日光三大|瀑布《ばくふ》の一なる、霧降《きりふり》の滝です。
高さ十三丈、幅五間、上下二段になっている。
山上から飛ぶしぶきは、折り重なる岩石に砕けて煙のように散り、滝壺から、横の山道にのぞく立ち木のこずえにかけて。
どうです!
いま、すばらしい七色の虹《にじ》が、かかっている。
その虹のはしに、小広い滝見台があって、そこから、草を分ける小みちが、だらだらくだりに滝とは反対の谷底へ、のびています。
昼なお暗いという形容は、ここにきてまことに真。
小みちを下りつくした谷あいの木かげに、先ごろから、木口のいろも白い一軒の造作小屋が建てられて。
どんなものずきな人か、髪の白い、腰の曲がりかけた老人が、この山奥も淋しくないとみえ、たったひとりで住んでいる……作阿弥。
人の背ほどもあろうかと思われる雑草や、灌木におおわれて、この作阿弥の仕事部屋は、滝見台からも人の眼に映らない。
世を離れ、三昧《さんまい》の境地にはいって、一心不乱に制作したいという彼の望みにしたがって、この、もっとも人跡絶えた渓谷を卜《ぼく》し、対馬守の手で急ぎ建てられた、いわば、これが、作阿弥のアトリエなのだ。
たった一人――。
とは言ったが。
それにしては、ふしぎなことがある。その工作部屋から、ときどきさかんに人の話し声がもれてくるので。
だが、朝夕作阿弥が、小屋のそばを流れる谷川の縁にしゃがんで、土釜《どがま》の米をすすいだり、皿小鉢を洗っているのを、むこう山の木の間から、樵夫《きこり》が見かけることがあるくらいで、住んでいるのは、確かに作阿弥老人ひとりのはずだが……。
「なア、りっぱなものを彫りあげて、ぶじに納めることができれば、大仏師|法眼康音《ほうげんやすね》、狩野探幽《かのうたんゆう》、左甚五郎など、日光結構書に伝わる名人巨匠と肩をならべて、お前も長く権現様のおそばに残ることになるのじゃ。ナア、そう思ったら、しばらくジッとして立っておるぐらい、なんのこともあるまいが……」
今も、この作事小屋から、しきりに作阿弥の話し声が流れ出て、
「ホラ! ここへひとつ、こう、グッと鑿《のみ》を入れると、ソラどうじゃ、全体が見違えるほど、活《い》きてきたであろうが」
あとは、またコツコツと、木を刻む音だけがしばらくつづく。
深山の静寂は、まるで痛いほど、耳をつきさす。百千の虫、鳥どものなき声が、この静かさの中にこもっているのだ。
小屋の中は、シインとしている。
二
と、思うと……。ふたたび。
「コラコラ、動いちゃいかん! う? 何? もう疲れたというのか、じっと立っておるのは、辛抱ができんか、ははははは、よし、休もうナしばらく」
別人のように若やいだ、艶のある作阿弥の声。
ひとりごと?
それにしても、変だ、さながら話し相手があるような口調である。
もしここに、彫りあげるまで人に見られたくないという絶対境の作阿弥の芸術心に、些少《さしょう》の尊敬しかはらわない人があって、今この小屋をすき間から、ソッとのぞいたとしたら……。
アッ!――とその人は、おどろきの叫びをあげるに相違ない。
やっぱり一人なんだが、話し相手はあるのです。
馬だ。
今で言えばモデル。一世一代の思い出に、生けるがごとき馬を彫ろうと、鑿の先に心胆のすべてを傾けることになった作阿弥は、馬の骨格、体形などは隅の隅まで知っている彼だが、それでも、今度はモデルがほしいと思いたって、
「単に、手本にするだけではござりませぬ。活《い》きた馬と朝夕《ちょうせき》起居をともにし、その習性を忠実に木彫《もくちょう》に写《うつ》してみたいというのが、愚老の心願でござりまする」
こういう作阿弥の願い出を受けた柳生対馬守は、こけ猿の茶壺がなければこの日光にも事を欠き、手も足も出ないほどの貧藩ですけれども、武張《ぶば》った家柄だけに、名剣名槍などとともに、馬には逸物《いつぶつ》がそろえてある。
まだこれは、この日光へ発足前、江戸の上屋敷にいる時分だったので、さっそく作阿弥を厩《うまや》の前へ連れて行き、一頭ずつ広場へ引きだして見せたのだが、どの馬にも、だまって首を振るばかり。
最後にひき出した馬は、「足曳《あしびき》」という名のある対馬守第一の乗馬で、ひと眼見た作阿弥は、はじめてうむ[#「うむ」に傍点]と大きくうなずいたのだった。
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の……。
古歌にちなんで足曳と命名されたこの駿馬《しゅんめ》は、野に放したが最後、山鳥のように俊敏に、草を踏みしだき、林をくぐり、いや、鳥のごとく天空をも翔《か》けんず尤物《ゆうぶつ》。
これをおいて、ほかにモデルはない。その足曳が、今この日光の山奥の仕事小屋に、連れこまれて、燃えあがるような作阿弥老人の制作欲の対象に置かれているのだ。
「さア、かいば[#「かいば」に傍点]をやろうなア」
と作阿弥は、まるで人にものを言うように、しきりにたてがみをなでながら、
「こんどは、ぐっと首を上げて、正面をにらんでいてくれよなア」
やさしく頼むように言うのですが、いくらりこうな馬でも、そう注文どおりにはいきません。
道具をほうり出した作阿弥は、すこし離れて、なかば彫りかけた首の像に、見いっている。
首から胴は一本で、刻みのあとの荒い馬の姿が、なかばできかかったまま立っている。
が、この未成品、すでに惻々《そくそく》と人に迫る力をもっているのは、やはり、作阿弥の作阿弥たるゆえんであろう。
「ウウム、陽明門の登り竜と下り竜が、夜な夜な水を飲みに出るというなら、この、おれの彫った馬は、その竜を乗せて霧降《きりふ》りの滝をとび越せッ!」
「いや、みごとみごと!」
作阿弥のひとりごとに答えて、別の声がした。
馬が口を?
と、作阿弥が振りかえったとき――。
三
いつのまにこの谷へくだって来たのか、跫音《あしおと》もしなかったが、と、ギョッ! として作阿弥が、戸口を振りかえってみると……。
柳生対馬守。
家老、田丸主水正とただふたり、ほかに供もつれずに。
制作の進行ぶりを、おしのびで見に来られたものとみえます。
「どうかの? 足曳はおとなしくじっ[#「じっ」に傍点]として、写生の手本になっておるかの?」
と対馬守、手斧《ておの》や木くずや、散らかっている道具をまたいで、小屋へはいってきた。
半分板張りになっていて、むこうの土間に、殿の乗馬足曳が、つないである。
厩《うまや》のように、馬と同居しているのですから、ムッとした臭気《におい》が鼻をおそう。
それよりも、あわてたのは作阿弥で、彫刻が完成するまでは、誰にも見せたくない。殿様といえども、眼に触れさせたくないので、大いそぎで、ゆたん[#「ゆたん」に傍点]のような唐草模様の大きな布《ぬの》を、ふわりと、彫りかけの馬の像へかけてしまった。
そして、ひらきなおって、対馬守と主水正の主従を、おそろしい眼でにらみつけた。
「ちと無礼で
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