き》を取って、十字に綾《あや》なしていますと、
「コレコレ、源三郎――!」
 主水正、また始めた!
「丹波殿がお待ちではないか。この期《ご》におよんで気おくれがしたか源三郎! ヤイ、源公!」
 そんなことは言わない。
「気おくれだと? 爺め、今だと思って、ひでえことを言やあがる」
 源三郎が低声につぶやいて、そっとにらみつけると、主水正はケロリとした顔で、
「無礼であろうぞ源三郎! なんという眼つきをして兄上を見るのだ。眼がつぶれるぞ」
 しかたがないから、源三郎、
「申しわけござりませぬ。勝負は時の運、ことによると、これが今生のお見納めかと、思わず、兄上のお顔をあおぎ見ましたので」
「そんな気の弱いことでどうする! ウム? 早く立ちあえ源三郎! ソレ、刀を抜かぬか、源三郎。何をしておる、源三郎!」
 これじゃア源三郎がいくつあっても足らない。

       三

 源三郎! 源三郎……! と、まるで源三郎を売りにきたような田丸主水正の空《から》いばりを。
 したくをととのえながら、じっと横眼で見守っていた峰丹波。
 悪知恵の本尊だけに、人の悪知恵を見破るのも、早い。
 ハハア! これは偽物だなと、心中ひそかに思いました。
 が、その気《け》ぶりをおもてにも見せず、
「源三郎殿、しからば……」
 としかつめらしく、軽く頭を下げると同時に、スラリ鞘走《さやばし》らせた一刀は、釣瓶落《つるべおと》しの名ある二尺八寸、備前|長船《おさふね》の大業物《おおわざもの》。
 秋の陽は、釣瓶落し……。
 というところから、秋日《しゅうじつ》のごとくするどく、はげしく、また釣瓶落しのように疾風迅雷《しっぷうじんらい》に働くというので、こう呼ばれる丹波自慢の銘刀《めいとう》。
 五尺八寸あまりの大男。肩など張り板のように真っ四角なのが、大きな眼をすごく光らせ、いま言った大刀釣瓶落しを下段に構え、白足袋の裏に庭土を踏んで、ソッと爪《つま》だちかげん……。
 堂々たる恰幅《かっぷく》。
 まさに、千両役者の貫禄です。
 丹波、横眼を走らせて、ひそかに、立ちあいの柳生対馬守――ではない、田丸主水正を見やると。
 主水正は、化けの皮がはげかかっているとは、ちっとも知らないから、
「二雄並びたたず。丹波殿と源三郎は、両立せぬ。いずれか一方が、命を落とすまでの真剣の仕合いじゃ。コレ、源三郎、ぬかりなく……」
 なんかと、あくまでも、伊賀の暴れん坊の兄貴ぶっています。
 丹波のものものしい構えに対して、源三郎は心憎いほど落ちついている。口の中で、小唄か何かうなっているようすで、
「いきますかな」
 ひとり言のよう口ずさみ、抜きはなった一刀をピタリ青眼につけたまま、ジリリ、ジリリと、爪先《つまさき》きざみに詰めよって行く。
 もう草露もほしあがるほど、夏の陽は強く照りわたって、ムッとする土いきれが、この庭|隅《すみ》の興奮に輪をかけるのだった。
 枯れ木に花の咲いたような、百日紅《さるすべり》が一本、すぐ横手に立っている。そのこずえ高く、やにわに蝉《せみ》が鳴きだした。
 ジーンと耳にしみるその声のみが、この瞬間の静寂を破るすべてだ。
 源三郎手付きの伊賀侍も、不知火道場の連中も、わきあがる剣気におされるように、その取り巻く人の輪が、思わずうしろにひろがる。
 誰も彼も、いざといえば抜くつもり。
 みな一刀の柄に手をかけて。
 それと見るより、田丸主水正は、大声に叱咤《しった》して、
「双方助太刀無用! 手出しをしてはならぬぞ!」
 白扇を斜《しゃ》に構えて、どなりました。
 これが、峰丹波の待っていた機会!
 柳生流でいう閂《かんぬき》の青眼《せいがん》……押せども衝《つ》けども、たたけども、破りようのない伊賀の暴れん坊の刀法に、手も足も出ない丹波は、もしつぎの瞬間、源三郎が動きを起こせば、まず、その一刀は身に受けずばなるまい。ついに、ここで命を落とすのかと、こう頭にひらめいたのが、窮鼠の彼に意外な活路を与えたに相違ないのです。
「ごめん!」
 とうめきざま! 血迷ったか丹波、突然その釣瓶落しを振りかぶるが早いか、それこそ、秋の日ならぬ秋の霜、秋霜烈日《しゅうそうれつじつ》のいきおいで、大上段に斬りつけたのです。
 源三郎へ?

       四

 峰丹波の烈刀、釣瓶落しは、やにわにうなりを生じて動発した。
 当の相手、伊賀の源三郎へ向かって?
 否《いな》!
 かたわらに立っていた、判定役の柳生対馬守……実は田丸主水正を目がけて。
 これが本当の対馬守でしたら、ちっともあわてずに、手にしていた扇子で釣瓶落しの白刃をみごとに横にはらい流した――などという、よく名人妙手にまつわる伝説的逸話が、もうひとつふえたかもしれないが。
 そこは悲しいかな、偽物の柳生対馬守。
 だいたいこの江戸家老というものは、殿様がお国詰めのあいだ、在府の諸家諸大名と交際するのが、その本業。
 いわば外交官。
 いくら武をもって鳴る柳生藩の家老でも、どっちかといえば文官であって、主水正、武人ではない。
 ですから。
 このとき主水、すこしもさわがず――とはまいりません。
 おおいにさわいだ、見苦しいまでに。
「ナ、何をする! これ、気でもふれたか」
 泣くような悲鳴をあげて、横っとびにスッ飛んだ主水正、今まで気どりかえっていた殿様役も、すっかり忘れて、
「は、発狂されたか! ワ、わしは相手ではない。わ、若君、ゲゲ、源三郎様が、貴殿の敵ではないか」
 そのあわてぶりが、よほどおかしかったと見えて、人の悪い源三郎は、刀を引いてゲラゲラ笑いだしてしまった。
 これが唯一の逃げ路《みち》と、丹波は一生懸命、
「偽物ッ! からくりは見抜いたぞ!」
 叫びながら、釣瓶落しをまっこうに振りかざして、なおも主水正目ざしてとびこもうとする。
「柳生対馬守に、この丹波の刀《とう》が受け止められぬはずはない。失礼ながら打ちこみますぞ、対馬守様!」
 大声に叫びながら、丹波は一心に主水正へ斬ってかかる。
「待った! 待った! とんだ気ばやの御仁《ごじん》じゃ。わしは、ただ、殿の言いつけでまいっただけで、近ごろもって迷惑至極!」
 周章狼狽をきわめた主水正は、立ち木の幹を小楯にとって、
「コレ、人違いじゃというに、わしは対馬守様ではござらぬ。家老の田丸――」
 丹波はこれで、一時のがれに命を拾おうという気だから、
「田丸もたまらんもあるものか。サア、判定役の手腕から先に、見参いたしたい」
「もし! 源三郎様ッ! 笑ってばかりいずと、この無法者を、お取りおさえください」
 立ち木を中に、二、三度堂々めぐりをして、猫と鼠のように追いつ追われつしていた主水正は、機を見ていっさんに裏木戸から、外の妻恋坂の通りへ抜け出してしまった。そして、ほうほうの体《てい》で、麻布林念寺前の上屋敷へ引きあげていったが――。
 峰丹波もガッチリしたもので、釣瓶落しを鞘におさめた彼、悠然たる態度で源三郎の前へ引っかえして来た。
「条件が違うではござらぬか、源三郎殿、拙者よりも貴殿よりも、一段と業《わざ》の上の者が判定に立ちあうのでなければ、他流仕合は、いっさいごめんこうむる。これが、当十方不知火流の掟《おきて》じゃと、申しいれてあるはず。この始末では、今日の立ちあいはお流れ、お流れ……」
 と丹波は、白扇《はくせん》をひらいて、自分をあおいだ。

   人身柱《ひとみばしら》


       一

 日光を見ないうちは、結構と言うなかれ……その結構の入口は。
 例の杉並木ですなア。
 すばらしい杉の古木が、亭々《ていてい》と道の両側に並ぶ下を、
「エイ! 下におれイ! 下におろうッ!」
 と、一里もつづく長い行列が、いま浮世絵のように通っているのは、江戸は麻布の上屋敷を発して来たお作事奉行《さくじぶぎょう》、柳生対馬守様、つづく一行は同じくお畳奉行、別所信濃守様のお供ぞろい。
 干瓢《かんぴょう》と釣り天井で有名な宇都宮の町もうち過ぎ、あれからかけて、徳次郎、中徳次郎、大沢、今市……。
 そして、お行列は、今やこの日光|例幣使《れいへいし》街道の杉の並木に、かかっています。
 たいそう古いことを言うようですが、あの杉並木は、慶安元年に駿河《するが》の久能山《くのうざん》に葬った権現様を、御遺言で日光山に改葬し、東照宮を御造営の折り、譜代外様を問わず、諸侯きそっていろいろな寄進をなされた。
 なにしろ、徳川家のお髯《ひげ》の塵《ちり》をはらうのが、当時の大名の何よりの保身術だったから、われもわれもと知恵をしぼって、すばらしい寄進のあったなかに。
 このとき。
 造営総奉行の一人に、松下右衛門太夫《まつしたうえもんだゆう》源政綱《みなもとのまさつな》という、これは、武州《ぶしゅう》川越の城主でしたが。
「オイ、困ったな。みんながみごとな寄進をするのに、何も献納せんということはできないが……」
「と申して、どうも当藩は、お台所のつごうがよくございません。そうですナ、何か植えものでもなされては――」
「ウム、それはいいところへ気がついた。木は生き物だから、のちになってみごとな風物を作りださんともかぎらぬ」
 というようなことで、貧乏の苦しまぎれに、見すぼらしい杉苗を、あの街道筋と山内《さんない》一帯に植えて、献納したのだった。
 川越の殿様なら、お芋《いも》でも植えそうなものだが……。
 寛永元年から慶安元年まで二十余年の苦心で植えたのです。
 その延長は、東照宮付近から今市に出て、三方に別れ、鹿沼《かぬま》街道は三里十五町、文挟《ふばさみ》の先まで――宇都宮街道、会津街道は、おのおの二里十六町、まさに天下の偉観です。
 当時はヒョロヒョロの貧弱な苗でいかにも献納者の懐具合を語っているようだった杉の若木が、今では日本の輪奐美《りんかんび》に、うるわしい調和を見せて、寄進元の頭の良さを示している。
「ずいぶん苦しい思いをして、この杉を植えたのであろう」
 今、杉の下を通りながら、お駕籠のなかの対馬守様、同病あいあわれむで、そんなことを考えている。
「昔から日光のためには、貧乏な大名が、みな泣かされてきたのだ――」
 大金の所在をのむこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺は、いまだに行方がわからない。
 困っている柳生藩を見かねて、愚楽と越前守の取りなしで、あの贋《にせ》の茶壺を庭の松の木に引っかけ一夜のうちに上屋敷の隅へ、この日光に必要なだけの入費を埋ずめておいて柳生を助けた。
 いわば、吉宗公のポケットマネーで、やっとこうして造営に出てこられたのですから、対馬守さま、内心おもしろくないことおびただしい。
 それにつけても、こけ猿はいまどこにある?
 思うのは、このことばかりです。
 殿様の身がわりに真剣勝負に立ちあったばっかりに、すんでのことで峰丹波の一刀を浴びるところだった田丸主水正、今は騎馬で、この行列に加わっています。

       二

 爪先《つまさき》あがりの鉢石町《はちいしまち》を、お行列は静かに登ってゆく。
 淙々《そうそう》と、瀬の音が耳に入ってくるのは、激流岩にくだけて飛沫《ひまつ》を上げる大谷《おおや》川が、ほど近い。
 神橋《しんきょう》はここにかかっているのです。日光八景中第一の美と称せらるる山菅夕照《やますげせきしょう》。
 有名な蛇橋《じゃばし》の伝説に昔をしのびながら、大谷川のささやきをあとにして、老杉《ろうさん》昼なお暗い長坂《ながさか》をのぼりますと、神輿旅所《みこしたびしょ》として知られる山王社《さんのうしゃ》がある。
 柳生対馬守、別所信濃守の造営奉行|仮役所《かりやくしょ》は、前もってこの山王のそばにしつらえてある。
 このときのお作事《さくじ》の模様を書いたものを見ますと、御番所史録《ごばんしょしろく》に、
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一、柳生対馬、別所信濃両奉行|登晃《とこう》、御宮《おみや》御修覆につき、御山内《ごさんない》に御普請小屋《ごふしんごや》を設け、ただ
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