「エ、コウ、石金め、乙《おつ》うきいたふうな口をたたくぜ。異存のある者はあるめえたア、なんでえ。誰ひとり異存があっておたまり小法師《こぼし》があるもんか、なあおい、みんな……棒っ切れでも、心張棒《しんばりぼう》でもかついでって、先生に刃向かうやつらをたたきのめしてしめぇ」
「そうだ、そうだ! 泰軒先生に助太刀するのに、文句のあるやつがあるもんか」
「石金も気をつけてものを言うがいい」
「オーイ、みんな! このままで押しだせッ」
 ワッショイ、ワッショイ……まるでお神輿《みこし》をかつぐような騒ぎ。
「細野先生!」
 と誰かが、この長屋のひとりで、尾羽《おは》打《う》ち枯らして傘をはっている南部浪人《なんぶろうにん》へ呼びかけて、
「こういうときア、痩せても枯れてもお侍だ。竹光《たけみつ》でもいいから一つ威勢よく引っこぬいて、先に立っておくんなせえ」
「言うにやおよぶ。泰軒氏のためとあらば、拙者水火もいとい申さぬ。ソレおのおの方ッ!」
 なんかと、細野先生、継ぎはぎだらけの紋つきの尻をはしょって、一刀を前半にたばさみ、ドンドンかけだした。
「ソレ、先生におくれるな」
「なにも獲物《えもの》のねえやつは、かまわねえから、相手の咽喉《のど》ッ首へくらいついてやれ」
「オイ、八百屋《やおや》の初《はつ》さん、そんなおめえ、天秤棒《てんびんぼう》などかつぎだして、どうしようってんだ」
「なあにね、これで相手の脛《すね》をかっさらってやりまさあ」
「オーオー、糊《のり》屋の婆さん、戦場に婆さんは足手まといだ。おめえはまア、家に引っこんでいなせえよ」
「何を言ってるんだよ。うちの次男坊の根性を入れかえて、悪所《あくしょ》通いをやめさせてくだすったのは、どなただと思う。みんな泰軒先生じゃないか。その先生の一大事に、婆あだって引っこんでいられますか。これだって、石の一つぐらいほうれらアね。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》南無阿弥陀仏」
 とんがり長屋の一同、どっと一団になって押しだしました。
 下帯一つにむこう鉢巻のもの、尻切れ半纏《はんてん》に鳶口《とびぐち》をひっかつぐやら、あわてて十能を持ち出したものなど。
 思い思いの武器。
 文字どおりの百鬼夜行……。
「泰軒先生を助けろ!」
「チョビ安を救え!」
 深夜の町を、このわめき声が、はるか向島のほうへとスッ飛んでゆく。
 石金、ガラッ熊、鳶由《とびよし》、細野浪人、この四天王格。先頭にたって。
 たいへんな助勢。

       十

「それでは、われらは、この源三郎身がわりの焼死体と、偽のこけ猿の焦げた壺を守って、お蓮の方ともども、これよりただちに道場へ引っ返し、源三郎の死んだことと、こけ猿の壺なるもののもう世の中からなくなったことを、すぐにも発表する手はずだから、よいか、その方《ほう》どもは一刻を争い、このおとし穴を埋めてしまえ。手ぬかりのないようにいたせよ」
 戸板にのせ、白布でおおった身がわりの死骸と。
 真っ黒に焼けた、にせのこけ猿と。
 この二つを先にたてた峰丹波の一行。
 お蓮様を中に、さながら葬式の行列よろしく、闇をふくんで粛々《しゅくしゅく》と寮の焼け跡へさしかかった。
 月のない夜は、ふむ影もない。
 つい一昼夜前まで、このあたりにめずらしい、数寄《すき》をこらした寮の建物のあったあたり、焼け木が横たわり、水と灰によごれた畳、建具がちらばり……まだ焼け跡の整理もついていない。
 何一つ落ちてもいないのに、食をあさる痩せ犬も、ものさびしい。
 行列の殿《しんがり》をおさえて行く峰丹波ガッシリしたからだをそこで立ちどまらせて、穴埋めの役割の連中へ、そう最後の命令をくだした。
 町人体、百姓風に扮した道場の弟子ども、いま、手に手に小屋にあった農具を持って、葬列を見送りかたがた、ここまでいっしょに来たところだ。
 別れるのだ、ここで。
 丹波とお蓮様は、悲しみの顔をつくって、殊勝《しゅしょう》げに、これからショボショボと妻恋坂へ。
 残る穴埋め係の中から、宰領格《さいりょうかく》の結城左京《ゆうきさきょう》が進み出て、
「御師範代、御心配無用」
 と丹波へ笑いかけ、
「これからすぐに埋めにかかれば、ナニ、さほどの仕事ではござりません。たちまちのうちにふさぎ得ましょうほどに、一刻ばかりの後には、途中で追いつくでございましょう」
「ウム、いそいでやってくれ。水はもう、だいぶ穴へたまっていることであろうな」
「むろん、すでに水浸しでござろう。この三方子川《さんぼうしがわ》の川底から、細き穴をうがち、はじめは点々と水のしたたるように仕組みおきましたが、その穴がだんだん大きくなり、ドッと水が落ちこんだにきまっています。今ごろは土左衛門が二つ、この地の底に……はっはっは」
「そこをまた土葬にするのじゃ。これでは、いかな伊賀の暴れン坊も、またかの丹下左膳といえども、二つの命がないかぎり、二度とわれらの面前に立つことはなかろう。いや、これで仕事はできあがったというものじゃ。では、われら一足先へまいるからナ」
 言葉を残して、丹波の一行はそのまま、さながら悲しみの行列のように、底深い夜の道へと消えて行く。
 お蓮様のみは、これでいよいよ源三郎が地底の鬼となるのかと思うと、さすがに、心乱れるようすで、
「今となって、源様を助けようとも思わなければ、また、もう手遅れにきまっているけれど、せめては、水につかった死骸なりと引きあげて、回向《えこう》を手向《たむ》け、菩提《ぼだい》をとむらうことにしたら……」
 その声を消そうと、峰丹波は大声に、
「御後室様、おみ足がお疲れではございませぬか。サア、出発、出発!」
 と、さけんだ。

       十一

 お蓮さまはそれでも、後ろ髪を引かれる思い。
「源様ッ!――源三郎さまッ!」
 胸をしぼるような最後のひと声。
 かけもどって、おとし穴をのぞこうとするお蓮様に、きっと眼くばせして丹波が下知。ほとんど手取り足取りにかつがんばかり……。
 前後左右からお蓮様をとりかこんで、行列は、歩をおこして去った。
 あとには、穴埋め役の一同。
 生あたたかい風の吹く深夜の焼け跡に同勢七、八人、あんまり気持よからぬ顔を見あわせて、
「穴の底におぼれてるやつを、土で埋ずめりゃア、これほど確かな墓はねえ。目印に、捨て石の一つもおっ立てておいてやるんだな」
「後年、無縁仏《むえんぼとけ》となって、源三郎塚……とでも名がつくであろうよ」
 しめった夜気に首をすくめて、誰かが大きなくさめ。
「ハアックショイ! そろそろ始めようではござらぬか」
「フン、気のきかねえ役割だ。こんな仕事は、早くすませるにかぎる」
「しかしなア、なるほど穴は、細いものにすぎぬが、下へいって、かなり大きな部屋に掘りひろげてあるというではないか。そこまで埋めるとなると、七人や八人では、朝までかかっても追いつくまい」
「そうだ、最初に、大きな石の二つ三つもころがしこんで、穴の途中をふさぎ、その上から土をかぶせればよいではないか」
 それは思いつきだとばかり、結城左京《ゆうきさきょう》をはじめ二、三人が、手ごろの石を見つけにあたりの闇へ散らばって行く。
 ほかのやつらは、鋤《すき》や鍬《くわ》をかついで、おとし穴のふちへ集まってきた。
 左膳のおちこんだときのまま、張り渡してあった、うすい焼け板が、割れ飛んでいる。
 穴の底は、一段と闇が濃く、気のせいか、轟々と水音のこもって聞こえるのは、いよいよ三方子川の底が抜けて、地下室全体、水部屋になっているのか……。
 もう、左膳も源三郎も、ふくれあがった二個の溺死体に相違ない。水に押しあげられ、土の天井にはさまれて、いかに苦しい死を……そう思うと一同、さすがに、あんまりいい気持はしないので。
 穴の中からは、うめき声ひとつあがってきません。
 濁水をのむ墓。
 チョビ安の姿も、すでに付近に見えない。人っ子ひとりいないので安心しきった七、八人、すぐ仕事にとりかかればいいのに――。
 今のいままで、物置小屋でさんざん飲んできた祝い酒。
 それが戸外《そと》へ出て、ドッと夜風に吹かれると同時に、一度に発した酔い。
「マア、そうせくこともあるまい」
 ひとりの言葉をいいことに、みんな穴のまわりにすわりこんでしまった。そして、足で土くれを落としてみながら、気味わるそうにだまりこくっている。
 石をさがしに行った結城左京ら二、三人は、近くの暗中をウロウロしているらしく、帰ってくるようすもない。
「結城どの、石はあったかナ?」
 穴のふちから、たれかがきいた。と、
「石でふさがず、貴様らのからだでふさげばよい」
 うしろで、暗黒《やみ》が答えた。

       十二

 石で穴を埋めるかわりに、貴様たちのからだで埋めるから、そう思え……。
 太い濁声《だみごえ》が、闇からわいて!……。
 ギョッとしてとびのいた、穴のまわりの連中、暗黒をすかしておよび腰だ。
「お、おい、結城殿《ゆうきどの》、左京殿《さきょうどの》。何を冗談を言うのだ――」
 最初は、ほんとに、石をさがしにいった結城左京が、こっそり帰ってきて、ふざけているのだと思ったので。
「いいかげんうすッ気味のわるい役目を引き受けて、おっかなびっくりのところだ。おどかしっこなしにしようぞ」
 そんなことを言いながら、ふと思ったことは。
 どうも、声がちがう……?
 そのとたんに、
「ウフフフフフ、だいぶ胆をひやしたようじゃが、その調子では、墓埋めなどというすごい仕事はつとまるまいテ、わっはっはっは」
 また大声が、眼の前に爆発して、暗黒が凝《こ》ったかと見える一|塊《かい》の人影が、ノッソリ立ち現われた。
 それでも。
 穴のまわりのやつらは、まさかここへじゃま者が飛びこんでこようとは考えないから、あくまでも、仲間のひとりと思いこんで、
「石があったかと、きいているんだ」
「さっさと埋ずめて、引きあげようではござらぬか、結城氏《ゆうきうじ》」
 口々につぶやきながら、こわそうに二、三歩ずつ後ずさり。
 だが。
 結城左京にしては、チトからだが大きい。
 かれ左京、突然妙な服装《なり》をしてここにもどってきたのか――。
 この拍子に、暗がりで何も見えない彼らも、一時に合点がいったというのは。
 眼前の大きな黒法師の横から、子供の声がして、
「居候の小父ちゃん、この穴だよ、父上が落ちこんだのは! 早くこいつらを追っぱらって助けてちょうだいよ。ねえ、イソ的の小父ちゃん!」
「ヤヤッ! この子ッ?」
「ウム! 宵の口まで、この穴のまわりをうろつき、父上《ちゃん》、父上《ちちうえ》! と左膳を呼ばわっていたかの少年!」
 異口同音にさけんで、穴埋め組は、一度に鋤《すき》、鍬《くわ》などをふりかぶって身がまえた。
 黒い影の足もとから、小さな影が走り出て、おとし穴のふちへかけ寄り、
「父《ちゃん》! 父上! ヨウ! まだ生きているの?」
「オーイ、結城殿ゥ!」
 一同は、頭のてっぺんから出るような声で、しきりに仲間を呼び集める。
「石などは、もうどうでもよい。じゃまがはいった! こっちから先に片づけねば……」
「何イ? じゃまが?」
 あちこちの暗黒に声がして、散らばっていた結城ら二、三人が、あたふたこっちへ来るようす。
 泰軒先生はどうするかと思うと、この危機におよんでも手から離さず、トンガリ長屋から飛んでくる間ぶらさげてきた、例の一升徳利をかたむけて、グビリとひと口、飲んだものだ。まず、勢いをつけて……というわけ。
「こいつらア! あの丹下左膳てえ隻眼隻腕の化け物は、なるほど世の中に役にたたぬ代物じゃが、しかし、農工商をいじめながら徳川におべっかをつかう武士という連中にあいそをつかし、世を白眼視しておる点で、吾輩《わがはい》と一脈相通ずるところのある愉快なやつじゃ。それをなんぞや! 腕でかなわず、この奸計《かんけい》におとし入るるとは、卑怯千万……!」

       十三

 武器を持っていないのが、一|期《ご》
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