伊賀侍のしわざにきまっている。
伊賀の暴れん坊……柳生源三郎の使者《つかい》。
峰丹波、手のふるえを部下に見せまいと努めながら、文《ふみ》をひらきました。
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「近くお礼に参上すべしと先刻申し上げしとおり、明朝、当屋敷内の道場において、真剣をもって見参つかまつりたし。いつまでかくにらみ合っておっても果てしのないこと。峰丹波殿と拙者源三郎と、明朝を期し、白刃の間にあいまみえ、いずれがこの道場の主人《あるじ》となるか、力をもって、即刻決定いたしたき所存……云々《うんぬん》」
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と、こういう意味の文言《もんごん》。
読み終わった丹波は、サッと変わった顔色を一同にけどられまいと、じっとうつむいて考えこむふり。
怖れていたものが、来たのだ、とうとう。
心配気な顔、顔、顔が、前後左右から、丹波をとりまく。
弱味は見せられない立場です。
「かつて知らぬ刃《やいば》の味、それを一度、身をもって味わうのも、イヤ、おもしろいことであろう」
変な負け惜しみだ。丹波は、そう謎のようなことを口ずさんだが、その心中は悲壮の極《きょく》です。斬られる覚悟。
明日《あした》を期し、四十何年の生涯の幕を閉じるつもり。
伊賀の源三郎に刃《は》のたたないことは、誰よりも峰丹波が、いちばんよく知っている。
「矢立と懐紙を……」
「源三郎からですか。なんと言ってまいりました」
「おのおの、何もきいてくださるな。朝になればわかることじゃ。紙を、筆を――」
と丹波は、おののく手をふって、誰にともなく命じた。
笹便《ささだよ》り
一
「どうした、戸のすきにはさんできたか」
と源三郎は、例のかみそりのような蒼白い顔に、引きつるような笑いを見せて、折りから庭づたいに帰ってきた谷大八を、見迎えた。
大八、袴のうしろをポンとたたいて、膝を折り、
「ハッ、うまくやってまいりました。何やら多勢で、ワイワイ論じておりましたが」
「ウフッ、今ごろは丹波のやつめ、さぞ青くなっておることであろう」
そう言って源三郎は、ゴロッと腹ばいになりました。
黄《き》びらの無紋《むもん》に、茶献上《ちゃけんじょう》の帯。切れの長い眼尻《めじり》に、燭台の灯がものすごく躍る。男でも女でも、美しい人は得なものです。どんな恰好《かっこう》をしても、それがそのまま、すてきもないポーズになる。
早い話が、今この伊賀の若侍。
あらたまったようすで、お褥《しとね》の上に御紋付の膝をならべ、お脇息《きょうそく》を引きつけているときは、兄対馬守とはまた別の、一風変わった貫禄がそなわっていて、我武者羅な若々しいなかにも、着飾った競馬馬のような男性美があふれるのですが。
こうして、着流しでやくざ[#「やくざ」に傍点]に寝ッころがっているところは、また妙に御家人くずれみたいなひねった味が出て、女の子をポーッと上気《のぼ》せさせる。
清元《きよもと》か何かうなりながら、片手の蛇《じゃ》の目《め》に春雨をよけて、ニッコリ辻斬りでもやりそうです。
こんなことを考えながら、そばからこの源三郎の横顔を、ほれぼれと眺めているのは、お嬢様の萩乃だ。
「では、どうしても丹波をお斬りになりますの?」
萩乃は、源三郎の寝姿へ団扇《うちわ》で風を送りながら、そうきいた。
あの丹下左膳に連れられて、怖さとうれしさの交錯した不思議な気持で駈けつけた六兵衛の家に、病《やまい》を養っていた源三郎と、萩乃は、たえてひさしい対面をした。
それが、どうして知れたのか、翌日の夕方、この道場から安積玄心斎、谷大八などが迎いに来て、源三郎ともどもここへ引き取られたのです。道場へ帰ってからは、この座敷に源三郎のそばにつききりで、まだ継母《はは》お蓮様や峰丹波をはじめ、不知火の人たちには、姿ひとつ見せずにいる。
嫉妬にかられて、密告するつもりで知らせに来たあのお露は。
案に相違! ながらく行方不明だった若殿のいどころを教えてくれた大恩人だというので、下へもおかぬ待遇《もてなし》ぶり。お礼とあって、大枚の金子《きんす》までいただき、源三郎と萩乃様が帰って来るちょっと前に、父六兵衛の家へと、鄭重《ていちょう》に送りかえされた。
ちょうど萩乃源三郎と入れ違いに、なにが何やらサッパリわからないお露、狐につままれたような気持で父の家へ送られて行きましたが、これで見ると、この娘は、無意識のうちに、源三郎をふたたび道場へかえす役目を果たしたのです。そして、今後いかに、このお露が物語に現われてくるか?
それは後日のことといたしまして。
今。
やっぱり丹波を斬るのか、ときいた萩乃の言葉に、源三郎は無精ッたらしく首をねじむけて、
「彼が斬られるとかぎらぬサ。余が斬られるかもしれぬ」
「マア怖い!」
萩乃は団扇《うちわ》で顔を隠して、
「そんなことになったら、あたくしどういたしましょう。でも、やっぱりあなた様のほうが、お勝ちになるにきまっていますわ」
源三郎はこの萩乃を、いったいどう思っている? 愛しているのか、いないのか、誰にもさっぱりわかりません。
そのときです……。
雨戸の外の庭に、ポンポンと二つほど、手が鳴りました。
二
すぐ外の庭で、まるでかしわ手のように、手を打ち鳴らすのを聞いた源三郎は、ニヤッと笑って、
「拝んでやがらア」
と、つぎの間の一人へ、
「丹波から返事が来たぞ」
声に応じて、腰をかがめて縁側へ出て行った若侍が、しめ残してある雨戸から、庭前をうかがうと、すぐ下の沓《くつ》ぬぎの上に、緑の小枝が置いてあるのが、室内のもれ灯に浮かんで見える。
「なるほど、まいりました」
若侍は笑って、手をのばしてそれを拾い上げた。
明るいところへ持って来て見ると、葉のついた笹《ささ》である。
墨痕《すみあと》のにじんだ紙切れが、ゆわいつけてある。
源三郎は受け取って、
「今さら逃げを打つこともできまい。なんと言ってきたかな」
そう言いながら結び目をといてその二、三行の文字へ眼を走らせた伊賀の暴れん坊、
「馬鹿な!……真剣勝負に判定がいるものか。斬られて死ぬほうが負けにきまってるじゃアねえか」
「おお怖い!」
と、そばの萩乃が、両袖を抱くようにして顔をおおったのは、笑《え》みを含んでこう言いはなったときの源三郎の身辺に、一種言うべからざるすごみが、サーッと電光のように流れたからで。
源三郎づきの伊賀侍のうちから、首領株の数人が、這いだすように膝で畳をすって、つぎの間から現われた。源三郎は紙片を振りまわして、
「コレ、これを見るがよい。丹波め、すっかり臆病神にとりつかれたとみえて、立ちあいの判定がなければことわると申してまいった」
谷大八がのぞきこんで、
「フフン……お申しこしの儀は、真剣勝負とは申せ、柳生一刀流と不知火十方流のいわば他流仕合いにつき、相互の腕以上の判定者を立ちあわしむるを至当《しとう》とす。よって判定者として適当なる人なき場合には、せっかくながら御辞退申すのほかなく――ハッハッハッハ、峰丹波、今になって命が惜しいと見えるな。虫のよいことを申してまいったわイ」
横合いから、首をさしのべた他の一人が、その先を読んで、
「……判定なくして、他流仕合いを行なうは、当不知火道場のかたく禁ずるところにつき、か。ハッハッハ、うまい抜け道を考えたもんだな」
「それでは、先方の申すとおり、判定をつけようではございませぬか」
この大八の言葉は、主君源三郎へ向けられていた。ムックリ起き上がった伊賀の暴れん坊、ふところの両手を襟元にのぞかせて、頬づえのように顎《あご》をささえながら、
「おれもそう思っていたところだ……しかし、この判定は、おれ以上に腕のたつ者でなければならんと言うのだから――」
源三郎の頭に、このとき影のように浮かんだのは、隻眼隻腕、白衣の右の肩をずっこけに、濡れ燕《つばめ》の長い鞘《さや》を落し差しにしたある人の姿。
「だが、左膳のやつは、今ごろどこにいるだろう。用のあるときはまにあわず、用のないときにかぎって、ヒョックリ現われるのが彼奴《きゃつ》じゃ」
ポント膝をたたいた源三郎、
「そうそう! 兄貴に頼もう。兄対馬守をこの審判に引っぱり出そう。安積《あさか》の爺《じい》、そち大急ぎで、林念寺前の上屋敷へこの旨を伝えに行ってくれぬか。それから、大八、硯《すずり》と墨《すみ》を持ってまいれ。もう一度、峰丹波に笹の便りをやるのだ」
三
麻布林念寺前の上屋敷で。
柳生対馬守が、お畳奉行別所信濃守を招《しょう》じて、種々日光御造営の相談をしているさいちゅう、取次ぎの若侍が、縁のむこうに平伏して、
「ただいま、妻恋坂より、師範代安積玄心斎殿がお見えになりましてございます」
と言ったのは、玄心斎、こうして源三郎の命令で、急遽《きゅうきょ》、使いにたったわけでした。
日光の御山《みやま》を取りまいて、四十里の区域に、お関所を打たねばならぬ。用材、石、その他を輸送する駅伝の手はずもきめねばならぬ。打ちあわすべきことは山ほどあって、着手の日は目睫《もくしょう》にせまっているのですから、対馬守はそれどころではない。
気が向かないと返事をしない人だけに、例によって、知らん顔をしていましたが。
安積玄心斎……と聞いて、ピクッと耳をたてた。
弟源三郎につけてある爺が、この夜中に、何事――?
と思ったのです。
「ナニ、安積の爺が」
しばらく考えて、
「別間へ通しておけ」
そして、正面の信濃守へ向かって、
「私用で使いの者がまいったようじゃ。失礼ながら座をはずしまする。暫時《ざんじ》お待ちのほどを」
起きあがって、一間《いっけん》の広いお畳廊下へ出た。
ところどころに置いた雪洞《ぼんぼり》に、釘かくしが映《は》えて、長いお廊下は、ずっとむこうまで一|眼《め》です。
小姓に案内された玄心斎が、そのとき、すこし離れた小間へ通されるのが見えた。
無造作な対馬守は、スタスタと大股に歩いていって、安積老人のすぐあとから、その部屋へはいった。
うしろ手にふすまをしめながら、立ったままで、
「なんじゃ。用というのを早く申せ」
それへ手をついた玄心斎、雪のような白髪の頭を低めて、
「殿には、いつに変わらず御健勝の体《てい》を拝し……」
「挨拶などいらぬ。なんの用でまいったと言うに」
「またただいまは、御用談中を――」
「客を待たしてあるのじゃ。源三郎から、何を申してまいったのだ」
「殿と、司馬十方斎殿とのあいだに、源三郎様と萩乃様との御婚儀のこと、かたきお約束なりたちましたについて、てまえはじめ家来どもあまた、源三郎様にお供申し上げて、正式にこの江戸の道場にのりこみましたにかかわらず――」
対馬守は、源三郎によく似た、切れの長い眼を笑わせて、
「そもそもから始めたナ。長話はごめんじゃよ、爺」
「ハ……いえ、しかるに、先方に思わぬじゃまが伏在《ふくざい》いたしまして、十方斎先生のお亡《な》くなりあそばしたをよいことに源三郎様に公然と刃向かいましてな」
「わしは、たびたびその陰謀組《いんぼうぐみ》を斬ってしまえと、伊賀から源三郎へ申し送ったはずじゃが、そのたびに、源三郎の返事はきまっておる――かりにも継母《はは》と名のつくお蓮の方が、むこうの中心である以上、母にむかって刃《やいば》を揮《ふ》ることはならぬ。よって、持久戦として、すわりこんでおるとのことじゃったが」
「ハッ、その間、いろいろのことがござりましたが、殿、お喜びくだされ。明早朝を期し、元兇峰丹波と源三郎様と、真剣のお立ちあいをすることになりました。ついては、先方の申し出でにより、その判定を殿にお願い申そうと……」
四
「馬鹿言え!」
叱咤《しった》した対馬守、早くも半身、お廊下へ出かかりながら、
「爺も爺ではないか。そんな、愚にもつかんことを申してまいって。帰って源三郎にそういえ。自分のことは、自分で処
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