は?」
 思いきったようにきいた。

       四

 おしたく……下賤の者ならば、おや指と人さし指で、丸い輪を作って見せるところだが。
 そんなことはしない。
 問いを受けた対馬守は、源三郎によく似た鋭い眼を、ほほえませて、
「御貴殿は?」
 とききかえした。
 信濃守は、ちょっと頭を下げて、
「ハア、どうやらこうやら……御尊家《ごそんか》には、とうにこけ猿の茶壺が見つかったという評判で」
「そのとおり。某所《ぼうしょ》に埋ずめてあった伝来《でんらい》の財宝も、とどこおりなく掘り出すことができました。すなわちあれに――」
 と対馬守、すました顔で、床の間のほうへ眼をやった。
 別所信濃守も、これではじめて気がついたというわけではない。
 実は、さっきこの広い書院に通されたときから、それが気になっていたのだが……。
 その床の間には。
 小判をいくつか白紙で包んだらしい、細長いものを、山のように積み上げた三宝が、ところせましとまでならべられ、二段三段に重ねて置いてある。
 床脇《とこわき》の違い棚まで、小判を満載した三宝がならべられて……。
 この上屋敷へついた翌朝のこと、対馬守は主水正の案内で、その庭の隅、築山のかげへ行ってみたのです。将軍家からの救いの手として、愚楽老人はその部下の甲賀者を使い、一夜のうちに埋ずめておいた黄金《おうごん》。
 その場所には、主水正のはからいで、もっともらしく注連縄《しめなわ》が張りめぐらされ、昼夜見はりの番士が立っている騒ぎ。
 幕府の心がわかっている以上、これを掘り出して目前の日光修覆の用に当てればよいだけのことだ。
 ここは芝居をする気の対馬守、いかにも先祖伝来の大財産を、あのこけ猿の壺によって掘り出すといったおごそかなようすでした。
 斎戒沐浴《さいかいもくよく》して、お鍬《くわ》入れの儀式と称し、対馬守が自身で第一の鍬を振りおろす。
 もっとも、これは始球式みたいなもので、ほんのまねごと。
 対馬守の鍬が、そっと掃《は》くように地面をなでると、裃姿《かみしもすがた》の田丸主水正が、大まじめでお喜びを言上《ごんじょう》した。
 どこまでも、こけ猿の茶壺が発見《みつ》かって、それによってこの宝掘りになったということを、家臣の口から世間へ伝えさせ、信じさせるために、あの一風宗匠までがこのお鍬入れに引っぱり出されたのは、なんとも御苦労な話で。
 で、殿様につぐ第二の鍬は、一風宗匠。
 非常な老齢ですから、立っているだけでせいいっぱいだ。むろん、とても鍬なんか持てやしない。高大之進が鍬を持って掘るまねをすると、人の介添《かいぞえ》で一風がちょっと手を添えただけだ。
 こうして地中から取り出した金は、案の定、やっと日光の費用に間に合う程度だったが、これで柳生は、ともかく助かったというもの。
 ここに、床の間いっぱいにあふれるように、三宝にのせて飾ってあるのが、こうしたからくり[#「からくり」に傍点]のひそむ金であります。
 そんなこととは知らないから、信濃守はうらやましそう。しきりに感心していると、柳生対馬守は事務的に相談を進めて、
「サテ、お山止《やまど》めの儀でござるが……」
 と、言い出したとき、
「殿――」
 はるか廊下のかなたに、何ごとか知らせに来た侍《さむらい》の平伏する頭が、見えた。

       五

 はるか下がって、廊下に額を押し当てた若侍の声、
「申し上げます。ただいま……」
 ところが。
 だいたいこの柳生対馬守は、剛腹な人間の通例として、非常に片意地なところのあった人で、ふだんでも、気がむかないと、誰がなんと話しかけても知らん顔、返事ひとつしないことがある。
 おまけに、今は。
 お畳奉行別所信濃守様と、たいせつな日光着手の打ちあわせの最中ですから、対馬守、うるさいと言わぬばかり、ちょっと眉をひそめただけで、何事もなげに信濃守へ向かって、
「御承知のとおり、江戸から日光への往復の諸駅、通路、橋等の修理の儀は、公領のところは代官、私領は城主、地頭寺社領にいたるまで、すべてわれわれにおいて監督いたし、万《ばん》手落ちのないようにしなければならぬのですから――」
「お話ちゅうまことにおそれいりますが……」
 取次ぎの若侍が、そう一段声を高めるのを、対馬守はまた無視して、
「で、日光造営奉行が、拙者ときまりましてから、江戸にいる家老に申しつけて、日光を中心にした四十里の地方と、江戸からの道中筋、駅馬などを残らず吟味《ぎんみ》させましたところが」
「殿様! ちょっとお耳を!」
 どこ吹く風かと、対馬守はつづける。
「ところが、五石七石の田畑もちの小百姓はむろんのこと、田畑を多く持っている者も、馬を飼っている者は非常に少ない。まずこの、運搬に使用する馬の才覚が、このさい第一かと考えますが」
 若侍は、取りつく島もなく、黙ってしまった。
「全く」
 と別所信濃守は、うれい深げに腕組みをして、
「百姓は近年、なみなみならぬ困りようでございますが、穀種を他《た》から借り受けて、ようやく植えつけをすまし、本面《ほんづら》の額《たか》を手ずから作る者は、いたってすくないとのことです」
「実に窮乏の体《てい》に見えます。そこで、このたびの東照宮御普請は、各領その高々に応じて、人別で沙汰するようにするのですナ」
「殿、おそれながら……」
「日光山から四十里のあいだは、御修覆ができあがるまで、住民の旅立ち、その他すべて、人の出入りを禁ずることは、お山止《やまど》めと言って、これは先例のとおりです。各所に関所を設けて、この見張りを厳《げん》にせねばならぬ」
「さよう。それから、いっさいの雑役は、たしか宗門を改めたうえで、各村から人足を出させるのでございましたな」
「そうです。壮年組は二十五歳から五十歳まで、少青年組は十五歳から二十三歳までをかぎって、村々から人夫を取りたて、昼夜の手当と、昼飯料《ちゅうはんりょう》をとらせねばならぬ」
 対馬守は、今度のお役につき調べたところを、ボツボツ思い出しながら、
「すべてこの日光を取りまく四十里の地が、御修理に力を合わせることになるわけで、女子《おなご》にもつとめが科せられるはずだとおぼえておる。十三歳から二十歳までの女一人に、一か月につき木綿糸《もめんいと》一|反分《たんぶん》を上納させるんですな――」
 いつまで続くかわからない。たまりかねた取次ぎの若侍。
「殿! 司馬道場より、安積玄心斎殿がお見えになりました」
 思わずそう言いかけると、対馬守、クルリと膝を向けかえて、
「ナ、何? 玄心斎がまいったと? ナ、なぜ早く言わぬッ!」
 言おうと思っても、いう機会を与えなかったくせに。

   水打《みずう》つ姿《すがた》


       一

 女の子が人形の毛をむしったり、こわしてしまったりするのと、同じ心理。
 女性には、得《え》てこういうところがあるのかもしれない……大事な品でも、じぶんの手に入れることができないとわかれば、いっそ破壊してしまおうという本能が湧《わ》く。
 この場合は、それに嫉妬《しっと》が手伝って。
 父|六兵衛《ろくべえ》の家を、パッと飛び出した娘のお露《つゆ》。
 外はまだまっ暗だが、これから朝へ向かうのだから気が強い。しっとり露を含んだ地面に、下駄の歯を鳴らして、お露はいつしか、白い素足も乱れがちの小走りになっていた。
 目の前の闇よりも、彼女の心の暁暗《ぎょうあん》。
 それというのが……。
 父が三|方子川《ぽうしがわ》から救いあげてきた柳生源三郎、わが家の奥座敷に病《やまい》を養い、このお露が、朝夕ねんごろに看病《みとり》をするうちに、見る人が思わずおどろきの声を発するほどの、すごいような美男源三郎ですから、お露はいつからともなく、三方子川の川波よりもさわがしい胸を、源三郎に対していだくことになったので。
 由緒《ゆいしょ》のある人――もとより、はじめからそうにらんではいた。言《げん》を左右にして身分を明かさないところがなおいっそう、そう思われたのだが。
 しかし、知らなかった……知らなかった!
 あれが、本郷の有名な道場のお婿さんで、あんなきれいな――あんなきれいな奥様があろうとは!
「たしか本郷妻恋坂、司馬道場とやらの……」
 さっき、つぎの間のふすまのかげで、そっと立ち聞いたところでは、ボンヤリとだが、なんでもそういう話。
「でも、ほんとうにもう奥様なのかどうか――どうも二人の話では、ハッキリしないけれど、お互いに思い思われた同士のことは、あの模様でもよくわかる。それに、何やらあのお侍さんは、お婿入り先の道場とのあいだに事情があって、どうやら死んだことにでもなっているようす」
 両の袖をしっかり胸におさえてお露は足を早めながら、心の闇から外の暗《やみ》へ、苦しいひとり言《ごと》を吐《は》きつづける。
「とてもいわくがありそうだわ。ひとつ、その妻恋坂の道場とかへ知らせてやったら、どういうことになるかしらん――」
 深いことは知らないお露、ただもう嫉妬の焔に眼がくらんで……きっとあのお侍のいどころが知れれば、その道場から人が来て、あのお嬢さんとの仲を引きさくに相違ない。そうして、あの美しいお武家様が一人になったら、また自分へ、色よい言葉をかけてくださるかもしれぬ……。
 お露の頭には、このこと以外何もありません。こうして彼女が源三郎の所在《ありか》を道場へ通じることが、どう事件を浪《なみ》だたせて、自分は無意識のうちに、どんな運命の一役を買っているのか、そんなことを思うひまは、お露にはないのだった。
 ころがるように急ぐ道に、だんだん小石の影や、土の色がうっすらと見えてきた。東が白みかけたのだ。まもなく、途中ですっかり夜が明けはなれたので、疲れきったお露は、通りかかった辻駕籠《つじかご》を呼び止めて、早朝の女の一人歩きにいぶかしげな顔をしている駕籠かきへ、
「あの、駕籠屋さん、お父《とっ》さんが急病なんですが、お父さんのかかりつけのお医者様が、本郷の妻恋坂にいましてね、そこまでいそいで迎いに行きたいんですけれどやってくださいな」
 とお露、さっそくの機転でそう言った。そして、駕籠屋のうなずき合うのを待って、裾で足を包んだお露、スルリと乗りこんだのです。

       二

 ずいぶん気の長い話……だが、双方、意地になっているのだ。
 妻恋坂、司馬道場の屋敷内には、まだふしぎな頑張《がんば》り合いがつづいている。
 軒を貸して母家《おもや》を取られる――ということわざがあるが、まさにそのとおり。
 宏大な屋敷のほんの一部に、お蓮様、峰丹波など、以前からの不知火《しらぬい》道場の連中が追いつめられて、これは、小さく暮らしているに反し、奥のいちばんよい住居《すまい》のほうは、伊賀侍の一団が占領して日夜無言のにらみ合い。
 若君源三郎はいなくても、安積玄心斎、谷大八等、すこしもあわてません。
「なんの、源三郎様にかぎって、まちがいなどのあろうはずはない。かならず今にも、あのとおり蒼白いお顔で、ブラリと御帰還になるにきまっている」
 一同、こうかたく信じて疑わないから、源三郎がいなくても平気なものだ。あい変わらず傍若無人に振る舞って頑張《がんば》っている。
 ただ。ゆうべの今朝《けさ》。
 そのゆうべ、隻眼隻腕の浪人が道場のほうへあばれこんで、多勢《おおぜい》の司馬の弟子どもを斬りたおし、萩乃をさらって立ち去った……あのさわぎには、玄心斎をはじめ谷大八、どっちへついていいかとまちまちの議論が沸《わ》いたが、朝になってようすをうかがうと、お蓮様や丹波は、何事もなかったかのようにヒッソリとしている。
「たとい祝言はまだでも、萩乃様は若殿の奥方様じゃ。これはこうしてはおられぬ」
 という考えが、伊賀の連中のあいだにだいぶ有力だったのだが、これには何か仔細《しさい》ありとにらんだ玄心斎、今日《きょう》にも明日《あす》にも、どこからか手がかりの糸がほぐれてくるに相違ない。このさいいたずらにあわてまわるのは、策《さ
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