、こう時代な言葉でいばってみせたときだ。
 すぐうしろで、
「箱根を越してしまやア、もうこっちのものよ。箱根からむこう、お江戸とのあいだにゃア、化け物はいねえからの」
 という鉄火な声!
 ギョッとして振りむいた一同の眼にうつったのは、ちょうど一行が通りかかっている路傍に、大きな杉の老木……その杉の木の幹によりかかって、ニヤニヤ笑ってこっちを見ている、隻眼隻腕の立ち姿。
 噂をすれば影!――出たんです、案の定。
 それからのち、またたくうちに、その宇津谷峠の山道の草は、たんまり人の血のこやしをあびて、おまけに、丹下左膳のふところ帳「心願百壺あつめ」には、堀口但馬守おん壺、銘《めい》東雲《しののめ》、宇津谷峠にて……と、書き加えられていた。
 これはいくつ目か、わからない。
 一、秋元淡路守殿御壺、銘《めい》福禄寿《ふくろくじゅ》、日坂宿手前、菊川べりにて。
 一、大滝壱岐守殿おん壺、春日野《かすがの》の銘《めい》あり。
 一、藤田|監物《けんもつ》……の場合などは、これはからの壺を守って、宇治へ急ぐ途中でしたが、夕方、丸子の宿へかかろうとするとき、霧のように襲う夕闇に、誰も気がつかなかったのだが、あわただしい一人のさけびにフト心づくと、いつのまにまぎれこんだものか、左膳チャンと行列のなかにはいって、足なみそろえていっしょに歩いていた。
 藤田家重代の、松の下露の銘ある宝壺が、このときみごとに奪われたことは、言うまでもない。だが、心願の百までは、まだいくつあることやら。
 恋の憂さを忘れようと、街道に狂刃をふるう丹下左膳。

   お山《やま》四十|里《り》


       一

 江戸へ着いた柳生|対馬守《つしまのかみ》一行。麻布|林念寺前《りんねんじまえ》の上《かみ》やしきで、出迎えた在府《ざいふ》の家老|田丸主水正《たまるもんどのしょう》を、ひと眼見た対馬守は、
「主水ッ! 御公儀のお情けで、名もなき壺に秘図を封じこめ、屋敷の庭隅に大金が埋ずめあるなどと……貴様、いいようにされて、つかまされたなッ」
 とどなった。
 剣眼|隼《はやぶさ》よりも鋭い柳生対馬守さすがに、あの、上様と愚楽と、越前守とで編みだしたからくりを、まだ話を聞かぬ先に、みごとに見抜いてしまったのだ。
「恐れながら、かの愚楽老人より、それとなく申しふくめられまして……日光は迫るワ、こけ猿《ざる》は見つからぬワ、という御当家にとり危急存亡の場合、ともかく、このお庭隅に一夜づけに埋ずめました金銀を掘り出しまして、さっそくの御用にあい立てましたほうが、策の得たるものかと存じまして――」
 対馬守は、不機嫌に黙りこんだ。
 これは主水正の言うとおりで――将軍吉宗の考えとしても、日光に事よせて、隠してある金を使わせるのが目的。こけ猿がなければ日本一の貧乏藩に、大金のかかる日光を押しつけて、柳生家を取り潰してしまおうというのは、決して本意ではない。
 柳生だって、ない袖は振られぬから、そこで、どんな騒動が持ちあがらないともかぎらない。苦しまぎれに暴れだして、天下の禍根とならないともかぎらない……というので、今になって、いわば救いの手をさしのべたわけだ。
 これは、愚楽老人と大岡越前守の献策。
 いかに剛情我慢の対馬守でも、今の場合、これをこけ猿によって得たもののごとくよそおって、掘り出さざるをえない。
「いつもながら上様のおこころ配り、行きとどいたものじゃ。ありがたいかぎりじゃテ」
 苦笑を浮かべてつぶやいた対馬守は、やがて、声をひそめて、
「そこで田丸、真《しん》のこけ猿じゃが――まだわからぬかの?」
「は、なにぶんどうも、偽物《ぎぶつ》ばかり現われまして……いつどこで紛《まぎ》れて、何者の手に入りましたやら、とんと行方知れずにあいなり、まことに遺憾至極ながら、手前、勘考いたしまするに、こけ猿なるものは、もはや世にないのではないかと……」
「なに、もはや世にない?」
 眼を怒らせた対馬守が、老家老を睨《ね》めつけたとき、
「オヤ、殿様、こちらでしたか。あら、このお爺さんは?」
 伝法な女の声が、横手のふすまをあけて、このお上屋敷の主従対座の席へはいってきた。
 人を人とも思わない言葉に、主水正がびっくりして見あげると、櫛巻お藤!……ということは、もとより田丸主水正は知らない。
 椎《しい》たけ髱《たぼ》にお掻取《かいと》り、玉虫色の口紅《くちべに》で、すっかり対馬守お側《そば》つきの奥女中の服装《なり》をしているが、言語《ことば》つきや態度は、持ってうまれた尺取り横町のお藤|姐御《あねご》だ。
 それが、くわえ楊枝《ようじ》でぶらりとはいってきて、殿様の横へべったりすわったんですから――いかさま妙な取りあわせ。
 田丸老人がおどろいたのは、もっともで。
「殿、この女《もの》はいったい――旅のお慰みとしても、チトどうもお見苦しくは……」
「イヤ、さような儀ではない。いたって野育ちの女芸人、余にチト考えがあって、かように虜《とりこ》にいたしておくのじゃ。側女《そばめ》などでは断じてない。安心せい、安心せい」
「ホホホ、お大名のお妾なんて、そんな窮屈な役目は、こっちからこそごめんだよ。お爺さん、安心おしよ。なんてキョトンとした顔してるのさ」

       二

 対馬守は、ふと思い出したように、
「源三郎はいかがいたした」
「ハイ、それが、その、実は……」
 と主水正は、言いよどんだが、
「たびたび御書面をもって、上申《じょうしん》つかまつりましたとおり、司馬《しば》先生生前より、妻恋坂の道場に容易ならぬ陰謀がありまして――」
「イヤ、それは聞いた、聞いた。その後どうなったかとたずねておるのじゃ」
「あくまで源三郎さまを排除申しあげんという一味の秘謀らしく、源三郎様には、先ごろより行方知れずになられ――」
 それを知りながら、なぜ腕をこまねいておるかッ? 高大之進《こうだいのしん》をはじめ、腕ききの者をそろえて出府させてある。それよりも、源三郎つきの安積玄心斎《あさかげんしんさい》、谷大八《たにだいはち》等は、いったい何をしておるのじゃッ!……と、頭ごなしにどなりつけられるかと主水正首をすくめて、今にも雷の落ちるのを待っている気持。
 と。
 笑いだしたのだ、対馬守は、肩をゆすぶり、腹をかかえて。
「はっはっは、イヤ、心配いたすな。あの源三郎にかぎって、自分の身ひとつ始末のできん男ではない。ことには、玄心斎と申す老輩もついておること。司馬道場の儀は、源三郎にまかせておけばよい。婿にやった以上、いわば彼の一家内の紛争じゃ。それくらいの取りしきりができんようで、この対馬の弟と言われるか、アッハッハッハッ」
 剛腹な笑いを頭から浴びて、主水正は、ホット助かった心地――相変わらず太っ腹なお殿様だと、たのもしさが涙とともにこみ上げてくる。
 ふと対馬守は、遠いところを見るような眼《まなこ》になって、
「どこにいるかの……源三郎は、この兄の出てまいったことも、知らぬであろう。からださえ達者なら、大事ないが……」
 あらそわれぬ兄弟の情です。
 が、対馬守はそれを振りきるように、ふたたび主水正へ、
「当ててみようかノ?」
「何を、でございます」
「上様のお手で、一夜のうちにこの屋敷の隅に埋ずめた金額を――サア、まず、日光修覆にカッキリ必要なだけ。それより百両と多くもなく、また、百両とすくなくもないであろう」
「まずさようなところかと……なにしろ、あの愚楽老人のやることでございますから」
 と主水正《もんどのしょう》は、はじめて微笑をもらした。
「田丸、上様に日光の金を出してもらうなどと、イヤ、とんだ恥をかいたの。だが、わが藩に金を使わせる気で、その金を御丁寧に、こっそり庭の隅に埋ずめておかねばならん羽目にたちいたったとは、徳川もいい味噌《みそ》をつけたものじゃ」
 主水正はギョッとして、
「これッ、殿!」
 と口で制しながら、眼は、鋭くかたわらのお藤へ。
 その警戒を見てとって、お藤|姐御《あねご》はニッコリ、
「フン、あたしの前で、公方様の悪口を言ったって、なにもそんなに用心することはありゃアしない。将軍様にしろ、隻眼隻腕の浪人さまにしろ、お侍の悪口なら、こっちが先に立って言いたいくらいだよ」
「こういう女じゃ」
 対馬守は愉快そうに笑って、主水正へ、
「別所信濃《べっしょしなの》へ、早々《そうそう》余の到着を知らせたがよいぞ」

       三

 元和《げんな》二年、家康が駿府《すんぷ》に死ぬと、はじめ久能山《くのうざん》に葬ったが、のちに移霊の議が起こって、この年の秋から翌年の春にわたって現在の地に建立されたのが、大猷廟《だいゆうびょう》をはじめ日光の古建築である。
 これが元和の造営。
 その後さらに、寛永に大改造が行なわれて、だいたい今見るような善美壮麗をきわめた建物となったのです。
 この寛永の大造営には、酒井《さかい》備後守《びんごのかみ》、永井《ながい》信濃守《しなののかみ》、井上《いのうえ》主計頭《かずえのかみ》、土井《どい》大炊頭《おおいのかみ》、この四名連署の老中書付、ならびに造営奉行|秋元《あきもと》但馬守《たじまのかみ》のお触れ書が伝えられている。
 寛永八年ごろから、ボツボツ準備して、実際の仕事に取りかかったのが十一年の秋。約一年半で、工事を終わった。その間に仮殿をつくり、遷宮をして、それから本殿の古い建物を壊し、そこへ新築したのだから、一年半でこれらの大工作が終わったとは、実におどろくほど神速であったと言わなければならない。
 付属の建物は、その後にできたものも多いが、宝塔はこのとき石造りに改められ、その他、日光造営帳によると、本社を中心におもな建造物はみなで二十三屋、たいへんな事業でありました。
 有名な水屋前の銅の鳥居も、この寛永寺の造築に、鋳物師|椎名兵庫《しいなひょうご》がつくったものであります。
 この鳥居の費用が二千両、今《いま》でいうと七、八|万円《まんえん》だそうですから、いかに豪勢なものか想像にあまりある。
「まず、だいたいにおいて、この寛永の御造営を模《も》して、これにしたがってゆこうではござらぬか」
 林念寺前の上屋敷、奥の広書院に客を招じた対馬守は、主客席が定まってひととおりの挨拶ののち、すぐこう言って、相手を見た。
 相手というのは。
 対馬守入府の通知を受けて、いま小石川第六天の自邸から、打ちあわせに来た別所信濃守です。
 賄賂《わいろ》の出し方が少ないというので、今度の日光修営に、副役ともいうべきお畳奉行を当てられた人で。
 屋敷の門を出るまで、
「名誉じゃ、名誉じゃ。イヤ、運の悪い名誉じゃテ」
 と、ほとんどべそをかかんばかりだったが。
 名指しを受けた以上、否応《いやおう》はありません。
 くすぐったいような、泣き出しそうな顔で、いま対馬守の前にすわっている。
 蒼《あお》い頬、痩せたからだ。金のかかるお畳奉行は、なるほど重荷に相違ない……貧相な人だ。
 ここでひとことでも対馬守が、ほんとに今度はえらい目にあって――とでもいうようなことを言ったら、同病あいあわれむで、すぐ本音を吐《は》き、愚痴をならべ出す気の別所信濃守だが。
 主役たる造営奉行の肚《はら》がわからないから、めったに不平《こぼ》すことはできない。
 へたに迷惑らしいことをいおうものなら、公儀へ筒ぬけともかぎらないので。
 対馬守も同じ心だ。
 たぶんまいっているのだろうとは思うが、相手の気持がハッキリしないので、うち明けて、どうも困ったことに……とは言えない。
「諸侯のうらやむお役を引き当てましたことは、一身一藩の栄誉、御同慶至極に存じまする」
「さようで。拙者一度は、この日光のおつとめをいたしたいものじゃと、こころがけておりましたが、やっとその念願がとどいたわけで」
 と二人は、しごくまじめ顔だ。
 本心をさぐり合うような眼を交わしている。
「ところで――」別所信濃守は言いにくそうに、しばらくモジモジしていたが、
「あの、おしたく
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