ふらふらしている左膳の腰を、通りぬけざま、ドウッ! 足をあげて蹴たおした。
 空《くう》を泳いだ左膳、ヒトたまりもなくペタンと砂に尻餅をついたまま、行列の遠ざかるのを、しばらくじっと見送っている。
 長い長い千本松原に、槍の柄が光り、お定紋に潮騒がまつわって、だんだん小さくなってゆきます。絵のよう……。
「ウフフ!」
 小鼻で笑った左膳、砂をはらって起きあがりました。

       四

 その松原も、もはや出はずれようとするころ。
 さっき左膳を、最後に蹴とばしてきた色の黒い侍。
「イヤ、そのときおれは、それは筋道が違うと、榊原に言ってやったのじゃ。いくら養子の身だからとて、そうまで遠慮する必要は、おれはないと思うのじゃが、何しろ、相手が相手じゃから……」
 と同僚の噂話であろう。横にならんで行く、浅黄のぶっ裂き羽織を着た四十あまりの士《ひと》と、しきりに話しこんでゆく。
 と!
 ふとうしろに、人の気配がした。なにごころなく振りかえってみると、まるでくびすを踏みそうに、さっきのみすぼらしい乞食浪人が、尻きれ草履を鳴らしてピタピタあとを追ってくる。
「こやつ、いつのまに――?」
 噛みつきそうににらむと、その白衣の浪人は平気で、なおも背中がくっつきそうに追いすがってくるのだ。
「オイ、いいかげんにせんか。見れば貴殿も侍のなれのはて、いくら狂人でも、詮ない悪戯はよしたがよかろう」
 ぶっさき羽織が、
「マア、よい。さような者にかまうな。そこで榊原の問題だが、本人の心底は、いったいどういうのであろうな」
 二人とも左膳などは、眼中にない。世間話をつづけて、ふたたび歩をすすめようとするとたん。
 すぐ背後で、しゃがれた声がした。
「心底か。うふふ、おれの心底を見せてやろうかの?」
 人の話に割りこむように左膳二人をかきわけてなかへはいってくる。
「うるさいッ! エイッ! とめどのないやつじゃッ!」
 かんしゃく袋を破裂させた色黒の武士、しろがねの光が、突如横に流れたかとおもうと、抜いたんだ、やにわに左膳を目がけて……。
「オットットット! あぶねえあぶねえ」
 左膳、はじめて声を出した。愉快でたまらなそうな笑い声だ。が、依然としてふところ手のまま、
「抜いたな、ぬいたな。オイ、いったん刀を抜いた以上、そのままじゃア引っこみがつくめえ。いやいやながら丹下左膳、お相手つかまつるとしようかノ」
 頬の肉をピクピクさせて、顔をななめにつきだして相手を見ながら、ソロリソロリ左手を出す。同時に左膳、びっくりするような大きなあくびをした。
「ああウあ! そうだ、思い出したぞ。丸に一の字引きは、石川家だな。うむ、石川左近将監……」
 左膳があくびをするのは、鬱勃たる剣魔の殺情が、こみあげてくるときで。
 ところが、相手は、そんな危険な人物とはすこしも知らないから、
「狂人のくせに何を申す。たたッ斬ってしまうぞ!」
 一刀のもとに……と思ったのでしょう、いきおいこんで真っ正面から、打ちおろした。
 が! ふしぎ! 左膳はいつ抜いたのか、そして、いつ斬ったのか、ただ左手をこともなく左へはらったように見えたのだが、もう、腰の濡れ燕は鞘だけ。その鞘もとに、細長い三角形の穴が黒々とあいて、、刀身はすでに、左膳の片手にブランと持たれている。
 それよりも。
 その濡れ燕から一筋の赤い血潮が、斬尖《きっさき》を伝わって白い砂に、吸われる、吸われる。
 どうしたのだろう!……と見れば、色の黒い、口の大きな侍、腹を巻きこんで砂にすわったまま、動かない。一太刀に胴をえぐられたのだ。
「おい! 返せ、返せ。狼藉者だッ!」
 ぶっさき羽織が、さきへゆく行列へ呼ばわった。

       五

 長い行列の先頭に立っていた竹田なにがし。
 うしろのほうから、人のくずれたつ騒ぎが伝わってきても、はじめは、それほどの大事とは思わなかった。
「たいせつの御用だ。喧嘩はひかえろッ、ひかえろッ!」
 同士打ちと思ったのです。
 二、三人の若侍を引き連れて、砂をまき上げてしんがりのほうへかけかえってみると、すでに五、六人の供の者が、浪打ちぎわや松の根もとに、あるいはうずくまり、あるいはのた[#「のた」に傍点]うちまわって、浅黄色のぶっさき羽織を着た一人などは、あわてふためいて海のほうへかけだして倒れたらしく、遠浅のなぎさにのけ[#「のけ」に傍点]ぞった彼の死骸。
 その平和な死顔を、駿河湾の浪が静かになでている。
「竹田氏、竹田氏ッ! さきほどの痩せ浪人ですッ!」
「イヤ、おどろきいった腕前、またたくうちにこのありさま」
「かような手ききは、見たことも聞いたこともない」
 と一同、口をそろえてわめきたてたが――それはそうだろう、おどろくほうがどうかしている、何しろ相手は、丹下左膳だもの。
 が、こうなっても竹田は、自分が今、この千本松原でいのちを落とすことになろうとは、夢にも思いません。
 思わないから、えらい元気で、剣輪のなかの左膳をどなりつけました。
「不所存者めがッ! 石川様のお壺行列へ斬りこむとは、いのち知らずの大たわけめ、そこ動くなッ!」
 動くななんて言わなくたって、壺を手にしない以上、左膳のほうこそ、金輪際動く気はない。
 数十人の石川家家臣に取りまかれた丹下左膳は、柄《つか》もとまで血によごれた濡れ燕を、左手にぶらさげて、眠ったようにたっている。
 胸がはだけ、裾はみだれて、女もののはでな長襦袢に、さわやかな潮風が吹く。
 いつのまにかはだしになり、脱いだ草履を裏あわせに、帯の横ちょへはさんで、今にもくずれそうにヒョロッとつっ立っているんですから、姿は無気味だが、見たところ、とても弱そう……。
 つい今しがた、これらの人間を斬り捨てた左膳の働きを、もし竹田が見ていたら、もうすこし警戒もし、また他に取るべき手段もあったでしょうが、何しろ行列の先頭にいて、知らないんです。左膳の左膳たるところを。
 倒れている仲間は、あわてすぎて、たがいの剣がふれたのだろう、ぐらいに考えた竹田某は、
「竹田殿ッ、御用心なさらぬと……」
 などと注意する声を背中に聞いて、いきなり抜刀をひっさげ、ツカツカと左膳の前へ出かけて行った。
「ほほう、でえじにすりゃア一生使える命、そんなに斬ってもれえてえのか」
 左膳はそう言って、薄く笑った。そして、下唇を突き出して、フッフッと息を吹き上げるのは、ひたいに垂れかかる乱髪が邪魔になるのです。
 竹田の存在など、てんで眼にもはいらないように、いつまでも毛を吹き上げている。
「地獄の迎えだッ!」
 うめいた左膳、割り箸を開くように、二本のほそいあしがパッととびちがえたかと思うと、その上体はたいらにおどって、竹田の右肩から左脇腹へかけて一閃の白い電光がはしったと見る!
 それきりです。
 いばりかえった顔のまんま砂まみれに二、三度ころがった竹田の死骸。
 一同は、わけのわからない叫びをあげて、ちらばりだした。

       六

 異様な微笑をもらした左膳、追いすがりに、タタタと砂をならして踏みきるがはやいか、また一人二人、うしろから袈裟《けさ》がけに……。
 なめきっていた相手に、この、神《しん》に似た剣腕があろうとは!
 石川左近将監の家来一統は、白い砂浜にごまを散らすように、バラバラバラッと――。
 宰領の竹田が、血煙たてて倒れたのですから、もう壺どころのさわぎではない。
 お壺の駕籠をそこへおっぽりだしたまま。
 雲をかすみ。
 みごとな黒塗りのお駕籠が、砂にまみれてころがっている。
 走り寄った左膳は、ニッコリ顔をゆがめながら――これがほんとうの思う壺だ。
 手の濡れ燕をもって、バリバリッと駕籠の引き戸を斬り破り、錦の袋につつまれた茶壺を、刀の先に引っかけてとりだした。
 石川左近将監自慢の、呂宋《ルソン》古渡《こわた》りのお茶壺です。
 濡れ燕を砂に突き立てた左膳。
 ひとつきりの左手と、歯を使って、袋の結び目をといてみた。出てきたのは、朱紐《しゅひも》で編んだスガリをかけた、なるほど茶壺には相違ないが、目ざすこけ猿とは似ても似つかない。
 が、左膳はべつに失望もいたしません。
 これがこけ猿の茶壺でないことは、はじめからわかっている。
 こうやって、宇治の茶匠のあいだを往来《ゆきき》する大名の壺を、かたっぱしからおそっているうちには、どういうはずみでか、何者かの手にはいった真のこけ猿に出会わないともかぎらない。こういう左膳の肚ですから、なんでもいい、壺とさえ見れば掠奪するのだ。
 今日はその第一着手。
 煮しめたような博多の帯に、左膳、矢立をさしている。
 それを抜き取って、つぎに懐中から、懐紙を二つに折った横綴の帳面を取りだした。
 表紙を見ると、左膳一流の曲がったような、一風格のある字で、
[#ここから4字下げ]
心願百壺あつめ
   享保――年七月吉日
[#ここで字下げ終わり]
 と書いてある。
 大名の茶壺行列へ斬りこんで、これから百個の壺を集めようというのらしい。七月吉日とありますが、斬りこまれるほうにとっては、どう考えて[#「考えて」は底本では「孝えて」]もあんまり吉日ではありません。
 これは、その筆初め。
 片膝ついたうえに、その帳面の第一ページを開いた丹下左膳。
 片手ですから、こういうときはとても不便だ。
 矢立を砂に置き、筆を左手に持ちかえて、たっぷり墨をふくませたかとおもうと、
[#ここから3字下げ]
「石川左近将監殿御壺一個、百潮《ももしお》の銘《めい》あり
   駿州千本松原にて」
[#ここで字下げ終わり]
 と、サラサラとしたため終わった。
 そして、片手に壺を握るやいなや、
「百潮というからには、海へ帰りゃあ本望だろう」
 ドブーン――!
 うちよせる波へ、その壺を投げこんでおいて、あとをも見ずにスタスタ歩きだした。
 ほんとに、百の壺を集めるうちには、どういういきさつで真のこけ猿が現われないものでもないと、左膳はまったく信じているのだろうか。
 そんなことは、どうでもいいので。
 茶壺というものに対して、魔のような迷執を持ちはじめた丹下左膳、ただ、壺を手にすればいいのだ。いや、濡れ燕に人血を浴びさせればいいのだ。ひょうひょうとして左膳はたちさって行きます。

       七

 東海道の道筋に、白衣をまとったおそろしく腕のたつ浪人者が、伏せっていて、やにわに路傍の藪からおどり出ては、それも奇妙に、茶壺の道中だけをねらう……。
 というので、人呼んで藪の白虎。
 これが宿場宿場の辻々に評判になって、人々みな恐れをなしたのは、このときである。
「駿河の国にいたりぬ、宇津の山にいたれば、蔦《つた》、楓《かえで》はえ茂りて道いと細う暗きに、修行者に逢いたり。かかる道をば――」
 伊勢物語の一節。
 この宇津谷峠《うつのやとうげ》で出会ったのは、修行者だったからいいようなもの――。
 安倍川《あべかわ》を西に越えると、右のほうにえんえんたる帯のような、山つづきが眺められる。箱根から西で名の高い、宇津谷峠というのはこれだ。山のいきおいは流れて、高草山となり、ものすごく海にせまっている。
 宇治の茶匠からの帰り、茶のいっぱい詰まった壺を、例によってお駕籠へ乗せ、大勢で守護して通りかかったのは、堀口但馬守のお喫料《のみりょう》を、これから江戸屋敷へ届けようという一行。
「なんの。これだけの人数のそろっておるところへ、その藪の白狐とやらが現われたところで」
 と、供のなかで、そう大声をあげたのは、額の抜け上がった四十五、六の侍だ。
「白狐ではない。白虎じゃ」
 一人が訂正して、
「イヤ、いずくの藩中でも、お壺の守護はおろそかにはいたさぬに相違ないが、それでも、噂によれば、かなりやられておるということだぞ。岡本能登守様、井上大膳亮殿、これらがみんな壺を奪われ、あまつさえ、すくなからぬ人命を失ったとのことじゃ」
「ナアニ、いかに腕が立てばとて、相手は浪人者ひとり、なにほどのことやある」
 とまたべつの一人が
前へ 次へ
全43ページ中21ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング