。ソレ受け取れッ!」
左膳の片手に押されて、はなやかな風のように、バタバタと部屋へはいってすわったのは、萩乃……。
左膳もその横手に、ガッキとあぐらを組んだが、お露は、もうはじかれたように逃げだして、その姿はすでに室内になかった。
三
あらっぽい左膳の友情……。
萩乃は、その左膳に押されて、くずおれるように座敷へはいったとき、むこうのふすまのかげに、チラと赤い帯の色が動いて、誰か若い女が出て行ったようす。
逃げるようにお露の去ったのを萩乃は眼ざとく、眼のすみで意識しながら、たえてひさしい源三郎の前に、お屋敷育ちの三つ指の挨拶。
「源三郎さま、おひさしぶりでございます。あなた様は、もうどうおなりあそばしたかと、お案じ申しあげておりましたに、よくまア御無事で――源三郎さま、おなつかしゅうございます」
やっとひとりの女が去ったかと思うと、また一人。
女難に重なる女難に、源三郎は、その切れのながい眼をパチクリさせて、かたわらにすわっている左膳をかえりみ、
「これはいったいなんとしたのだ、左膳」
「ワハハハハハ、おれがいたとて、遠慮は無用だ。だきつくなり、手を取るなりするがよい。それとも、こんな化け物でも、人間のはしくれであってみれば、人前でイチャツクことはできねえと言うのなら、おらア、ドロドロと消えるとしよう。アッハッハッハ」
豪快な笑いの底に流れる、身を切るような一抹の哀愁……源三郎も萩乃も、それに気のつくすべのないのは、やむをえないが。
左膳が、火のように恋している萩乃は、いま、死んだと思ったすきな男を眼の前にして、この、狂気のような喜びようである。それを見ていなければならない左膳の苦悩は、煮えたぎる鉛の沼。
剣魔左膳の恋は、誰も知らない。誰も知らない。病犬のように痩せほそった左膳の肋《あばら》骨の奥と、膝わきに引きつけた妖刀濡れ燕のほかは。
どうして萩乃がここへ――。
と、源三郎は、なおも不審顔です。
左膳の一眼、萩乃と源三郎をかたみに見ながら、
「おれは今朝、源三にだまってブラリとここを出たが、あの足ですぐ妻恋坂の道場へ行ってみると、何やら今夜儀式があるとかで、屋敷じゅうざわめいているじゃねえか。これはさいわいと土蔵へ忍びこみ、鎧櫃にひそんでいると……ナア源三郎、これがおめえのまだ運のつきねえところというのだろう。夜になると、そのおれのはいった鎧櫃が、道場の正面へかつぎ出されて、その前で遺跡《あとめ》相続のかためが始まったのだ。道場のあるじに直ろうとしているのは言うまでもなく峰丹波」
萩乃があとを受けついで、
「ハイ、丹波は、二世十方斎の名と、継母《はは》お蓮の方とを天下はれて手に入れようとの魂胆でございます。そのために、わたくしの……」
言いさした萩乃の頬は、行燈の灯を受けて、秋の入り陽にはえる紅葉のように赤い。
むすめ心にためらったが、やがて思いきって、
「わたくしの――夫ときまった源三郎様を亡き者にしようとし、また、このわたくしをも押しこめ同様に……」
すると、左膳、思い出したように笑って、手近な大刀を引きよせてホトホトと鞘《さや》をたたきながら、
「コレ、濡れ燕、おめえもよく働いてくれたが、残念だったなア、丹波をうちもらしたのは」
じっと何か考えこんでいたが、不意にほがらかに、
「サ、これでいい。萩乃と源三郎を会わしてしまえば、丹下左膳の役目はすんだのだ。サア、おれはこれから……」
濡れ燕をトンと杖について、左膳、やにわに起とうとするから、源三郎はあわてて、
「オイ、ちょっと待ってくれ。萩乃とおれを二人きりにして――困るなア、どうも」
四
左膳は中腰のまま、
「惚れられた女と二人きりになって、困るってやつもなかろうじゃアねえか、ハッハッハッハ」
「イヤ、ところがその、実は、その……」
と源三郎は、しどろもどろだ。
真っかにはにかんでいる萩乃を左膳は首を動かして、チラと見ながら……左の眼しかないので、首ごと動かさないと横のほうは見えないのだ。
かわいそうな丹下左膳、泣くように苦笑して、
「イヤ、どう考えても、おらアこの場のよけいもんだよ。萩乃さんにうらまれねえさきに、消えてなくなったほうがかしこそうだぜ」
「イエ、あの、けっしてそんなことは――」
やっとそれだけ口にした萩乃、自分に対する左膳の胸中など、知る由もないから、なんというこまかい心づかいをしてくださる苦労人であろう! こわいばかりがこの方の身性ではない。ほんとうに思いやりのある!……と、眼に千万無量の感謝をこめて左膳を見あげ、
「なんとお礼を申しあげてよいやら――あの、源三郎さま、こちら様のおかげで、こうしてあなた様のもとへ連れて来ていただくことができました。どうかお礼をおっしゃって」
源三郎は迷惑顔、
「だが、何もおれが、萩乃さんをつれて来てくれと頼んだわけじゃアなし――」
「コレ、源三! てめえ何を言う。おれはおめえのためにしたんじゃアねえのだ。萩乃さんの心を察して、この出しゃばりな役をつとめたのだよ。こんなにおめえ一人を思っている萩乃さんの心中を、すこしでも考えたら、こら、源三、そんな口はきけめえが」
起ちあがった左膳は、濡れ燕の鞘尻で帯をさぐりながら、ぐっと落し差し……一本きりの左の手を、懐《ふところ》ふかくのんで、ブラリと歩きだしながら、
「源三、こんなに女の子に思われるのは、あだやおろそかなことじゃアねえぞ……」
そういう左膳の声は、かすかにふるえて、
源三郎はいつしか、キチンと床の上にすわりなおしていた。
「しかし、弱ったなあ。今ここへ萩乃を置き去りにされても……マア、左膳、頼むから、もうすこしおれといっしょにいてくれ」
「いたくても、萩乃さんの邪魔になる。このひとがどんなにおめえを恋いしたっているか――それを思ったら源三、な、すこしもはやくからだを丈夫にして、首尾よくあの道場を乗っ取れよ。なア、そのときあこの丹下左膳、大手を振って遊びにゆくぞ、ハッハッハ」
「こ、これ、あなたもいっしょに、左膳を止めてください」
と源三郎は、萩乃へ、
「私があぶないところを助かったのは、みなこの左膳のおかげだ。穴の底から三方子川へ浮かびあがることのできたのも、また、この家のあるじ漁師六兵衛に救われたのも、みんな左膳がいたればこそだ。萩乃、こころから左膳に礼を言ってくれ」
萩乃は、あらたまって左膳の前に両手をつき、
「なにから何まで、ほんとうにありがとうございました。源三郎様のことといい、今夜のことといい、御恩は生涯忘れはいたしません」
その、身も世もなくよろこばしそうなようすを、左膳はしばらくじっと見おろしていたが、
「イヤ、萩乃さん、あんたにそう言われただけで、おれは、このうえの満足はない。無事な源三の顔が見られて、うれしいだろうなア萩乃さん」
「ハ、はい……」
「ははははは、そうだろうなあ。大事にしてあげなさいよ。源三、行くぜ」
「さ、さ、左膳。ド、どこへゆく?」
「どこへ? それはおれにもわからぬ。この腰の濡れ燕にきいてくれ」
五
夜明けの一刻《いっとき》前……。
闇黒《やみ》がひときわ濃いときがあるといいます。明け方の闇は、夜中の闇よりもいっそう深沈として――その暁闇《ぎょうあん》につつまれた左膳、源三郎、萩乃の三人は、それぞれの立場で、凝然と考えこんだままだ。
だが、このほかにもう一人。
うば玉の暗黒《やみ》よりも濃い心の暗闇に、すすり泣きの音《ね》をこらえている女がひとり――それは、次の間のふすまのかげに、この一伍一什《いちぶしじゅう》をもれ聞いたこの家の娘、お露でした。
思う源三郎には、自分よりさきに、あんなにあの方をしたっているこの萩乃とやらいう美しいお嬢様がある……と知って、彼女の心は暁闇にとざされたのでした。
萩乃は萩乃で、こんなにまでしたっている源三郎が、すこしもその愛の反応を見せてくれないのが、まるで、くらやみの山道に迷ったように、こころ寂しい。
当の源三郎は……。
たぶんに不良性のある彼のことだ、萩乃にしろ、お露にしろ、女という女には、面とむかえば、おざなりに、すいたらしい言葉の一つや二つは吐こうというものだが、そのすぐあとで、けろりと忘れてしまうのが、この源三郎の常なので。
女にかけては悪魔的な源三郎。それに思いを寄せるとは、萩乃もお露も、因果なことになったものといわなければなりません。
それよりも。
恋する女を友情ゆえに、思いきるばかりか、こうして自分がなかだちとなって、その二人をまとめてやろうとする丹下左膳の心中、そのつらさはどんなでしょう! 四人四様に黒い霧のような心の暁闇。
「ゲッ、おれはなんだって、こんなところに、ぼんやり立って考えこんでいるんだ。ホイ、焼きがまわったか丹下左膳」
そう思い出したように苦笑した左膳は、
「それじゃア源三、しっかり萩乃さんをかあいがってやれよ。手鍋さげてもの心意気でナ」
もう、とめるまはなかった。
病みほうけた源三郎が、片膝おこして追おうとしたとき、白鞘《しらざや》の刀を見るような丹下左膳の姿は、すでに部屋から、小庭から、そして木戸から、戸外《そと》のあかつきの闇黒《やみ》へのまれさっていたのでした。
「ほんとによけいなことをする人! あんなお屋敷のお嬢さんなどを、わざわざ源様のところへ引っぱってきたりなんかして、人の気も知らないで、いけすかないったらありゃアしない!」
人知れずお露は、唐紙《からかみ》のかげで歯ぎしりをして、泣き沈んだのでしたが、これはたちさってゆく左膳の耳にはむろん、となりの部屋の萩乃、源三郎にも聞こえなかった。
朝の闇にとけさった丹下左膳は、このつぎどこに、あの濡れ燕を駆って現われることでしょうか?
それはしばらく、そのままにして。
ばつの悪い思いで萩乃様の前に残されたのは、伊賀の暴れん坊です。
許婚《いいなずけ》どころか、自分としては、もう妻という建て前で、それで丹波とお蓮様一党に対してがんばってきたのですが、こうして萩乃さまとさしむかいになってみると、伊賀の源三、てれることおびただしい。
相手は几帳面なお嬢様育ち。それが、おもう男の前ですから、いやにかたくなっている。源三郎、すっかりもてあまし気味で、
「えへん、ウフン、ええと、イヤそのなんです。おいおい夏めいてまいりました」
なんかと、やっている。
畳《たた》み三味線《じゃみせん》
一
「は?」
と上げた萩乃の顔は、パッと美しく上気している。
それを源三郎はじっとみつめて、
「イヤ、その、実にソノ、なんです……ときに萩乃どの、よく長いあいだ、拙者を思っていてくだされましたなア」
と伊賀の暴れン坊、心にもないことを、例によってそんな殺し文句を吐く。
火に油をそそぐようなもの、源三郎、よせばいいのに――でも女たらしの彼、こんなことをいうのが癖になっているものとみえる。
日ごろの思いがやっとむくわれたように、萩乃は感じて、娘の恥ずかしさもうち忘れ、そそくさと膝をすすめた。
「あたくしほんとうに、もうもうどうなるかと思いましたわ。お兄上対馬守様とのかたいお約束によって、りっぱに道場にお乗り込みになったあなたさまを、今になって筋もなくしりぞけるのみか、あの丹波が継母《はは》うえと心をあわせて、司馬の家を乗り取ろうとしているなんてなんという恐ろしい……そのうえ、弟子どもの噂でふっ[#「ふっ」に傍点]とこの小耳にはさみましたところでは、あなた様を、なんでも穴とやらへ埋めてしまったとのこと。萩乃の胸は、つぶれるばかりでございました」
「イヤ、そうたやすく死ぬ伊賀の暴れン坊ではござらぬ」
頼もしそうに萩乃はほほえんで、
「でも、源さまはよい御朋友をお持ちなされて、おしあわせでございます。あなた様にも、それから、このあたくしにとっても」
「ハテ、よい朋友?」
「は。あの、丹下左膳とやらいう……」
「おお、彼にはこの源三郎、近ごろ
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