まさあ」
与吉のやつ、古い文句をならべて、
「オウ、姐さん、茶代はここへ置くよ。このお侍さんの分もナ」
チャリンと二つ三つ、小粒を盆へ投げだす。
儀作はおどろいて、
「イヤ、私の分まで置いてもらうわけはない。どうぞ、さような心づかいは御無用に願いたい」
与吉は平手で額をたたいて、
「そうおかたいことをおっしゃるもんじゃあござんせん。ナニ、ほんのお近づきのおしるし、ヘヘヘヘヘ、手前の志でございますよ」
相手にものを言わせまいと、与吉は大声に、
「へらへらへったら、へらへらへ! へらへったら、へらへらへ――サア、めえりやしょう。あっしゃアね、真実、旦那の気性《きっぷ》に惚れこみやした。実にどうも、お若いに似ずたいしたもので。さすがはお侍様……あっしみてえな下司な者と同道しやすのは、さぞ御迷惑ではござりましょうが、そこがソレ、ただいまもいう旅は道づれ、へらへったら、へらへら……」
先に立って腰かけを離れた与の公は、ごく自然に壺へ手を出して、
「お荷物、お持ちやしょう」
と壺を取りあげようとするから儀作は胆をつぶし、
「アイヤ、それは主君よりおあずかりの大切なお品。手を触れてはならぬぞ」
旦那とかお侍とか、さかんにおだてられて、若党儀作、ちょいといい気持になってしまった。いっぱしの武家らしく、言葉使いも急に角ばってきたのは、与吉のおべんちゃらが即効を呈したのでございましょう。
人間の弱点。
それを見ぬいている与吉は、
「マアマアそうおっしゃらずに。持ち逃げしようとは申しません。旦那の家来とおぼしめして、あっしにお荷物をかつがせておくんなせえ」
とめる暇はなかった。
つつしんで壺の包みを持って、与吉のやつたちあがってしまったから儀作もしかたない。ナニ、すこしでもあやしいふしが見えたら、そのときとっておさえればいいのだと、
「おもしろい町人だ。では、ソクソクまいるとしようか」
いつも家来の身が、急に家来ができたのですから、にわかにそっくりかえって、茶店をあとにしました。
袖すり合うも他生《たしょう》の縁。
つまずく石も縁の端。
いろいろ便利な言葉がある……この場合、与吉にとって。
そんなことをベラベラ弁じたてながら、与吉は儀作から一歩さがって、お追従たらたらについてゆく。
もとより、気を許しはしない。
変なそぶりが見えたら、抜きうちに……儀作が心を配って行くと、
「オヤッ! あれはッ!」
不意に手をあげて、与の公、前方《まえ》を指さした。
「なんじゃ! 何が見える」
儀作がつりこまれて、爪立《つまだ》ちして道のむこうを望み見たとき。パッともと来たほうへかけだしたんです、与吉の野郎。
鎧櫃《よろいびつ》
一
あれから、何日たったろう。
それとも、もう十何日?
とにかく……。
今になっても、柳生源三郎が現われないところをみると、あのとき、あの穴の底で三方子川の水にひたされて、お陀仏になったにきまっている――。
とは、峰丹波一味の、たれしも思うところ。
「ああ、自分ほどあわれなものがあろうか。恋しいと思う人を、あんな手段で亡きものにしなければならなかったとは」
かってな人もあったもので、こんなことを考えてひとりふさいでいるのは、司馬十方斎先生の御後室、お蓮様。
「でも、あの方もあまり強情すぎたから、こんなことになったんだわ」
胸に問い、胸に答えて、このごろは部屋にとじこもって考えこんでばかりである。
ふしぎなのは、同じ屋敷内の奥まった部屋部屋にがんばっている安積玄心斎、谷大八等、伊賀から婿入り道中にくっついてきた連中です。
主君の仇敵《かたき》は、同じ邸内のこの丹波とお蓮様の一味とわかっているはずなのに。
源三郎はいてもいなくても、同じことだと言わぬばかり、なんのかわりごともなかったかのごとく、今までと同じく朝夕を続けているだけ。
渋江の寮の火事から、この妻恋坂の道場へ引きあげた当座は、今にも、奥座敷の伊賀侍から斬り込みがくるかと、日夜刀の目釘を湿し、用心をおこたらなかった丹波の一党も、何日過ぎてもなんのこともないので、だんだん気がゆるみ、
「柳生一刀流などと申しても、しょせんは、一人二人の秀抜な剣士をとり巻く烏合《うごう》の勢にすぎぬとみえますなあ」
「さようさ。まず柳生対馬守と源三郎、恐るべきはあの兄弟だけで、ほかには骨のある者ひとりもおらぬとみえる。主人に害を加えたは、われらとわかっておっても、復仇《ふっきゅう》ひとつくわだてるではなし、ああやってのんべんだらり[#「のんべんだらり」に傍点]と日を送っているとは、イヤハヤ、見さげはてた腰ぬけの寄りじゃテ」
「ひとつ、笑ってやれ、そうじゃ、皆そろって、笑ってくれようではござらぬか」
などと、ものずきな若いやつらが五、六人、縁側へ出て、奥庭のほうをむいてワッハッハッ、ハッハッハッ……と、頼まれもしないのに、御苦労さまに笑い声を合わせる。
妻恋坂上一帯を領している、宏大もない司馬の屋敷。
植えこみやら、芝生の小山やらをへだてて、はるかむこうの棟に、伊賀の連中がいすわっているのですが、しん[#「しん」に傍点]としずまりかえって、ウンともスンとも答えない。
はやる若侍たちを一手におさえて、師範代安積玄心斎が、
「マア、待て! 早まったことをしてはならぬ。今にも殿がお帰りになろうもしれぬ。その話をうけたまわったうえで、御命令ひとつでは、剣の林はおろか、血の池へもとびこみ、しかばねの山を築こうわれらではないか。コレ、しばらく忍べ」
と、必死にしずめているのです。
事実、今にも源三郎が、フラッと帰ってくるに相違ない――玄心斎は、そうかたく信じて疑わぬので。
しかし。
亡くなった老先生に、萩乃の夫と懇望され、藩主対馬守とのあいだにかたい話し合いがついて、それで乗りこんできたこの婿入り先なのに、その不知火流の道場には、意外な陰謀が渦を巻いていて、肝腎の若君はいま行方不明……。
源三郎に陰膳すえて、道場方とにらみ合い――ふしぎな生活がつづいている。
二
「御気分はいかがで」
峰丹波は、大きなからだに入側《いりかわ》の縁をきしませて……表むきはどこまでも、御後室様と臣です。申し訳にそっと片膝ついて障子をあけながら、そう、面ずれの跡のどぎつい顔を、お蓮さまのお部屋へさしいれた。
侍女をも遠ざけて、ただひとり。
脇息《きょうそく》に、ほっそりした被布《ひふ》姿をよりかからせていたお蓮様は、ホッと長い溜息とともに、眉のあとの赤い顔をあげるのも、ものうそう……。
「何度も言うようじゃが、寝覚めが悪いねえ、丹波」
「またさようなことを――!」
眼も口も、人の倍ほどもある大柄な丹波の顔に、すごい微笑《えみ》がみなぎって、
「お蓮様ともあろう方が、あんな青二才のことをいつまでも――はっはっはっは、イヤ、私はまるで胸がつかえるようなうっとうしい気持です。あっちへまいれば、萩乃様は萩乃様で、源三郎をおもって、シクシク泣いてばかりおいでになる。こっちへ来ればこっちで、あなた様が同じ源三郎をあきらめきれずに、この気っ伏せのありさま。どうもおもしろくない」
と、はいって来て、
「いけませんな。そうクヨクヨなされては。なくなった大先生のおぼしめしどおり、源三メを萩乃様に添わせて、われらはこの道場を立ちのくか――面目にかけてそれができぬ以上、あれくらいの荒療治は当然ではござりませぬか。サ、御後室様、お気をなおして、すこしお庭先でもお歩きになっては」
お蓮様は返事もしない。頭痛でもするのか、白い華奢《きゃしゃ》な指さきで、しきりにこめかみを押え、額に八の字を寄せてだまりこくっている。
丹波もしばらく無言。ジットそのようすをみつめていたが、やがて、ズイと双膝《もろひざ》をすすめて、
「御相談……」
「なんだエ? また御相談――ほほほ、お前の相談というのは、悪いたくらみにきまっている」
「同じ穴の狸ではござらぬか、そうどうも信用がなくては、ははははは」
声だけで笑った丹波、キラリと眼を光らせると、声を低めて、
「もう今となっては、万が一にも柳生源三郎が、生きてかえる心配はございませぬ。今日まで待ってなんの音沙汰もないところをみると、もはや大丈夫……そこで今日にでも拙者が、亡き先生のお跡目になおり、この道場をいただくという流名相続の披露をいたしたいものでござるが」
予定の計画ですから、お蓮様はいまさら驚くこともない。むしろ自分から出た陰謀だ。もしあの源三郎に、恋を感じてさえいなければ、永年の願望がやっときょう成就すると聞いて、お蓮様はどんなにかこおどりしたことでしょうが――運命の皮肉、先妻の娘萩乃の婿に迎えた源三郎を、こんなに、心ひそかにしたっている現在のお蓮さまとしては……。
「そうねえ。もう、そうするよりほか、ないだろうねえ」
「ナ、何を――今となって、何を言わるる!」
丹波は……。
この盛大な十方不知火流の道場とともに、お蓮様とも天下晴れて……だがお蓮様よりは、道場のほうがありがたいのが、丹波の本心です。しかし、それも、故先生の後釜に、お蓮様のもとへ入夫する形でこそ、道場も自然におのが懐《ふところ》へころげこもうというものですから、この土壇場へ来て、こうもにえきらないお蓮さまの態度を見せられては、
「出るところへ出て、拙者がこの口をひらこうものなら、同罪ですぞ、お蓮様」
詰め寄りました。
丹波も懸命です。
三
ものうい初夏の午後だ。はるか妻恋坂の下からのどかな余韻を引いてあがってくる、苗売りの呼び声……。
お蓮様にしたところで、十分この道場には未練があるし、それに、もともと丹波はきらいではないのですから、二言と否《いな》は申しません。
さっそく峰丹波をもって、この道場の相続に立てるという……すっかり準備がととのって、その夜、ただいまの時間でいえば、午後七時ごろに、道場の正面に亡き十方斎先生の位牌を飾り、その前に遺愛の木剣を置いて――これがまず式場です。
この不知火道場のしきたりとして、何かあらたまった式事の場合にはかならず家重代に伝わる鎧櫃《よろいびつ》を取り出して、その前でおごそかにとりおこなうということになっている。
新しい入門者があって、現代でいえば宣誓式のようなことをするのも、この鎧櫃の前。
免許皆伝の奥ゆるしをとった者が、その披露をする座にも、その鎧櫃を飾る。
ふだんは土蔵にしまってありますのを、むろん今日は、相続披露の式場へ運び出すことになりまして、二、三人の若い弟子が、
「貴公、そっちを持て。からだから軽いだろうが、大切な品だから、粗忽《そこつ》のないように、皆で気をつけて持ってゆかねばならぬ」
「そうだ。オイ、青木、お前も手を貸せ」
「よしきた。しかし、なんだな、峰先生は、やっと本願を達したというものだな。え、馬鹿を見たのはあの伊賀の暴れん坊だよ。婿の約束はぐれはま[#「ぐれはま」に傍点]になる。こけ猿の茶壺は盗まれる、故先生のとむらいの席へのりこんで、りっぱに見得をきったまではいいが……」
「そうだテ、あとがよくねえ。本人だけは、あくまで萩乃様の良人のつもりでいても、内祝言《ないしゅうげん》はおろか、朝夕ろくに顔を見たこともない。おまけに、ああやって家来を連れて、無茶ながんばりをやっておるうちに峰先生のペテンにかかって、火事にまぎれておとし穴とは、よくよく運の悪いやつだな」
「しかし、それがしは萩乃さまがお気の毒でならぬよ。毎日毎日ああ泣いてばかりおられては、今に黒眼が流れてしまいはせぬかと――」
「まったくだテ。あの悲しみに沈んでおられた萩乃様を、どうで今夜の席へ引っぱり出すのかと思うと、おいたわしくてならぬ」
「サアサ、むだ口はあとにして、はよう席をととのえねばならぬ。峰先生がお待ちかねだ。よいか、そっちの端を持ったか、山口」
「ウム、サアゆこう……オヤ、これはどうした!」
「ヤ! おどろいたな、どうも……からだと思った
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