よう。それまでは、何者もこの庭隅に近よることはならぬ。昼夜交替に見はりをいたせ」
つい一昨年《おととし》まで他人の住まいだった屋敷に、こけ猿の財産が埋ずめてあるなんてエのは、どう考えてもうなずけない話だから、藩士一同、それこそ、お稲荷さまの眷族《けんぞく》に化かされたような形。
それでも。
埋宝発見の心祝いに、潔めの式をせねばならぬと言われて、こうして正装に威儀をただし、ズラリと変な顔を並べている。
屋敷の庭の一隅が、急に聖地になりました。
一坪の地面に青竹をめぐらし、注連縄《しめなわ》をはり、その中央に真新しい鍬を、土に打ちこんだ形に突きさして、鍬の柄《え》に御幣を結び、前なる三方には、季節の海のもの山のものが、ところ狭いまでにそなえてある。
田丸主水正、いま前に進み出て……つつしみつつしみて申す、とやったところだ。
若侍の一人が、となりの袂を引っぱって、
「ウフッ、どうかと思うね」
「こういうてがあるとは、知らなかったよ」
「こんなインチキをしていいのかしら」
高大之進が振りかえって、
「もろもろはだまっておれ」
めでたく式は終わって、これから大広間で酒宴に移ろうとしていると、合羽姿もりりしく、手甲脚絆、旅のこしらえをすました若党儀作が、やっと人をかき分けて、主水正に近づき、
「御家老、それでは私は、これからただちに伊賀のほうへ――」
「ウム、急いで発足してくれ。道中気をつけてナ」
二
東海道を風のようにスッ飛ぶ超特急燕、あれでもおそいなどと言う人がある。もっとも、亜米利加の二十世紀急行、倫敦《ロンドン》巴里《パリー》間の金矢列車《ゴールド・アロウ》、倫敦エディンバラ間の「|飛ぶ蘇格蘭人《フライング・スカッチマン》」……これらは、世界一早い汽車で。
人間には、欲のうえにも欲がある。その欲が、進歩を作りだすのですが。
どこへゆくにもスタコラ歩いた昔は、足の早い人がそろっていたとみえます。
早足は、修練を要する一つの技術だった。
歩きじょうずの人の草鞋《わらじ》は、つまさきのほうがすり切れても、かかとには、土ひとつつかなかったものだそうで、つまり、足の先で軽くふんで、スッスッと行く。
呼吸をととのえ、わき眼をふらずに、周囲の風光とすっかり溶けあって、無念無想、自然のひとつのように、規則正しく歩を運ばせる。
この早足については、いろんな話がのこっております。水のいっぱいはいった茶碗をささげて、一日歩いても、一滴もこぼさなかったなんてことをいう、完全にからだの平均がとれて、一つもむだな動きがないから、全精力をあげて歩くほうに能力があがったというわけでありましょう。
また。
あるおそろしく足の早い人は、胸へ紙一枚当てて歩いて、けっして落ちなかったという。
そうかと思うと、ある人の通り過ぎたあとには、あまりの勢いに空気が渦をまいて、屋根瓦が舞いあがるやら……そんなのは当てにならない。
林念寺のお上屋敷をあとにした柳生家の若党儀作、たった一人で、伊賀の国をさして江戸を出はずれました。
妙な荷物をかついでいる。
例の松の木にぶらさがっていた贋のこけ[#「こけ」に傍点]猿を、ぐるぐるッと風呂敷包みにして、ヒョイと背中へはすかいに――。
この壺の一伍一什《いちぶしじゅう》を知らせに走るのだから、証拠物件としてしょって来たのだ。
同時に。
壺の騒ぎを知る人に対しては、こけ猿ここにあり、という宣伝にもなる、が、何も御存じない連中には、大きな茶壺をしょって粋狂な! としか見えません。
品川から大森の海辺へかけては、海苔をつけるための粗朶《そだ》が、ズーッと垣根のように植えられています。名物ですなア。
これが、江戸《えど》の江戸らしいものと別《わか》れる最後《さいご》。
急ぎの旅だから、いい景色も眼にはいりません。六郷の水は、ゆるやかに流れて、広い河口のあたり、蘆のあいだに上下する白帆が隠見する。
やがて神奈川、狩野川をはさんだ南北に細長い町。海に面した見はらしのいい場所に、茶店が軒を並べております。おなじみの広重の絵を見ましても、玉川、たるやなどとありますとおり。
有名な文句の、
「おやすみなさいやアせ。あったかい冷飯もござりやアす」
「旦那さん、煮たてのさかなのさめたのもござりやアす。おやすみなさいやアせ」
細い坂みちに姐さんたちが出ばって、口々に客を引く。儀作もようやく咽喉の乾きをおぼえましたので、潮風の吹きあげる縁台に腰かけて、
「日中はなかなかむすじゃあねえか」
額の汗をふいておりますと、
「おやすみなさいやアせ」
表のほうに、客引き女の黄色い声がわいて、儀作のあとを追うように、ズカリとその茶店へはいってきた一人の男。
唐桟《とうざん》の袷をつぶ[#「つぶ」に傍点]に着て、キリッとしりばしょりをしている……小意気な、ちょいとした男前。
三
ひさしぶりに、鼓《つづみ》の与吉。
彼は。
同じような茶壺がいくつも出てきて、与吉、とほうにくれてしまったんです。
そのうえ、丹下の殿様も、酷《むげ》えことをしたもので、あの伊賀の暴れん坊といっしょに、渋江の寮の焼け跡で穴埋めにされてしまった。
あのあとから、泰軒坊主とトンガリ長屋の連中がおしかけて、掘り返したそうだが、出てきたのは、水、水――水だけだったと聞いたが……それはそうと、若き主君を失った源三郎づきの伊賀侍たちは玄心斎、谷大八をはじめ、一同まだ妻恋坂の司馬の道場にがんばっている。あの若者にかぎって、奸計におちいるようなおひとではない。かならずや近いうちに、どこからかブラリと現われるに相違ない。相変わらず蒼白い顔に、不得要領の笑みを浮かべて、ふらっと懐手をしたまんま。
そう信じて、みんな今か今かと、源三郎の帰りを待ちかまえている。同じ屋敷内の峰丹波一味と、いまだに睨み合いをつづけたなりで。
本物の壺がどこにあるかわからないから、どっちについていいか見当のつかない鼓の与の公。
おっかなビックリで訪ねて行った尺取り横町のお藤姐御の家には貸家札がななめに貼られて……。
近処の人に、それとなく聞いてみると、
「サア、なんですかね。もうだいぶ前ですけれど、姐さんはバタバタ家をたたんで、どこか旅に出るとかって、フラッといなくなりましたよ。もう江戸にはいないと思いますがね」
という返事だ。
そこで。
鼓の与吉。
あちこちへ眼《まなこ》をはなって、世間のようすをながめると――。
チョビ安は泰軒先生に引き取られてトンガリ長屋の作爺さんの家に、お美夜ちゃんを加えて四人、水いらずの楽しい暮し……というところだが、泰軒とチョビ安、大小二人のかわり者が、作爺さんの屋根の下に居候にころがりこんでいるわけ。
「あのチョビ安を抱きこんで、ここでなんとか一芝居うってみてえものだが――」
とは思うものの、与の公、頭をかいて、
「どうも、あの泰軒てえ乞食野郎がいるあいだは、恐ろしくて寄りつけもしねえ」
手も足も出ない与吉。それでもまあどうやら丹波の御機嫌を取りなおして、妻恋坂道場の供待ち部屋にごろっちゃらしながら毎日、麻布林念寺前の柳生の上屋敷のあたりをうろついていますと……。
ある日のこと。庭の隅がガヤガヤするから、武者塀の上からヒョイとのぞいて見ると、注連縄を張りめぐらし、ありがたそうに鍬を拝んで……お鍬祭。
ふしぎなことをすると思った与の公、とび帰って峰丹波に報告する。
さすがは、不知火流の師範代として、智も略もある人物。じっと眼をつぶってしばらく考えていたが、
「与吉、すまぬが、すぐに草鞋《わらじ》だ」
「ヘエ、あっしがはきますんで。だが、どっちの方角へ向けてネ?」
「ウム、今日にも林念寺の屋敷から、国おもて柳生藩をさして、急使がたつに相違ない。貴様、そのあとをつけてナ、ようすをさぐるのじゃ。源三郎の兄対馬守が出府するようなことがあっては、当方にとってこのうえもない痛手じゃからのう」
みなまで聞かずに、気も足も早い与吉|兄哥《あにい》、オイきたとばかり、すぐその場からお尻をはしょって、東海道をくだってきたのです。
旅《たび》は道《みち》づれ
一
一本道の街道筋。
チラホラ先へ行く旅人のなかに壺をしょって、恐ろしく早足にすっとんで行く若党姿を認めたのは与吉が六郷の川を渡って、川崎の宿へはいりかけたころだった。
たびたびのことで懲《こ》りているから、それをけっしてほん物のこけ猿だとは思わないが。
なにしろマア、ここでひさしぶりに茶壺らしい物を拝むとは、幸先《さいさき》がいい。おおぜいの人数で、大さわぎしてまもって行く壺こそ、贋物かもしれねえが、こうやって若党一人が、何気なく見せかけて、ヒョイと肩へかついでゆく壺……こいつはおおいに怪しいぞ。
芝居気のあるやつで、道の真ん中に立ち止まり、左の袖口へ右手を入れて、沈思黙考の体よろしく、与の公、首をひねったものだ。
それから。
腰の手拭をバラリと抜いて、スットコかぶり、あんまり相のよくない風態です。
すたすたと足を早めたまではいいが、先方の若党も、おっそろしく足がきく。
はじめ、与吉の考えでは。
柳生藩の急使という以上、すくなくとも五人や十人の供を連れて宿継ぎの駕籠かなにかで、ホイ! 駕籠! ホイ! とばかり、五十三次を飛ばして行くに相違ない。
自分はひとまずさきに街道へ出て、どこかの立場茶屋にでも腰をかけ、眼を光らせていれば、金輪際にがしっこはないのだ。見つけしだい、あとをつければいいと、そう思って、柳生の使いより先に旅に出たつもりなのだが……。
いくら振りかえっても、早駕籠はおろか、急使らしいもののかげも見えない。
ハテナ?
と与の公、小首をかしげたとたんに、六郷の宿で、この、さきへ行く壺の姿を見つけたというわけなんだ。
儀作の足も早いが、与吉の韋駄天は有名なものです。
今まで毎々《まいまい》ヤバイからだになって、一晩のうちに何十里と、江戸を離れてしまわなければならない必要にせまられるから、いやでも応でも、早足は渡世道具のひとつ。
で……やっと追いついたのが、この神奈川の腰かけ茶屋。
「おやすみなさいやアせ」
「何を言やアがる。やすむなといったって、おいらアこの家に用があるんだ。今ここへ、茶壺がへえったろう」
オットットット! 口をおさえた与吉、見ると、土間をつっきった奥の腰かけに、その茶壺のつつみをそばに引きつけた若党が、渋茶か何かで咽喉をうるおしているから、イヤ、与の公、ことごとくよろこんじまって、
「これは、どうも。よい風が吹きますなあ。そのお腰かけの端のほうを、あっしにも拝借させていただきやしょう」
口のうまいやつで、そんなことを言いながら、
「あれが安房《あわ》上総《かずさ》の山々、イヤ、絵にかいたような景色とは、このことでしょうナ。海てエものは、いつ見ても気持のいいもので」
一人でしゃべりちらして、海にみとれるふう……かたわらにある儀作の飲みかけの茶碗をとって、口に持ってゆこうとする。儀作がおどろいて、
「ああもしもし、それは私の茶碗だが――」
「オヤ! そうでしたね。イヤ、これはとんだ粗忽《そこつ》を。だがね、あなた様のお飲みかけなら、あっしは、ちっともきたないとは思いません。イエ、お流れをちょうだいいたしたいくらいのもので」
「何をつまらんことを言いなさる。ソレ、お前さんの茶碗は、ここにあるよ」
二
「なるほど、あらそわれねえものだ。あっしの茶碗は、ちゃんとここにあらアヘヘヘヘ」
なんかと与の公、何があらそわれねえものなのか……しきりに感心している。
ガブリとひとつ茶を飲んで、何やかや一人で弁じだした。
口前《くちまえ》ひとつで人にとりいることは、天才といっていいほどの鼓の与吉。
武家奉公で世間もせまく、年も若い儀作は、これが機会《しお》となって、うまうままるめこまれたと見える。
「旅は道づれ、世は情けてえことがあり
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