…丹下左膳も、柳生源三郎も、影も形もあらばこそ――。
人間《にんげん》の港《みなと》
一
「殿――」
伊吹大作の声だ。
桜田門外の、南町奉行大岡越前守の役宅は、奥の書院に、まだポーッと灯がにじんで……。
越前守様は、まだ起きていらっしゃるらしい。
黒塗り絵散らしの文机に向かわれて、燭台を引きよせ、何やら読書をしていらっしゃる。
書物をめくる、ひそやかな音。
毎夜のようなお調べものなんです。
「大作か。なんです」
下《しも》ぶくれの、柔和な越前守の笑顔が、次の間のふすまのほうへ、
「其方《そち》、まだ起きておったのか。かまわず先にやすめと申したに。ははははは、わしのつきあいはできぬであろう」
忠相《ただすけ》は笑うと、キチンとそろえた小肥《こぶと》りの膝が、こまかくゆれる。それにつれて、かたわらの燭台も微動する。灯がチラついて、小さな影が散る――。
ふすまの引き手の房《ふさ》が、ゆらりとゆれた。細目にあいた隙《すき》から、次の間の伊吹大作の顔が現われて、
「お精が出ますことで……申しあげます。ただいま、木戸にひっかかりましたとやらで、七、八つ
前へ
次へ
全430ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング