事実、そっくりそのまま残っているのだ。
 どこに!
 水火一|対《つい》――いまは所を異にして!
 ……と語り終わった得印老人のことばに、
「え?」
 思わず急《せ》きこんで闇黒のなかに乗り出したのは弥生。
「それでは、アノ、その関の孫六の水火の法が、いまだに世に残されておりますとな――」
「いかにも!」
 見えはしないが老士、暗中に大きくうなずいたらしかった。
「いまわしがお話し申したとおり、孫六発案の大沸かし小沸かし、さては刃わたしの密法、ともに合符《がっぷ》の秘文となって現在この世に伝来しおること明白でござる」
「まあ! それほど大切な御文書どこにあるかは存じませねど、もはやお手に入れられましたでござりましょう」
 と弥生は、瞬間のおどろきから立ちなおると、やはりすぐと地の女性に返るのだった。
「あッはッハッハ! いや……」
 急に大きく笑い出した得印兼光は、突如、顔をつき出して低声《こごえ》になりながら、
「されば、その水火|秘文状《ひもんじょう》の所在でござるが」
「は。そのありかは……?」
「ただいまも申すとおり、合符《がっぷ》になっておる」
「合符?」
「さよう、割文《わりふみ》じゃ。一あって一の用をなさず、二にて初めて一の文言を綴る――つまり水の条《じょう》と火の件《くだ》りと二枚の紙に別れておるのじゃが、それがじゃ、紙は二枚になっておっても、文句は両方につづいている。すなわち、同時に二枚紙を継いで判読せんことには、そのうちいずれの一枚を手にしたとて、とうてい水火の鍛術《たんじゅつ》を満足に会得《えとく》するわけには参らぬ仕組みになっておる」
 弥生は、しずかに首をひねった。
「……と申しますると?」
「おわかりにならぬかな。いや、泰平の世に生まれたお若い方、ことには女子……」
「アレ!」
「おお! ナニ、ははは、誰も立ち聞く者はござるまい……とにかく、御身の存じよらぬはもっともじゃが、戦国のころには何人も心得おった密書の書き方でのう、敵陣を横ぎって遠地に使者をつかわす場合になぞ、必ずこの筆式《ひっしき》を用いたもの。それは――」
 といいかけて、得印老士は、指で畳に字を書き出したとみえる。声とともにかすかな擦音《さつおん》が弥生の耳へ伝わるのだった。
 闇黒の部屋。
 ふたりはいつしかそのまんなかに、ヒタと真近くむきあっていた。
 明日《あす》は雨でがなあろう……春の夜の重い空気がなまあったかく湿って、庭ごしに見える子恋の森のいただきには、月も星もひかりを投げていなかった。
 沈黙――を破った得印兼光のことば。
 それによると。
 合符《がっぷ》……割文《わりふみ》というのは。
 一枚の小さな紙に、ひとつの文句をはじめから書いていき、他の文句をしまいから逆に行間《ぎょうかん》に埋めて両文相|俟《ま》って始めて一貫した意味を持っているものを、その紙片の中央から、ふたつに破いておのおの別々に携帯せしめて敵地を通過させる戦陣|音信《いんしん》の一法であった。
 かくすれば。
 たとえ二人の使いのうちひとりが敵の手中におちて書状の一片を取りあげられたところで、敵は、もう一つの半片をも得ない限り、そこになんら貫徹した文章を読むことができず、二人を離して派遣しさえすればこの合符割文《がっぷわりふみ》の文づかいは、当時まず安全に近い通信法となっていた。
 これに思いついたのであろう、関の孫六が、その水火鍛錬の秘訣を後人に遺した文状は、すなわちこの合符わり文の一書二分になっていたのだ。
 かれ孫六……。
 死床にあってすでに天命の近きを知るや、人を遠ざけた病室にひとり粛然と端座してしずかに筆紙をとり、ほそ長い一片の紙に針の先のごとき細字をもって――。
[#ここから2字下げ]
一、水はやいばわたしが肝《かん》じんにて候《そうろう》。
 そは、熱刀を水中に入るるに当たり――。
[#ここで字下げ終わり]
 うんぬんと書きつらね、同時に、おなじ紙の末尾より文を起こし、最初の文字の行と行のあいだへ、左から右へ読まして……。
[#ここから2字下げ]
一、火は大わかし小わかしのことにて候。
 そは、はじめに地鉄《じがね》を積《つ》むとき――。
[#ここで字下げ終わり]
 と、ここに、この一|狭紙《きょうし》に、水火両様の奥伝をしたためて、のち此紙《これ》を真ん中から二つに裂き、水の条からはじまる最初の一片と、火のくだりを説いてある後半の別紙と、おのおの別に切り離して世に残すことにしたのだった。
 そのとき孫六。
 やまいを得るまえに最近仕上げた陣太刀づくりの大小を手にとり赤銅にむら雲の彫《ほり》をした刀の柄をはずして、その中心《なかご》に後半の火密《かみつ》を巻きこめ、おなじく上り竜をほった脇差のつかの中に前片|水秘《すいひ》の部を締《し》め隠したのである。

 名匠の熱執《ねっしゅう》をひとつにこめた水火秘文状。
 離るべからざるを二つに断った水秘と火密。
 水は低きに就《つ》き、火は高きに昇る。
 ゆえに。
 水は竜、火は雲である。
 それかあらぬか。
 関の孫六水火の合符《がっぷ》、乾雲《けんうん》丸は大沸かし小沸かしの火策をのみ、わきざし坤竜《こんりゅう》はやいば渡しの水術を宿して、雲竜二剣、ここにいよいよ別れることのできない宿業の鉄鎖《てっさ》をもってつながれる運命とはなったのだった。
 一あって用をなさず、二|合《がっ》してはじめて一秘符となる古文書を、中央からやぶいて二片|一番《つがい》としたさえあるに、しかも、その両片の一字一語に老工|瀕死《ひんし》の血滴が通い、全文をひとつに貫いて至芸《しげい》労苦《ろうく》の結晶が脈々として生きて流れているのである。
 たださえ!
 同装一腰、雲と竜に分かれて離れられない乾雲坤竜だ。
 それがこの、死に臨む刀霊《とうれい》の手に成った水火の秘文合符をそれぞれに蔵しているとは!
 むべなるかな!
 乾坤……天地のあらんかぎり、火の乾雲丸、水の坤竜丸、雲は竜を呼び、竜は雲を望んで、相慕い互いにひきあうさだめにおかれているのだった。
 ふたたび思い起こす刀縁伝奇《とうえんでんき》。
 二つの刀が同じ場所におさまっているあいだは無事だが、一朝乾坤二刀、そのところを異にするが早いか、たちまち雲竜|双巴《ふたつどもえ》、相応じ対動して、血は流れ肉は飛び、波瀾《はらん》万丈、おそろしい現世の地獄、つるぎの渦を捲き起こさずにはおかないという。
 それが事実であることは、誰よりも弥生が、眼のあたりに見て知悉《ちしつ》しているのだったが、この夜泣きの刀のいわれには、単に雲竜相引の因果のほかに、底にじつに、こうして秘文|合符《がっぷ》の故実がひそんでいたのである。
 わかれていて二刃、同じ深夜に相手を求めてシクシクと哭《な》き出すというが、それは、割文《わりふみ》となって仲を裂かれている水火の秘文が、各自その柄のなかから悲声をしぼるのかも知れなかった。
 死のまぎわまで鍛刀の思いを断たない関の孫六の血肉が働いているのだ。あり得ないことと誰がいい得よう!
 こうして――。
 乾雲坤竜の大小、おのおのその柄の底に水火|文状《もんじょう》の合符《がっぷ》を秘めたまま、星うつり物かわるうちに、幾代か所有主をかえ、何人もの手を経たのちに、いつの世からか神変夢想流剣道の指南、祖家の小野塚家の伝宝となって、先主鉄斎の代におよんで江戸あけぼのの里なる道場に安蔵され、年一度の大試合にのみ、賞として一時の佩腰《はいよう》を許されていたのが。
 しかるに。
 この夜泣きの刀に、あらぬ横恋慕《よこれんぼ》を寄せたのが、名だたる蒐刀家の相馬大膳亮。
 そして、その命を奉じて、今江戸おもてに砂塵をまきたてているのが、独眼隻腕の剣妖丹下左膳……それに対する諏訪栄三郎。
 乾雲丸とともに、火使《ひつかい》の心得は左膳の手に。
 坤竜丸とともに、水ぐあいの説は栄三郎の腰に。
 合符《がっぷ》、剣にしたがっていまだに別在しているところに、地下の孫六のたましいは休まる暇とてもなく、それが地表にあらわれてこのあらゆる惨風凄雨《さんぷうせいう》の象《かたち》を採《と》っているのであろう……。
 だが、しかし!
 孫六が刀装をほどこして以来、まだ一たびもよそおいを変えたことがないらしく、今に陣太刀《じんだち》づくりのままの二剣である。一刻も早く両刀を一手におさめて柄を脱《の》けたならば、必ずや、大の乾雲からは、割《わ》り文《ぶみ》の後片火説の紙が生まれ、小の坤竜は、前半水法のくだりを吐き出すに相違ない。
 当時孫六は、幅一寸、長さ尺余の紙きれに、微細|蚊《か》のあしのごとき文字をもって、巻き紙のように横に、左右両方から水火の秘文を一行おきに書きうずめ、これを中裂し、一片を一刀に、めいめい中心の上へしかと捲きしめて、またその上から赤銅の柄をはめ返したものだった。
 と、同時に。
 かれは、万一の散逸をおもんぱかっての用意をも忘れなかった。
 べつに、一書を草《そう》して水火刀封の旨を記載し、彼はそれを、日ごろ愛用のやすり箱へしまいこんで、はじめて安堵して永久の眠りについたのだったが――。
 その心算《こころ》は。
 おのが子孫が何人にまれ、およそ後人に刀剣鍛錬に志して達成を望む者、もしこの孫六の鑢《やすり》を手がける境《きょう》まですすんだならば彼こそはその箱の中の指書《ししょ》を見て、ひいてはそれより、二刀の柄から水火秘文状を掘り出しても差支えのない人物であることを自証《じしょう》するものだ。
 こういう腹だったのが、爾後《じご》幾星霜、関七流の末に人多しといえども、いまだ孫六のやすりに手が届いて別書を発見したものはなく、従って水火合符|刀潜《とうせん》の儀、夢にも知れずにすぎて来たのである。

 それでも、うすうすながら関の開祖孫六に、水あげ火あげの独自の両秘術があったらしいことだけは、ふるい昔の語りぐさのように、美濃国にいる刀鍛冶のあいだにいいつたえられてきたけれど、誰も、孫六の専用した古式の鑢《やすり》を使いこなす域にまで到達したものがなかったために、やすりの箱は埃をかぶったまま長く開かれずついに彼の死後こんにちにいたるまで、水火の奥ゆるしが割符《わりふ》となって夜泣きの大小の中心《なかご》に巻き納めてあるということを認めた、やすり箱の中の孫六の別札真筆《べっさつしんぴつ》も、とうとう見出される機とてもなく、古今の貴法《きほう》のうえに、春秋いたずらに流れ去ってきたのだったが!
 さては、あったら名人のこころづかいも空《くう》に帰して、水火秘文の合符《がっぷ》、むなしく刀柄|裏《り》に朽ち果てる……のか。
 と、見えたとき。
 半生を鍛剣のわざに精進して、技《ぎ》熟達《じゅくたつ》、とうとう孫六遺愛の鑢《やすり》を手がけようとして箱をひらいたのが関《せき》正統《せいとう》の得印家に生まれて、何世かの兼光を名乗る、この子恋の森陰一軒家のあるじ、火事装束五梃駕籠の首領の老士であった。
 この得印兼光は、じつに孫六の末胤《まついん》だったのである。
 ――と、ここにはじめて素姓をあかし、名乗りをあげた得印老人のまえに、闇黒の部屋に坐して弥生は思わず襟をただしたのだった。
「何ごとにまれ、芸道の苦心は尊いものと聞きおよびまする。夜泣きの刀が、さような大切な文を宿しそのように因縁《いんねん》につながっておろうとは、父もわたくしも、いや、小野塚家代々のものがすこしも存じ寄りませぬところでござりましたろう。いかさま、雲と竜のふたつの刀、それでは切っても切れぬはずにござりまする。よくわかりました。それではわたくしも、微小ながら今後いっそう力をつくして、かの二剣をひとつに、必ず近くお手もとへお返し申すでござりましょう」
「いや! いや!」
 滅相もない! といったふうに兼光はあわてて手でも振り立てたものらしい。暗い空気が揺れうごいて、弥生の顔をあおった。
「いや! たとえわたしの先祖が鍛《う》ったところで、いまは、刀はあくまでも小野塚家の
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