助力に預りたい。たっての頼み――そちの剣能が所望なのじゃ。いかが?」
「困るなあ、そう急に攻められても、なにしろ殿様、あっしにとっちゃアまるで足もとから鳥の立つようなはなしなんでねエ」
「そこをなんとかいたして……」
「むりでさあ、どうも、あっしゃア小屋に縛られている身で、自分で自分のからだがままにならねえんだから」
「逃げろ!」
と強くささやいて弥生は人をはばかってあたりを見まわした。
堂のむこうに祭りのさざめきが沸きたつばかり――すこし離れたここらはひっそりとして人の気もない。
ハラハラと落ち葉が、ふたりの肩にかかる。
「ヘヘヘヘヘ、そりゃアおっしゃるまでもなく、これまでにだって再三逃げ出したことがありやすがね、どこへひそんだってこの不具じゃアすぐ眼についてひき戻されるんで……」
「よし! あくまで拙者らに与《くみ》するならば、言うにや及ぶ。りっぱにかくまってやろう」
「して、あっしの仕事てえのは、さっきおっしゃったあの人殺し稼業――」
「コレ、声が高いぞ! うむ、その代価として金銀は望み放題《ほうだい》……」
「うんにゃ、褒美《ほうび》の件は待ってくだせえ。あっしはあっしで、たった一つ欲しい物があるんだから」
盟約締結《めいやくていけつ》――はいいが、そこで弥生につれられてコッソリと森を出はずれた山椒の豆太郎が、ほっそりとした弥生のうしろ姿を、すぐ後からむさぼるように見入って、しきりに舌なめずりとともにひそかにうなずいたのを、弥生は気がつかなかった。
太夫のいないもぬけの殻へ、それとは知らずに必死に人を集める唐人|劉《りゅう》手裏剣小屋木戸番の声……。
こちらは二人。小暗い細みちを突っきると、森かげに生け垣をめぐらしたささやかな萱葺《かやぶ》き屋根が見えてきた。老士がひとり、戸口に立ってこっちへ小手をかざしている。
「彼家《あれ》だ」
弥生が、白い指をあげた。
さんざ時雨《しぐれ》
庭の木かげにチラと人らしいものの形をみとめたのは、土生《はぶ》仙之助が最初だった。
夜の、かれこれ五ツ刻だったろう。
本所法恩寺ばし前の化物屋敷、鈴川源《すずかわげん》十|郎《ろう》方では、あるじ源十郎と丹下左膳の仲が表面もとに戻って、源十郎はまたおさよ婆さんを実母のように奉り、相も変わらず常連をあつめて、毎晩のように、いわゆるお勘定をつづけているところへ、二、三日まえにつづみの与吉が奥州中村相馬藩から月輪軍之助以下十七名の剣援隊を案内して到着したので、それからというもの、血戦のさいさきを祝い、一同、深酒をあおって、泥のような酔いぶり虹のごとき気焔に昼夜の別なく、今宵も、さっきから左膳の離室に酒宴がはずんでわきかえるような物音、人声……。
その最中に、仙之助はちょっと厠《かわや》へ立ったのだった。
竹の濡れ縁づたいに用をすまして、その帰りだった。
一枚しめ残した雨戸のあいだから手洗《ちょうず》をつかいながら、何気なく向うの繁みを見ると、風もないのに縞笹《しまざさ》の葉が揺れ動いて、そこにむっくりと起ちあがった黒い影があった。
子供!――とも見れば見られる、それに、長い両腕をだらりと地にさげて、背中を丸く前かがみに立ったところ、気のせいか、仙之助には猿のようにも思えて、かれはわれにもなく驚愕の声を放つところだった。
が、さてはおのれ妖怪変化《ようかいへんげ》のたぐい! と仙之助がひそかに気負いこんだ時、その小さな人影はけむりのように消え失せてあとかたもなかった。
ふしぎなこともあるものだと仙之助は首をかしげたが、酒の席へそんな話を持ち出したところで一笑に付せられるばかり、かえって自分が臆病なように聞こえるだけだと、彼は座へ戻ったのちも、この庭前に見かけた奇怪な影法師について何一つ言わなかった。
酒気と煙草のけむりでむせかえりそうな部屋に。
着いてまもなくまだ客分扱いされている月輪軍之助、各務《かがみ》房之丞、山東平七郎、轟《とどろき》玄八、岡崎兵衛、藤堂粂三郎、山内外記、夏目久馬等全十七人の相馬の剣士を上座にすえて、手柄顔のつづみの与吉、それに主人役の鈴川源十郎、食客丹下左膳などがギッシリつまって、その間、飯あり肴ありお菜あり、まるでちらし寿司を見るような色とりどりの賑かさである。
そして、酒。
骨ばった真赤な顔が、やぶれ行燈の灯にたぎるがごとく映えかがやいて、なるほど、化物やしきの名にそむかない。それは倨傲《きょごう》無頼な夜の一場面であった。
「こら源十! いやさ源的! やい鈴源、源の字……なんとか言えい! ウははははは」
援団来着して上々機嫌の剣怪左膳、乾雲丸を引きつけて源十郎に眼を据えながら左手に杯をつきつける。
「のめエ! 乾坤ところを一にする勝軍《かちいくさ》の門出だ。飲めといったらのめ」
「うむ。めでたいのう。このとおり飲んでおる」
源十郎、いささか迷惑げな生返辞《なまへんじ》。
にもかかわらず、左膳は、もうまわり兼ねる舌でどなるように、
「ナア与力の鈴川、オッと! 法恩寺の殿様、おれも弥生てえ娘のことはスッパリ思いきって、これからは夜泣きの刀の件にだけ精根をうちこむつもりだから、貴公も友達甲斐にお艶をあきらめて、終りまで俺に力をかしてくれヨ。今まで途中で俺と貴公とが変に仲たがいになったのも、みなあのお藤の離間策であった。じゃによっておれもこんどこそはお藤を捨てる。いやもう棄てたのだ。この片輪もの、なんで浮世の女に用があろう! ははは、万事わかった、わかった! だからだ、な、源十郎、貴様も女を二の次にして刀に腕貸ししてくれるだろうな?」
「言うまでもない! 貴様がお藤のみならず弥生まで忘れると申すなら、源十郎も武士、りっぱにお艶への心を断って、およばずながら、雲竜二刀の剣争に助力いたすであろう……」
「その一言、千万の味方を得たよりこころ強うござる」
と月輪軍之助がここへ口をはさんで、
「ところで、かの泰軒とやら申す乞食でござるが――」
こうして、着く早々何度となく蒸し返された蒲生泰軒のうわさ……随所随所に出没して悩まされた血筆帳の話がまたも出てくると、
「どうも皆々様のまえですが、あのこじき野郎と来ちゃあ金魚の乾物《ひもの》で……」
与吉がしたり顔に膝をすすめる。
「金魚の乾物とはなんだ?」
誰かがきいた。
「へえ。煮ても焼いても食えませんでございます」
これで、ドッと嵐のような哄笑が一座をゆるがせたが、そのなかで、笑いもしない源十郎と左膳。互いに探るようなすばやい視線がちらと合って、すぐ外《そ》れた。
恋する丹下左膳のこころが弥生に向いている一事と、また取持ちを約した鈴川の殿様に違約された恨みとから、さまざまに智恵を弄《ろう》して左膳源十郎|間《かん》に水を差そうとした櫛まきお藤の奸策。
そのために一時は、左膳と源十郎そりが合わず、左膳は、源十郎に報復心を抱いて本所の家を出てお藤の隠れ家に彼女との靡爛《びらん》した一夜を送ったのだが、もとよりこの恋、左膳よりもお藤からはじまったことなので、左膳としては一度お藤を知りつくしたうえは、彼女に対してなんらの興味をつなぎ得なかったことはいたし方ない。
と、して……。
かの、乾坤二刀がそれぞれ所有主《もちぬし》の手に入れちがいになった雪の夜、左膳は、深夜の法恩寺橋下に栄三郎を見失ったのち、またまたその足で化物屋敷に舞いもどって、あるじの源十郎と対談数刻、ここに始めて訴人したのは源十郎でなく、また乾雲を掘り出したのもおさよ一個の仕事――自分はなんら関知しないという源十郎の弁舌に、強いだけに単純な左膳、今までのことはすっかり己が誤解であったと源十郎に対する心もちもなおり、以前のとおり庭内の離庵《はなれ》に起き臥しすることになったが。
自ら訴えておいて後から左膳を救い出し、それを恩に、一晩にしろ左膳とともに住んで、かたくなな愛欲を満たしたかの大姐御櫛まきのお藤、目下は、江戸おかまえの身にお上の眼がはげしく光っているので、しようことなしに例のあなぐら、暗い地下の隠れ部屋に左膳の思い出を抱いて独り沈湎《ちんめん》しているものの、かのお藤、一度左膳を得て、はたしてこのままに黙《もく》するであろうか。
一方左膳と源十郎は。
ともにそこはかとなく吹きまくる御用風が身にしみて、いつ十手捕縄が飛んでくるかも知れない不安から、再び互いに固い助力を誓いかわし、源十郎は旧《もと》どおりに左膳をその邸内に潜伏させることになったのだけれど。
いま。
隻眼隻腕の丹下左膳、右頬の刀痕を皮肉な笑みにゆがめて――雲竜二剣のために、お藤はもとより、最初乾雲丸といっしょにわが手に入れたはずの弥生への横恋慕をも、スッパリと断ちきるという。
それに応じて源十郎は。
しからば自分はお艶を思いきって、ともどもに夜泣きの刀へ全力を傾注しよう! こう力づよく言下にいい放ったものの。
言葉はことば。
胸底《こころ》はこころ。
お藤のことはとにかく、左膳、よく弥生を諦め、また源十郎がお艶を忘れ得るであろうか……?
この相互の疑惑にとっさに打たれた両人、思わず相手を見定めんと、鋭い眼光をはたとカチ合わせた時に、源十郎は左膳の独眼のなかに弥生を、左膳は、源十郎の顔のうえにハッキリとお艶をみとめたが、上をいって急ににっこりした源十郎、
「いや、今までのところはわしがあやまる。重々《じゅうじゅう》悪かった――お艶にのみ気を取られて、貴公はさぞかし腑《ふ》甲斐ないやつと思ったことであろうが、今後は源十郎、貴公の右腕ともなって……」
「あははは、左腕のおれに右腕とは、源十、なかなかもって味をいうわい」
「いや、それは物の比喩《たとえ》で、わるくとって気にしては困る」
「ナニ、気にするどころか、俺たちのあいだはそんな他人行儀のものじゃあねえ、あれア心からありがてえと思っているのだ。なあ月輪氏、そうではないか」
ときかれて、与吉その他とともに泰軒の噂《うわさ》に夢中になっていた月輪軍之助、不意の質問にあわてて、
「ささささようでござるとも。い、いかにも丹下殿の仰せらるるとおり――」
といつになくどもって答えると、その口つきに左膳は、主君大膳亮を思い出したらしく、
「……さぞお待ち兼ねのことであろう、いや、なんかと手間どり申しわけござらぬ」
珍しく四角ばった言葉になりながら、
「アア乾雲が夜泣きをする! 竜を呼んで泣くのだ。ソレソレこの声が御一同には聞こえぬかな」
と左手に陣太刀を撫《ぶ》して、血ののぼった一眼を満座のうえに走らせたとき。
大御番頭だった父宇右衛門のころは、登城をしたから馬も馬丁も抱えていたけれど、その時分すら下女は二人しか使わなかったのに、小普請《こぶしん》におちた当代の源十郎がやはりふたりおいているとあっては、始終まわってくる小普請支配取締りのおもて面倒だとあって、母の格とはいえ、こうなるとどうしてもおさよが女中なみに立ち働かざるを得ない。そのおさよ婆さんが、薬罐《やかん》に酒の燗《かん》をして運んで来た。
乾雲を盗み出したのはこの婆だ! と思っても、左膳は源十郎の手前もう何も言わずにいる。
酒と見てわっと歓声をあげる一同を制し、左膳が、
「軍議! かの火事装束五人組との対策もあるで、この談合すましてから、また一杯やるとしよう」
こう言い終わったとたん!
土生仙之助がサッ! と顔色を変えたかと思うと、突如庭奥の闇黒《やみ》[#「闇黒《やみ》」は底本では「闇|黒《やみ》」]から銀矢一閃、皎刃《こうじん》、生《せい》あるごとく飛来して月輪軍之助の胸部へ……!
この酒盛りの最中に、ふしぎ! 空を裂いて庭から躍りこんだ一ちょうの短剣、あっというまに灯に流れて、グサッ! と月輪軍之助の胸板に突っ立った……と見えた瞬間!
ばちイん! と音して見事にくだけ散ったのは、ちょうど軍之助が口へ運ぼうとしていた土器《かわらけ》の大盃だった。
飛剣は、そのさかずきを微塵に割って、軍之助の上身に酒を浴びせ、余勢、うすい着物の肩をかす
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