なアンてことを申しながら、野郎のおしゃくで恐れ入りますが、どうぞ[#「どうぞ」は底本では「とうぞ」]お熱いところをお重ねなさいまし。オッととととと!……これは失礼」
などと、与の公までがしゃしゃり出てきて、いい気になって酒盃のやりとりを続けているところへ!
ミシ! と天井うらの鳴る音!
まだ日が暮れたばかり。おまけに下はこの宴席、なんぼなんでも鼠《ねずみ》の出るわけはなし、それに! ねず公にしてはちと重すぎる動きが感じられる。
と、一同が期せずして話し声をきり、飲食の手をとどめて、思わずいっしょに天井を仰いだとたん!
パリパリパリッ! と、うずら目天井板の真ン中が割れたかと思うと、太い毛脛《けずね》が一本、ニュウッ! と長くたれさがって来た。
あっけにとられて口をあけたまま見あげていた月輪の剣豪連、それッ! というより早く、算をみだして床の間の刀束へ殺到する。
その間に、天井裏の怪人、脚から腰と下半身をのぞかせて、いまにも、座敷の中央へ飛びおりんず気配!
うわさをすれば影とやら――泰軒先生の意外な登場。
与吉は?……と見れば、逃げ足の早いこと天下一品で、もう丸くなって段梯子《だんばしご》をころげ落ちていた。
秋穂左馬之介以下二名のとむらい合戦!
と思うから、このたびこそは討たずにはおかぬと、一刀流月輪の門下、軍之助、房之丞を、かしらに冷剣の刃ぶすま、ずらりと大広間に展開して、四方八方から一泰軒をめざし、進退去就《しんたいきょしゅう》いっせいに、ツツウと刻みあし! 迫ると見れば停止し、寂然《じゃくねん》たることさながら仲秋静夜の湖面。
夕まけて戸内の剣闘《けんとう》。
灯りが何よりの命とあって、泰軒の出現と同時に、気のきいた誰かが燭台を壁ぎわへ押しやって百目蝋燭《ひゃくめろうそく》をつけ連ねたので、まるで昼のようなあかるさだ。
そのなかに、刀影《とうえい》魚鱗《ぎょりん》のごとく微動していまだ鳴発しない。
まん中のひらきに突っ立った泰軒、やはり貧乏徳利を左手に右に左馬之介から奪った彼の一刀をぶらりとさげて、夢かうつつの半眼は例によって自源流水月の相……。
降ってわいたようなという形容はあるが、これはそれを文字どおりにいっていかさま降ってわいたつるぎの暴風雨――こうしてかれ泰軒が、突如助川いわし屋の天井から天降るまでに彼はいったいどこにひそみ、いかにして月輪組をつけて来たか?
あれほど意をくばってきたになお尾行されているとは気がつかなかった……という月輪一同の不審ももっともで、ちちぶの深山に鹿を追い、猿と遊んで育った郷士泰軒、彼は自案にはすぎなかったが、隠現《いんげん》機《とき》に応ずる一種忍びの怪術を心得ていたのだ。
だからこそ、江戸でも、警戒厳重な奉行忠相の屋敷へさえ、風のように昼夜をわかたず出入するくらい、まして、自然の利物に富む街道すじに、多人数の一団をつけるがごときは、泰軒にとっては朝めしまえ、お茶の子サイサイだったかも知れない。
かくして。
一行にすこし遅れ、混雑にまぎれていわし屋の屋根うらへ忍びあがったかれ、いまその酒宴の真っただなかをはかってずり落ちてきたのだ。
泰軒の足もと近く、朱に染まった手に虚空《こくう》を掴んで動かない屍骸ひとつ。それは、跳びおりざま横|薙《な》ぎに払った剣にかかって、もろくも深胴をやられた大屋右近のなきがらであった。
ビックリ敗亡、あわてふためいたのはいわし屋の泊り客に番頭、女中、ドキドキ光る奴が林のように抜き立ったのだから手はつけられず、とばっちりをくってはたまらぬと、一同、さきを争って往来へ飛び出したのはいいが、なかには、狼狽《ろうばい》の極、胴巻《どうまき》とまちがえて小猫を抱いたり、振分けのつもりで炭取りをさげたり……いや、なんのことはない、まるで火事場のさわぎ。
この騒乱に地震と思って、湯ぶねからいきなり駈け出して出た女が、ひとり手ぬぐいを腰にうろうろしているのを見かけると、抜け目のない奴で、じぶんの荷だけはいっさいがっさい身につけ、担ぎ出したつづみの与の公、すばやく走りよって合羽を着せる、履物をやる、ごった返すなかでそのいきとどくこと、どうも此奴《こいつ》、いつもながら女とみるとばかに親切なやつで。
果たして、良人《おっと》と覚《おぼ》しき女の同伴《つれ》が飛んで来て、礼よりさきにどしんと一つ与吉を突きとばしたのは駒形の兄哥《あにい》一代の失策、時にとってのとんだ茶番であった。
それはさておき――。
おもて二階の剣場では。
気頃《きごろ》を測っていた泰軒が、突《とっ》! 手にした一升徳利を振りとばすと右側の轟玄八、とっさに峰をかわしてハッシと割る!
これに端を発した刃風血雨。
ものをも言わず踏みこんだ泰軒、サアッと敵の輪陣《りんじん》を左右に分けておいて、さっそくのつばくろ返し手ぢかの小松数馬の胸板を刃先にかけてはねあげたから、いたえず数馬、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》ッ! と弓形にそる拍子に投げ出された長刀白線一過してグサッ! と畳に刺さった。
とたん! 側転《そくてん》した泰軒、藤堂粂三郎とパチッ! やいばを合わせる……と同秒に足をあげて発! そばの一人を蹴倒しながら、長伸、軍之助を襲うと見せかけ、隙に乗じて泰軒、ついに壁を背にして仁王立ち……再び、刀をさげ体を直《ちょく》に、なかばとじた眼もうっとりと、虚脱平静《きょだつへいせい》、半夜深淵をのぞむがごとき自源流水月の構剣……。
またしても入った不動の状。
せきれいの尾のようにヒクヒクと斬尖《きっさき》にはずみをくれながら、月輪の刀塀《とうへい》、満を持して放たない。
往来に立ってワイワイさわいでいる人々の眼にうつるのは。
二階の障子に烏のように乱舞する人影と人かげ……。
と! 見る間に。
その障子の一枚を踏み破って、のめるように縁の廊下に転び出た大兵《たいひょう》の士――月輪剣門にその人ありと知られた乾《いぬい》万兵衛だ。
が、おなじ瞬間に追撃《おいう》ちの一刀!
利剣長閃、障子のやぶれを伸びて来たかと思うと、たちまち鮮血|鋩子《ぼうし》に染み渡って、
「あッ痛《いた》……ウッ!」
と万兵衛、肩口をおさえて、がっくりそのままらんかんに二つ折れ、身をささえようとあせったが、肥満の万兵衛|何条《なんじょう》もってたまるべき! おのが重体《おもみ》を上身に受けて欄干ごし、ドドドッ! と二、三度|庇《ひさし》にもんどりうったと見るや、頭部から先にズデンドウ、うわアッと逃げ退く見物人の真ん中へ落ちて、
「ザ、残念! ざんねんだッ!」
と、ふた声三声くち走ったのが断末魔、地に長く寝て動かずなった。
二階の博刃《はくじん》は今し高潮に達したとみえ、ふみきる跫音《あしおと》、鉄《あらがね》とあらがねの相撃ちきしみあうひびき、人の心胆を寒からしめる殺気、刀気……ののしるこえ、物を投げる音! たちまち! ザアッと障子が鳴って黒い斑点が斜めに散りかかりつつみるみる染みひろがっていくのは、泰軒か月輪団か、さてはまた一人斬られたとみえる。
こわいもの見たさに刻々あつまってくる路前の人出も、あアレヨアレヨ! と叫びかわすばかりで、なんとも手のくだしようがなく、女達なぞは、一太刀浴びたらしい魂切《たまぎ》る声が流れるごとに、顔を覆い耳をふさいでいるが、それでも容易に立ち去ろうとはしない。
代官はじめ宿役の衆は、この剣戦を知らぬ顔にいったい何をしているか?――というに、広くもない村うち、彼らといえども識らぬではない。が、一段落ついて危険が去ってから出動するつもりで、いまは、ヤレ身仕度だ、それ人数だ、とできるだけ暇をとって出しぶっているのだ。
さてこそ、これほどの騒動にまだ御用提灯の見えぬわけ……。
そのうち。
群集のひとりが頓狂な声を張りあげて、
「火事だアッ!」
と叫んだ。
然り! 火事も火事、一瞬にして勢いさかんな烈火の舞いだ。
燭台《しょくだい》を蹴倒して、その灯が襖《ふすま》へでも燃え移ったことから始まったらしい。
蛇の舌のような火さきがメラメラと障子をなめ畳にひろがってまたたく間に屋根へ吹き抜け、天に冲《ちゅう》する光煙、地を這いまわるほのお、火の子は雨と飛び、明々の灼気《しゃっき》風と狂って本陣いわし屋の高楼いまは一大火災の船と化し終わった。
折あしく戌亥《いぬい》の強風。
家財をかついで右往左往逃げまどう町民、わめきかわす声、梁《はり》の焼け落ちる轟音、昼よりも明るい天地のあいだにしいんと静まり返って燃えさかる火! 火! 火!
その、烈火の影、黄色く躍る熱沙《ねっさ》の土をふんで、一団の人かげが刀を杖つき、負傷者《ておい》をかばって遠く宿を離れ、常州《じょうしゅう》をさしてひた走りに落ちのびていた。
今宵の乱闘にまたもや敗けをとりながら、こうしてそれでも歩は一歩と江戸へ近づく相馬中村の剣群月輪の勢、路傍の小祠《しょうし》にいこって頭数を検するに、こいつだけは無事息災《ぶじそくさい》、まっさきに逃げ出して来たつづみの与吉のほかに、二十八人のうちから死者大屋右近、乾万兵衛、小松数馬、里村狂蔵の四名を出し、残りの二十四名のなかにも重軽の金創《きんそう》火創を受けて歩行困難を訴えるもの三人……目的地《めあて》とする江戸との間にまだ四十里の山河をへだてているにすでにこの減勢とは、統帥《とうすい》軍之助の胸中、早くもうたたうらさびしいものがひろがるのだった。
はるかに小手をかざせば助川の空はいちめんの火雲、近くの邑々《むらむら》で打ち鳴らす半鐘の音が風に乗って聞こえていた――。
あの焦土の中心にあっては、いかな泰軒先生もついに一握の灰と化したろう……という想定はもってのほか!
ちょうど月輪の連中が途上に休んでいるころおい、不死身《ふじみ》の泰軒は、燃え狂ういわし屋の屋内を火の粉の一つのように駈けまわって、
「あ! ここにも一つ死んでおるぞ! これで三人、いや、下の道に落ちたのがひとり、合計今夜は四人の収穫か。ワッはっはっは!」
と、眉毛に火のつくなかで自若たる泰軒、ふところをさぐって取り出したのは殺生道中血筆帳の一冊、禿筆《ちびふで》の先を小松数馬の斬り口へ塗って血をつけ――。
すけ川の宿にて四人也。
トップリと書きこみながら、念仏とともに一句浮かんだ。
「春浅しほだ火に赤き鬼四つ……南無阿弥陀仏」
こうして二十四名に減って助川をあとにした月輪軍之助の一行はつづみの与吉をみち案内にたて、その夜のうちに石神までたどりつき、翌《あく》る一日を宿屋に休息してゆうゆう傷の手当、刀のていれに費やして夕ぐれとともに石神を発足、くらい山道を足にまかせて、眠っている中納言様の御城下|常陸《ひたち》の水戸を過ぎ、やがて利根川に注ぐ支流鞍川の渓谷へさしかかったころから……。
雨。
そして風。
一山、ごうッと喚き渡って、峡間《はざま》にこだま[#「こだま」に傍点]し樹々をゆすぶる深夜のあらしだ。
「こりゃたまらぬテ!」
「ひどい吹き降りになりおったな」
言いながら水を越す用意。
鞭声粛々《べんせいしゅくしゅく》夜河をわたる。
広い河原だ。
黒い石が累々《るいるい》と重なりつづいて古びた水苔で足がすべる。蛇籠《じゃかご》を洗う水音が陰々と濡れそぼれた夜の底をながれていた。
右は、遠く荒天にそびえる筑波《つくば》の山。
ひだり、阪東太郎《ばんどうたろう》の暗面を越えて、対岸小貝川一万石内田|主殿頭《たのものかみ》城下の町灯がチラチラと、さては香取、津の宮の家あかりまで点々として漁火《いさりび》のよう――。
それへ向かって、狭い浅い鞍川の河水が岩角をかんで白く咲きつつ押し流れているのだ。
うしみつ。
咆《ほ》える風に横ざまの雨滴《うてき》。
「よいか! 集まって渡れや!」
「浅いが、水が早いで、足をとられんようにナ、みんな気をつけて来《こ》!」
口ぐちに叫びあいつつ、残士二十四の月輪の援
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