かたき討ちの旅を思いたってこれからただちに出発するところ――とでもいいたい身ごしらえだ。
 大筋の小袖に繻子《しゅす》のめうちの打割袴《ぶっさきばかま》、白布を縒《よ》った帯に愛刀を横たえ、黒はばきわらんじに足を固め、六角形に太ながら作り鉄のすじ金をわたして、所どころに、疣《いぼ》をすえた木刀を杖にした扮装《いでたち》、古めかしくもものものしい限り…。
 それがまた。
 いま各務《かがみ》房之丞が、先生よりおはなしがござると言ったので、なみいる弟子ども、改まってハテなんだろう? と皆|固唾《かたず》をのんでいるにかかわらず、そこへ悠然と現れた軍之助は、かたく口を結んでちょっと場内を見渡したまま、ちょっと房之丞に眠くばせをすると、それなりつかつかと一方の壁へ向かって進んだが――たちまちピタリととまったのが、あの三略の言を墨痕に躍らせた額の真下。
 そこに、ずらりと横に門弟の名札が掛かっている。
 筆はじめは、いうまでもなく師範代各務房之丞。
 次席《じせき》 山東平七郎。
 第三に、轟《とどろき》玄八。
 四に、岡崎|兵衛《ひょうえ》。
 五、秋穂左馬之介。
 大屋右近。
 藤堂|粂《くめ》三郎。
 乾《いぬい》万兵衛。
 門脇修理《かどわきしゅり》。
 以下二百名あまり。
 めいめい一枚でも二まいでも札のあがるのを何よりの励《はげ》みに日常の稽古を怠らないのだが、今、この腕順の名ふだの下に立った剣師軍之助。
 やにわに腕をさしのばしたと見るや、一同があっけに取られているうちにパタパタと初めから順繰《じゅんぐ》り……名札を裏返しに掛けなおして、約七分の一の小松数馬《こまつかずま》のところで手をとめた。
 二百の名札のうち、はじめのほうはうらの木肌を黄白く見せている。
 その、裏がえしにされた札の数を読むと、各務房之丞から小松数馬までちょうど三十――。
 破門でもされるのでなければ、道場の名札を裏返しに掛けられるおぼえはない!
 と、高弟の三十名をはじめ満場の剣客が鳴りをしずめていると。
 軍之助、突如わめくようにいい渡した。
「これらの者三十人。今日かぎり破門を申しつける!」
 意外のことばに騒然とざわめきたった頭のうえに、より意表外の軍之助の声が、もう一度りんとしてひびいたのだった。
「いや! 待て、待て! わしもみずからを破門するのじゃ!」

 卯《う》の刻。
 あけ六つの太鼓が陽に流れて、ドゥン! ドーン! と中村城の樹間に反響《こだま》しているとき。
 異様な風体の武士たちが三々|伍々《ごご》のがれるがごとく人目をはばかって町を離れ、西南一の宿の加島をさして、霜にしめった道をいそいでいた。
 そろいもそろって筋骨たくましい青壮《せいそう》の侍のみ。
 それが、一同|対《つい》の鼠いろの木綿袷《もめんあわせ》に浅黄の袴、足半《あしなか》という古式の脚絆《きゃはん》をはいているところ、今や出師《すいし》の鹿島立ちとも見るべき仰々《ぎょうぎょう》しさ。
 胆をつぶしたのは沿路の百姓、早出の旅の衆で、
「うわアい! 新田《しんでん》の次郎作どんや、ちょっくら突ん出て見なせえや! いくさかおっ始《ぱじ》まっただアよ」
「ヒャアッ! 相手は何国《どこ》だんべ?」
「あアに、この隣藩の泉、本多越中《ほんだえっちゅう》様だとよウ!」
 などと、なかには物識り顔をするものもあってたいへんなさわぎ……月輪門下の剣団《けんだん》、進軍の先発隊と見られてしまった。それほどの装《よそお》い、決死の覚悟、生きて再び故山の土を踏まざる意気ごみである。
 が、なんのために腕を扼《やく》して江戸へ押し出すのか?
 同門の剣友、隻眼隻腕の丹下左膳を救うべく!
 それはいいが、左膳が何にたずさわり、そしていかにして危殆《きたい》に迫っているのか? したがって自分らは左膳に与《くみ》してどんな筋に刃向かうのか、敵は何ものなのか、そもそも何がゆえに左膳は戦い、またじぶん達もそれに加勢して、話に聞いた江戸で、この殺刀の陣を敷かなければならないのか?――かんじんのこれらの点になると、大将株の月輪軍之助をはじめ、皆の者、いっさい一様に文字どおり闇黒雲《やみくも》なのだ。しかし!
 そんなことはどうでもよかった。花のお江戸へ繰りこんで、好きなだけ人が殺せると聞いただけでこの北の荒熊達《あらくまたち》は、もうこんなに悦び勇んでいるのだった。
 幸か不幸か太平の世に生まれ合わせて、いくら上達したところで道場の屋根の下に竹刀《しない》を揮うばかり……。
 まれに真剣を手にしても、斬るのは藁人形かせいぜい囚人《めしうど》の生《い》き胴《どう》が関の山。
 駒木根|颪《おろし》と岩を噛む大洋の怒濤とに育てあげられた少壮血気の士、いささか脾肉《ひにく》の嘆にくれていたところへ、生まれてはじめての華やかな舞台へ乗り出して、思うさま血しぶきをたてることができるのだから、誰もかれも、もう眼の色を変えてさわぎきっている。
 依頼によって動く殺人|請負《うけおい》の一団。
 刃怪丹下左膳を生んだ北国野放しのあらくれ男が、生き血に餓えるけもののように隊を組み肩をいからして、街道の土を蹴立てていくのだ。
 陰惨《いんさん》な灰色の天地から、都鳥なく吾妻《あずま》の空へ……。
 人あって遠く望めば、かれらの踏みゆくところに従い、一塊の砂ほこり白く立ち昇って、並木の松のあいだ赤禿《あかは》げた峠の坂みちに、差し反《そ》らす大刀のこじりが点閃《てんせん》として陽に光っていたことであろう。
 こうして。
 破門された各務房之丞、山東平七郎、轟玄八以下三十名の剣星と、自らを破門してそれを率いる師軍之助と、月輪一刀流中そうそうの容列、〆《し》めて三十一士であった。
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相馬中村は小さくなって通れ
鬼の在所じゃ月の輪の
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 ……無心な童児《わらべ》の唄ごえにも、会心の笑みをかわす剣気の群れ――東道役は言わずと知れた駒形の兄いつづみの与吉だが、与の公、このところ脅かされつづけで、かわいそうにいささかしょげてだんまりの体《てい》だ。
 第一、言葉がよくわからない。
「こンれ! 汝《にし》ア、江戸もんけ? 江《え》ン戸《ど》は広かべアなあ」
「はい。まことにその、結構なお天気さまで、ヘヘヘヘ」
「江戸さ着《ち》たらば、まンず女子《おなご》を抱かせろ。こンら!」
「どうも、なんともはや、相すみませんでございます」
「わっハッハッハ!」
 とんちんかん、おおよそかくのごとく、口をきくたびに意思の疎通《そつう》を欠く恐れがあるし、江戸では見かけたこともない厳《いか》つい浅黄うらばかりがワイワイくっついているので、小突かれた日にぁ生命があぶない。さわらぬ神にたたりなしと、与吉は苦しいのを我慢して無言のまま、先に立って今度は水戸街道を加島、原町、小高、鷹野、中津、久満川、富岡……。
 ここから木戸まで二里の上《のぼ》りにかかる。

 はじめ、お下館《しもやかた》へさげられてゆっくり休んでいた与吉を、朝早く宿直《とのい》の侍が揺り起こしたのだった――。
 援軍の仕度ができたから町外れの道場へ……といわれて、案内につれ、月輪方へ出向いてみると。
 だだっ広い板敷に三十人の破門連だけが車座に居残って、剣主軍之助から江戸入りを命ぜられている最中。
 いかさま東下《あずまくだ》りとしかいいようのない、仕度も仕度、たいへんな大仕度に、つづみの与の公、まずたましいを消さなければならなかった。
 わけも知らないのに、軍《いくさ》にでも出るような騒動――にわかの発足とあって、わらじを合わす者、まだ一寸も江戸へ近づかないうちから、刀を引っこ抜いてエイッ! ヤッ! と振り試みるもの、上を下へとごった返しているから、これを見た与吉が、ひそかに考えたことには、
「これほどじゃあるめえと思ったが、強そうには強そうだけれど、いやはやどうも、ひでえ田舎ッぺばかりじゃアねえか。ちょッ! あの服装はなんでえ! 覲番侍《きんばんもの》が吉原の昼火事に駈けつけるんじゃアあるめえし、大概《てえげえ》にしゃアがれッ!……といいてえところだが、待てよ! これだけの薪雑棒《まきざっぽう》に取り囲まれていけあ、たとえあの乞食坊主がいつどこで飛び出したところで、帰途の旅は安穏《あんのん》しごくというものだ――身拵《みごしら》えは江戸へはいる前にでもよッく話してなおしてもらおう。それまではこの田舎者の道あんない。まあ、何も話の種だ」
 とあきらめて、一同とともに打ちつれだって出て来たのだが、性来|粋《いき》がっている江戸ッ子の与の公、仮装行列のお供先を承っているようで、日光のかくかくたる街道すじを練ってゆくとなんとも気のひけることおびただしい。
 いまでさえこうだから、江戸に近づくにつれてその気恥ずかしさは思いやられる。どっちへ転んでも情けねえ役目をおおせつかったものだ! と、つづみの与吉、口のなかで不平たらたら……大きな肩に挟まれて木戸の宿場の登りぐち、虫の知らせか、進まぬ足を踏みしめて一歩一歩と――。
 かえりは、道をかえて水戸街道。
 常陸《ひたち》の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿《にいじゅく》へ出ようというのだ。
 奥州本街道とはすっかり方角が違うから、二本松に残して来た蒲生泰軒に出会する心配はまずあるまい。また仮りに行き会ったところで、こんどはこっちのもの、与吉はすこしも驚かない。
 富岡より木戸。
 この間、二里の小石坂。
 いい眺望《ながめ》である。
 山に沿ってうねりくねってゆく往還《みち》、片側は苗木を植えた陽だまりの丘で、かた方は切りそいだように断崖絶壁《だんがいぜっぺき》。
 まっ黒な峡《はざま》にそそり立つ杉の大木のてっぺんが、ちょうど脚下にとどいている。
 その底にそうそうと谷をたどる小流れの音。
 いく手に不動山の天害が屏風のごとくにふさぎ、はるかに瞳をめぐらせば、三箱の崎。舟尾《ふなお》の浜さては平潟に打ち寄せる浪がしらまで、白砂青松《はくさせいしょう》ことごとく指呼《しこ》のうち――。
 野火のけむりであろう、遠く白いものが烟々《えんえん》として蒼涯《そうがい》を区切っている。
「絶景! 絶景!」
 というべきところを、月輪の剣士一同、あゆみをとめて、ジュッケイ! ジュッケイ!
 と口ぐちにどなりあっている。
「町人! ここサ来《こ》! あの白っこい物アなんだ?」
「エエ……白っこい物と、はて、なんでございましょう――ア! あれは関田へおりる道じゃアございませんか」
「ほうか」
「コンラ町人、江ン戸にはこんな高い所あッか?」
「エヘヘ、まずございますまいな」
「ほうだろう……うおうい!」
 先の者がしんがりを呼ぶと、
「なんだア――ア?」
 と急ぎのぼってくる。
「中村のお城が見えるぞウイ」
「ほんなら、みんな並んで最後のお別れに拝むこッた。拝むこった」
 というので、なるほど、かすかに雲煙《うんえん》をついて見える相馬の城へ向かって、しばし別離のあいさつ……。黙祷《もくとう》よろしくあってまたあるきだすと、
「なあに、ここをかわせばもうじき広野の村へ下りでございます」
 なんかと与吉、この道は始めてのくせに例のとおり知ったかぶりをして、出張《でば》った山鼻の小径を曲がる――が早いか、血相をかえたつづみの与の公、ギオッ!
 とふしぎな叫声《さけび》をあげたが、駆けよった先頭の連中も、一眼見るより、これはッ! とばかりに立ちすくんだのだった。
 白い乾いた路上の土に、大の字なりふんぞりかえっている異形《いぎょう》の人物! パッサリと道土《つち》をなでる乱髪の下から、貧乏徳利の枕をのぞかせて……。
 思いきや! 泰軒蒲生先生の出現!
 顔いろを変えた与吉が、おののく手で各務房之丞の肱《ひじ》をつかみ、何ごとか二、三声ささやくと、ウムそうかと眼を見はった房之丞、おおきくうなずきながら首領月輪軍之助の耳へ取り次ぐ。
 と、
 軍之助の右手《めて》が高くあがって、
「なんじゃい、こいつ!」

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