なるだけで、今まで岩のように黙りこくっていたが。
 情が迫ると咽喉《のど》につかえて言葉の出ない大膳亮は、この時ようよう与吉のもたらした驚愕《きょうがく》と不安から脱しきれたものか、血走った眼を急にグリグリさせて乗るようにきき返した。
「ソ、それで、タ、丹下は、助剣《じょけん》の人数がほしいと言うのだな?」
「へえ。腕っこきのところを束《たば》でお願い申したいんで」
「キキキ貴様が、あ……案内して江戸へ戻るというのか」
「はい。さようで」
「うう――いつ、いつ、たつ?」
「へ、そりゃアもう明朝早くにでも発足いたします。丹下様がお待ちですし、それにこの際一刻を争いますから……」
「ウム!」と強くうなずいた大膳亮、同時に鋭い眼光を左右へくばって、
「こ、これ! たたたッ誰《た》そある!」
 相馬藩中村の城下はずれに、月輪一刀流の鋭風をもって近国の剣界に君臨している月輪軍之助の道場へ、深夜、城主の定紋をおいた提灯が矢のように飛んだ。
 軍之助へ、お城から急のお召し。
 何ごとであろう?……と、とるものもとりあえず衣服をあらためた剣精軍之助は、迎えの駕籠に揺られてただちに登城をする。
 そして、さっそく御寝の間へ通されてみると。
 国主大膳亮はこの夜更けにねもやらず、夜着をはねて黙然《もくねん》と端座したまま瞑想にふけっているようす、つづみの与吉はすでに、ねんごろに下部屋へさげられて休養したあとだった……。
 その夜、大膳亮は月輪軍之助にいかなるところまで打ち明け、しかして何を下命したか。
 偏執果断の大主大膳亮、吃々《とつとつ》としてこういっただけである。
「ヒ、人殺しの好きな者を、さ、さ、三十人ほどつれて江戸へくだってはくれぬかの? 仔細はいけばわかる。ア、あの、タッ、たたたッ丹下、舟下左膳の助太刀《すけだち》じゃ。余から頼む、おもてだって城内のものをやられん筋じゃ。で、ココ、ここは、ど、どうしても軍之助、ソ、そちの出幕《でまく》じゃ。シ、真剣の場を踏んだ、ク、クッ屈強な奴ばらをそちの眼で選んでナ、迎えが来ておるで、その者とともに三十名、夜あけを待って早々江戸へ向かってもらいたいのじゃ。よいか[#「もらいたいのじゃ。よいか」は底本では「もらいたいのじゃ。 よいか」]、しかと承引《しょういん》したな」
「殺剣《さつけん》衆にすぐれし者のみを三十名。はア。心得ましてござりまする、何かは存じませねど、かの丹下殿とはわたくしも別懇《べっこん》のあいだがら……殿のおことばがなくとも、必要とあらばいつにても助勢を繰り出すべきところ――しかも、お眼にとまってわたくしどもへ御芳声《ごほうせい》をいただき、軍之助一門、身にあまる栄誉に存じまする」
「うむ。デ、では、ヒ、ひきとって早く手配をいたすがよい」
「ははッ! わたくしはもとより門弟中よりも荒剣の者をすぐりまして、かならず御意に添い奉る考え、殿、御休神めされますよう……」
「ウム、たたたたッたのもしきその一言、タ、大膳亮、チ、近ごろ満足に思うぞ」
 ――いかに刀剣に対して眼のない溺愛《できあい》の大膳亮とはいえ、もし彼が、この北境|僻邑《へきゆう》にすら今その名を轟かせている江戸南町奉行の大岡越前が、敵方蒲生泰軒との親交から坤竜丸の側にそれとなく庇護《ひご》と便宜をあたえていると知ったなら、大膳亮といえどもその及ばざるを覚り、後難を恐れて、ここらでさっぱりと己《おの》が迷妄《めいもう》を断ちきり、悶々《もんもん》のうちにも忘れようとしたことであろうが、このつるぎのふたつ巴《どもえ》に関連して、大岡のおの字も思いよらない大膳亮としては、すでに大の乾雲を手にして、いまはただの小の坤竜にいき悩んでいるのみと聞いては、二剣相ひくと言われているだけに、いま手をひいて諦めることは、かれの集癖の一徹念がどうしても許さなかった。
 生命がけでほしいものへ今にも手が届きそうで、そこへ思わぬじゃまがはいったすがた……。
 阻《はば》まれれば阻まれるほど燃えたつのが男女恋情のつねならば、夜泣きの刀にひた向く相馬大膳亮のこころは、ちょうどそれだったといわねばなるまい。
 世の常心《じょうしん》をもって測ることのできない、それは羅刹《らせつ》そのものの凝慾地獄《ぎょうよくじごく》であった。
 かくまでも刃にからんでトロトロとゆらめき昇る業炎《ごうえん》……燭台の灯が微かになびくと、大膳亮は、大熱を病む人のごとくにうなされるのだった。
「おお! サさ左膳か――デ、でかしたぞ! ソその乾雲を離すな! 離すな! 今にナ、ググググ軍之助が援軍を率いて参るから、そち、彼とともに統率《とうそつ》して、キキキ斬って斬って、斬りまくれ! なあに、かまわぬ! カカカッ構わぬ……ううむ!――なんと? か、か、火事|装束《しょうぞく》! おのれッ何やつ? トトト脱《と》れ覆面《ふくめん》を? ウヌ! 覆面を剥《は》がぬかッ! ツウッ……!」
 そして。
 ともし灯《び》低く、白《しら》みわたる部屋にこんこんと再び眠りに沈んだ大膳亮――畢竟《ひっきょう》これはうつし世の夢魔《むま》、生きながらに化した剣魅物愛《けんみぶつあい》の鬼であった。
 明けゆく夜。
 城外いずくにか一番|鶏《どり》の声。
 やがて、お堀ばたの老松に朝日の影が踊ろうというころおい。
 中村の町の尽《つ》きるところ、月輪一刀流|月輪軍之助《つきのわぐんのすけ》の道場では、江戸へつかわすふしぎな人選の儀が行なわれているのだった。
 月輪一刀流……とは。
 天正|文禄《ぶんろく》の世に。
 下総《しもうさ》香取郡飯篠村の人、山城守家直《やましろのかみいえなお》入道長威斎、剣法中興の祖として天心正伝|神道流《しんとうりゅう》と号していたが、この家直の弟子に諸岡《もろおか》一|羽《う》という上手《じょうず》あり、常陸《ひたち》えど崎に住んで悪疾を病み、根岸|兎角《とかく》、岩間小熊、土子泥之助なる三人の高弟が看病をしているうちに、根岸兎角はみとりに倦《あ》き、悪疾《あくしつ》の師一羽を捨て武州に出で芸師となり、自派を称して微塵《みじん》流とあらため世に行われた。
 ところが。
 あとに残った小熊と泥之助は、病師の介抱を怠らず、一羽が死んでのち、兎角《とかく》のふるまいをもとより快からず思って、両人力をあわせ一勝負して亡師の鬱憤《うっぷん》をはらそうとはかり、ついに北条家の検使を受け、江戸両国橋で小熊と兎角立ち会い、小熊、根岸兎角を橋上から川へ押しおとして宿志をとげた。
 根岸兎角は、師の諸岡一羽のもとを逐電《ちくでん》して、はじめ相州小田原に出たのだが、この兎角、伝うるところによれば、丈《たけ》高く髪は山伏のごとく、眼に角《かど》あり、そのものすごいこと氷刃のよう――つねに魔法をつかい、人呼んで天狗の変化《へんげ》といい、夜の臥所《ふしど》を見た者はなかった。
 愛宕山《あたごやま》の太郎坊《たろうぼう》、夜な夜なわがもとに忍んで極意秘術を授《さず》けるといい広め、そこで名づけたのがこの微塵流《みじんりゅう》。
 その後江戸に出て大名、小名に弟子多かったが、三年たって諸岡一羽が死ぬと、相弟子の岩間小熊と土子泥之助、兎角を討ちとるために籤《くじ》を引き、小熊が当たって江戸へのぼる。泥之助は国にとどまり、時日を移さず鹿島明神に詣でて願書一札を献納した。
 敬白願書奉納鹿島大明神|宝前《ほうぜん》、右心ざしのおもむきは、それがし土子泥之助兵法の師諸岡一羽|亡霊《ぼうれい》は敵討ちの弟子あり、うんぬん……千に一つ負くるにおいては、生きて当社に帰参し、神前にて腹十文字にきり、はらわたをくり出し、悪血をもって神柱《かんばしら》をことごとく朱にそめ、悪霊になりて未来|永劫《えいごう》、当社の庭を草野となし、野干《やかん》の栖《ねぐら》となすべし――うんぬん。
 文禄《ぶんろく》二年|癸巳《みずのとみ》 九月吉日 土子泥之助……というまことに不気味な強文言《こわもんごん》。
 これがきいて神明おそれをなし霊験ことのほかあらたかだったわけでもあるまいが、両国橋の果し合いでは確かに岩間小熊が勝ったのだけれど、その仕合いの模様にいたっては、群書《ぐんしょ》おのおの千差万別、いま真相をつまびらかにする由もない。しかし、これが当時評判の大事件だったことは疑いなく、奉行のうちに加わって橋詰から目睹《もくと》していた岩沢|右兵衛介《うひょうえのすけ》という仁《ひと》の言に、わが近くに高山|豊後守《ぶんごのかみ》なる老士ありしが、この両人を見て、いまだ勝負なき以前、すわ兎角まけたりと二声申されしを不審におもい、のちその言葉をたずねしに、豊後守いいけるは、小熊右に木刀を持ち左手にて頭をなで上げ、いかに兎角と言葉をかくる。兎角、さればと言いて頬ひげをなでたり。これにて高下《こうげ》の印《しるし》あらわれたり。そのうえ兎角お城に向かいて剣をふる。いかで勝つことを得ん。これ運命の告《つ》ぐる前表也と――。
 とにかく。
 その時、小熊は兎角のために橋の欄干へ押しつけられ、すでに危うく見えたのだったが、すもう巧者の小熊いかがしけん。兎角の片足を取って橋の下へ投げおとし、同時に脇差を抜いて、八幡これ見よと高声に呼ばわりながら欄干を切った……この太刀跡、かの明暦三年|丁酉《ひのととり》正月の大火に両国橋が焼けおちるまで、たしかに残っていたそうである。
 さて。
 兎角《とかく》、悪いやつは滅びる――などと洒落《しゃれ》てみたところで、そんなら、この根岸兎角の微塵流剣法、これで見事に、それこそ微塵となって大川に流れ果てたかというにそうではない。
 撃剣叢談《げきけんそうだん》巻の二、微塵流のくだりに。
 武芸小伝に微塵流|往々《おうおう》存するよし見えたれば、兎角が末流近世までも行なわれしがごとし。いまも、辺鄙《へんぴ》にはなお残れるにや、江戸にはこの流名きこゆることなし……とあるとおりに、月輪軍之助の祖月輪|将監《しょうげん》は、根岸兎角ひらくところの微塵流から出てのちに、北陬《ほくすう》にうつり住んで別に自流を創《そう》し、一気殺到をもって月輪一刀流と誇号したのだった。
 当代の道場主軍之助は、以前から丹下左膳と並称された月輪門下の竜虎。
 左膳に破流別動の兆あるに反し、軍之助は一刀流正派のながれを守るものとして先師の鑑識《めがね》にかない入婿して月輪を名乗っているのだが、剛柔兼備《ごうじゅうけんび》、よく微塵流の長を伝えて、年配とともに磐石のごとくいま北国を圧する一大剣士であった。

 変動無常
 因敵転化《てきによっててんかす》
 という刀家相伝《とうけそうでん》三略のことば。
 それが初代将監先生大書の額となってあがっている月輪の道場である。
 夜のひき明け……。
 もはや寒稽古は終わったけれど、未明の冷気の熱汗をほとばせる爽快《そうかい》味はえもいわれず、誘いあわせて、霜ばしらを踏んでくる城下の若侍たちひきもきらず、およそ五十畳も敷けるかと思われる大板の間が、見る見る人をもって埋まってゆく。
 相馬《そうま》は、武骨をもって聞こえる北浜《ほくひん》の巨藩である。
 しかも藩主大膳亮が刀剣を狂愛するくらいだから、よしや雪月花を解する風流にはとぼしいといえども気風として烈々|尚武《しょうぶ》の町であった。
 相馬|甚句《じんく》にいう。男寝て待つ果報者――それは武士達のあいだには通用しない俗言とみえて、こんなに朝早くから陸続と道場の門をくぐっているのだ。
 竹刀のひびき。
 気合いの声。
 板を踏み鳴らす音。
 それがしばらく続いて、いつもよりすこし早めにとまったかと思うと、
「おのおの方、ただいま先生よりお話がござる。粛静《しゅくせい》に御着座あるよう……」
 という師範代|各務房之丞《かがみふさのじょう》の胴間声《どうまごえ》に、一同、ガヤガヤと肩を押し並べてすわったが、おもむろに正面の杉戸が開いて出て来た月輪軍之助を見ると、満堂思わず、アッ! と愕《おどろ》きの声をあげた。
 その姿である。急に
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