らッと躍り出て六尺棒を又の字に組み、橋の中央にピタリとこれをおさえてしまう。安房《あわ》は貝淵《かいぶち》、林駿河守の案技になり、貝淵流《かいぶちりゅう》の棒使い海蘊絡《もくずがら》めの一手――。
「何奴《なにやつ》ッ!……無礼者ッ! さがれッ!」
 鋭い声ながら、夜ふけのあたりをはばかって低いのがかえってものすごくひびいた。
「へ!」
 と答えるともなく、押し戻される拍子にベタリとその場へ膝をついた件《くだん》の男……つづみの与吉はだらしなく肩息のありさまだった。
 むりもない。
 ゆうべ夜中に二本松で泰軒先生に置いてけぼりを食わせてから、五里の山道をひた走りに明け方には福島に出て、そこから東へ切れて舟地《ふなち》の町で三春川を渡り、九十九折《つづらおり》の相馬街道を無我夢中のうちに四里半、手土《てつち》一万石立花出雲守の城下を過ぎ、ふたたび夜の山坂を五里半……いのちがけに走りとおして、今ようようこの相馬中村へ到着したところだから、さすがの与の公、洗濯物をしぼって叩きつけたようにぐったりとなっているわけ。
 一昼夜、飲まず食わずに険路十五里――それというのも、左膳の用命を大事にと思うよりは与吉としては正直、泰軒先生がこわいからで――。
 ところが、何度ふり返っても先生は影も形も見えなかった。
 しかし柳屋の一件で見てもわかるとおり、どこをどう先まわりして、いつひょっこり眼前へ現れないものでもないと、与吉は、問屋場のお休み処を横目ににらんで、ひたすら痩脛《やせずね》をカッとばして来たのだが、やはり泰軒は与吉の脱出を知らずに、柳屋の裏座敷で大いびきをかいていたものとみえ、とうとう与吉がこの中村に着くまで、泰軒のにおいもしなかったのだった。
 りっぱにあの羽がい締《じ》めをのがれ得た。
 ああ見えてもこのつづみにかかっちゃア甘えもんだと、与吉はいっそう足を早めて、見えぬ泰軒に追われるように絶えず小走りをつづけて来たのだ。
 で、今。
 はね橋の真ん中にガッタリ手をついた与吉。
「水……おなさけ、水を……! え、江戸の、タ、丹下左膳様からお使いに参ったものでござります。ど、どうぞ水をいっぱい……」
 と聞いて、びっくり顔を見合わせたのは番士達。
 仔細は知らぬが、出奔した丹下左膳が立ち帰って参ったなら門切れであろうと苦しゅうない、ただちに手厚く番所へ招じ入れて上申するようにと、ふだん組頭から厳命されているその丹下の急使というので[#「というので」は底本では「とういので」]、一同、与吉を城内へ許しておいて、すぐひとりが、何人もの口を通して宿直《とのい》の重役へ伝達する。
 重役から茶坊主、坊主からお側《そば》小姓と順をふんで、それから国主大膳亮の耳へ――。
 早速これへ!
 となって、城内に時ならぬ人の動き。
 とりあえず焚《た》き火をあたえられて暖をとっていたつづみの与吉、旅仕度のまんまでお呼び出しに預かり、火焔をうつして樹影あざやかなお庭を、案内の近侍について縫ってゆくと、繁みあり、池水あり、数奇結構をこらしてさながら禁裡仙洞《きんりせんどう》へ迷いこんだおもむき。
 夢のような夜景色といおうか……ぼんやりした与の公が、キョトキョトあちこち見まわしながら、とある植えこみから急に広い芝生へ出たときだった。
 さきに立つ若侍がしいッ! と声をかけたので、あわてて頭をさげた与吉、気がついてみると、遙か向うのお縁側にくっきりと明るい灯がうかんで、二、三の人影が豆のように小さく並んで見える。
 まだよほど遠いが、それでもここから摺《す》り足に移った。

 骨を刺す寒夜ににわかの謁見《えっけん》だった。
 縁ちかく敷居ぎわに、厚い夜の物を高々とのべさせ、顎を枕に支えて腹這《はらば》いになっている国主大膳亮は、うち見たところ五十前後の、でっぷり肥った癇癖《かんぺき》らしい中老人である。
 広い頭部、大きな眼……絶えず口尻をヒクヒクさせて、ものをいうたびに顔ぜんたいが横にひきつる。
 大きな茶筅髪《ちゃせんがみ》を緋《ひ》の糸で巻いたところなど、さすがに有名な変物《へんぶつ》だけあって、白絹の寝巻の袖ぐちを指先へ巻いて、しきりに耳垢《みみあか》を擦りとってはふっと吹いている。
 が、眼は、射るように近づいて来る与吉に注がれていた。
 燭台の光が煌々《こうこう》とかがやき渡って、金泥《きんでい》の襖《ふすま》に何かしら古《いにしえ》の物語めいた百八つの影を躍らせているのだった。
 剣怪丹下左膳の主君、乾坤二刀の巴渦《ともえうず》を巻き起こしたそもそもの因たる蒐剣狂愛《しゅうけんきょうあい》の相馬|大膳亮《だいぜんのすけ》が、この深夜に、寝床の中からつづみの与吉に対面を許して、左膳の秘使を聞きとり、それに応じてさっそく対策を講じようとしているところ……。
 江戸へ出て以来|無音《むいん》の左膳から突如急使が到着したと聞いて何事? とすぐさま端近く褥《しとね》を移させたのだが、どうせ代人が手ぶらでくる以上、大した吉報でないのに相違ないと、こうして与吉を待つあいだも、癇癪《かんしゃく》もちの大膳亮、ひとりさかんにいらいらして続けざまに舌打ち――。
 まえはいちめんの広庭。
 遠くからこの寝間の光が小さく四角に浮き出で、灯のはいった箱船のように見えた時、与吉はいよいよお殿様へお眼通りだナと胸がドキンとしたが、なあにたかが田舎大名、恐れるこたアねえやな……こう空《から》元気をつけて、申しあぐべきことづけを口の中で繰り返しながら、飛石を避けて鞠躬如《きくきゅうじょ》、ソロリソロリと御前へ進んで、ここいらと思うと、はるか彼方《かなた》にぴたりと平伏しようとすると、
「チッ、近う! ち、近う、ま、参れッ!」
 と、どなりつけるようなお声がかり。
 大膳亮はいう。
「タタタタタタタッ……たッ、たたたッ丹下左膳カ、から、ッ、つ――ツ、使いに来たというのは、そ、そのほうかッ……」
「さ、さようでごぜえます」
 思わず釣りこまれてどもった与吉はッとして眼をあげたとたん、大柄な殿様の顔が、愛《う》いやつとでも言うようにニッコリ一笑したのを見た。
 こいつぁ江戸張りに生地《きじ》でぶつかってゆくに限る――与吉は早くも要領をつかんだ。
 同時に、大膳亮が四辺《あたり》を見まわして、
「モ、者ども、密談じゃ! 密談じゃ! 遠慮せい、遠慮!」
 やつぎ早に喚《わめ》きたてると、暗くて見えなかったが、左右の廊下にいながれていたお側用人、国家老をはじめ室内の小姓まで、音ひとつたてず消えるようにひきとって行く。
 与吉をうながして、縁の直下までつれていっておいて案内の若侍も倉皇《そうこう》と退出した。
 後には。
 相馬大膳亮とつづみの与の公、水入らずの差し向いである。大膳亮は蒲団から首だけ出して、与吉は、下の地面にへい突くばって。
 珍奇な会談は、まず大膳亮から口をきられた。
「こここ、これ、タッタッ丹下……は無事か」
「お初にお眼にかかりやす。エ、手前ことは江戸は浅草花川戸、じゃアなかった、その、駒形のつづみの与吉――ッてより皆さんが与の公与の公とおっしゃってかわいがってくださいまして……」
「だッ、黙れ、黙れ! ダダ、誰が貴様の名をきいた?」
「へい」
「タタタタ、丹下は無事かッと申すに」
「へえ。さればでござりまする。どうもお殿様の前でげすが、あの方ぐれえ御無事な人もちょいとございませんで、へい[#「ございませんで、へい」は底本では「ございませんで、 へい」]」
「ナ、何を言うのか。き、貴様の言語は余《よ》にはよく通《つう》ぜん」
「なにしろ、やっとうのほうがあのお腕前でございましょう? 江戸中の剣術使いが一時にかかったって丹下様には太刀打ちできねえという、いえ、こりゃアまあ、こちとら仲間の評判なんで……お殿様もお眼が高えや、なんてね、しょっちゅうお噂申しあげておりますでございますよ、お噂を、ヘヘヘヘ失礼ながら」
 何がどうしてなんとやら――自分でもいっさい夢中で、ただもうここを先途《せんど》とべらべらしゃべりたてている与吉を大膳亮は、いささかあきれてのぞきこみながら、
「キキ、貴様、気がふれたか」
 と言いかけたが、寒がりの大膳亮、夜風を襟元へうけて、すばらしく、大きな嚔《くしゃみ》を一つ――ハックシャン!
 これに驚いて与の公、きょとんとしている。
 そのうちにだんだん落ち着いてきた与吉が、ますます縁の真下へにじり寄って、丹下左膳からいいつかって来たことを、思い出し思い出し申しあげると!
 黙って聞いていた相馬大膳亮、大柄な顔が見るみるひき歪んで、カッと両眼を見ひらいたばかり、せきこんで来ると口がきけないらしくやたらに鼻の下をもぐもぐさせて床から乗り出して来た。
 その半面に、明りが奇怪にうつろう。
 ――関の孫六夜泣きのかたな……乾雲《けんうん》丸と坤竜《こんりゅう》丸。
 丹下左膳が、昨年あけぼのの里なる小野塚鉄斎、神変夢想流《しんぺんむそうりゅう》の道場を破って、巧みに大の乾雲丸を持ち出したことから、その後のいきさつ、覆面《ふくめん》火事装束の一団の出現、坤竜の諏訪栄三郎に蒲生泰軒という思わぬ助けがついていて、おまけに左膳が顎《あご》を預けている本所の旗本鈴川源十郎があんまり頼みにならないために諸事意のごとく運ばず、乾雲は依然として左膳の手にあるものの、いまだに二剣ところを別して風雲《ふううん》急《きゅう》を告げ、左膳は今どっちかというと、苦境におちいっているかたち……これらの件を細大《さいだい》洩らさず、順序もなしに与吉は、じぶんのことばでベラベラと弁じあげたのち、エヘン! とちょっとあらたまって、
「さてお殿様……そこで、丹下さまがこの与の公におっしゃるには。なア与の公、ここはいってえどうしたものだろう? 汝ならなんとする? とネ、こう御相談に預かりましたから、与の公もない智恵《ちえ》をしぼりあげて申し入れましたんで――そりゃア丹下様ッ、てあっしゃ言いましたよ。へえ、そりゃ丹下さま、かくかくかようになさいませ。お郷里《くに》もとのこちらへ援兵を願って……うん! 名案! それがいい! と、丹下さまアわかりが早えや。うん、それあいい。が、その使者には[#「使者には」は底本では「使者にわ」]誰が参る? ッてことになりやして、つづみの与吉がお役に立ちますならば願ってもない幸いとわたしがこう反《そ》っくり返りましてね、この胸をぽんと一つ叩きましたところが、おお! それでは与吉、貴様が行ってくれるか。なんの左膳さま、一度つづみがおひき受けしましたうえからは、たとえ火のなか水の中、よしやこの身は粉になろうともまアあんたは大船に乗った気で――おお、そんなら与吉頼んだよ。あいようがす……なアんてね、へえ、それでその、私が奥州街道を一|目散《もくさん》……アアくたびれた」
「…………」
「ところがお殿様、ここにふしぎともなんとも言いようのねえことにゃア、その泰軒という乞食先生がね、どうしてあっしの中村行きをかぎつけたものか、それを考えると、与吉もとんと勘考《かんこう》がつかねえんだが、ウヘエッ! ぶらりと小金井に来ていやしてねえ、それからズウッととんだお荷物のしょいづめでございましたよ、いえ、全く」
「――――」
「が、だ。御安心なせえ、お殿様、あっしも駒形の与吉でございます。この先の二本松の宿でね、きれいにまいてやりましたよ。その時もあなた、わたしがお風呂へ行ったとお思いくださいまし……するてえと驚きましたね、お殿様のめえだが裸体《はだか》の女が、ウヨウヨしてやがる、その真ん中に今の泰軒てえ乞食野郎が、すまアしてへえってるじゃあございませんか」
「…………」
「ま、与吉も骨折り甲斐がございました。へえ、こう申しちゃなんですが、左膳さまがおっしゃるには、礼のところは必ず見てやる、てんでネ、なあに、お礼なんか受ける筋合いでもなけりゃあ、またそれほどのことでもございませんで、ヘヘヘヘヘヘ大笑いでございましたよ」
「――――」
 与吉が舌に油をくれて何を言っても、大膳亮はう
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