、あいだに置かれた乾雲丸の刀装《とうそう》に光った。
 かくして、戦国の昔をしのぶ陣太刀作りが、普通の黒鞘の脇差と奇体な対をなして、この時から丹下左膳の腰間を飾ることとなった。
 この一伍一什《いちぶしじゅう》を立ち聞きしていた老婆おさよ、
「すると丹下様は中村から――」
 と知っても、名乗っても出ず、何事かひとり胸にたたんだきりだった。
 というのが、死んだおさよの夫|和田宗右衛門《わだそうえもん》というのは、世にあったころ、同じ相馬様に御賄頭《おんまかないがしら》を勤めた人だから、さよと左膳は、同郷同藩たがいに懐しがるべき間がらである。

   首尾《しゅび》の松《まつ》

 底に何かしら冷たいものを持っていても、小春日和《こはるびより》の陽ざしは道ゆく人の背をぬくめる。
 店屋つづきの紺暖簾《こんのれん》に陽炎《かげろう》がゆらいで、赤蜻蛉《あかとんぼ》でも迷い出そうな季節はずれの陽気。
 蔵前の大通りには、家々の前にほこりおさえの打ち水がにおって、瑠璃《るり》色に澄み渡った空高く、旅鳥のむれがゆるい輪を画いている。
 やでん帽子の歌舞伎役者について、近処の娘たちであろう、稽古帰りらしいのが二、三人笑いさざめいて来る。それがひとしきり通り過ぎたあとは、ちょっと往来がとだえて、日向《ひなた》の白犬が前肢《まえあし》をそろえて伸びをした。
 ずらりと並んでいる蔵宿の一つ、両口屋嘉右衛門の店さき、その用水桶のかげに、先刻からつづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉がぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と人待ち顔に立っている。
 打てばひびく、たたけば応ずるというので、鼓《つづみ》の名を取ったほど、駒形《こまがた》でも顔の売れた遊び人。色の浅黒い、ちょいとした男。
「ちッ! いいかげん待たせやがるぜ、殿様もあれで、銭金《ぜにかね》のことになるてえと存外気が長えなあ――できねえもんならできねえで、さっさ[#「さっさ」に傍点]と引き上げたらいいじゃあねえか。この家ばかりが当てじゃああるめえし。なんでえ! おもしろくもねえ!」
 両口屋の暗い土間をのぞいては、ひとり口の中でぶつくさ[#「ぶつくさ」に傍点]言っている。
 外光の明るさにひきかえ、土蔵作りの両口屋の家内には、紫いろの空気が冷たくおどんで、蔵の戸前をうしろに、広びろとした框《かまち》に金係りお米係りの番頭が、行儀よくズーッと居列《いなら》んでいるのだが、この札差《ふださ》しの番頭は、首代といっていい給金を取ったもので、無茶な旗本連を向うへまわして、斬られる覚悟で応対する。
 いまも現に、蔵前中の札差し泣かせ、本所法恩寺の鈴川源十郎が、自分で乗りこんで来て、三十両の前借をねだって、こうして梃子《てこ》でも動かずにいる。
 五百石のお旗本に三十両はなんでもないようだが、相手が危ないからおいそれとは出せない。
 取っ憑《つ》かれた番頭の兼七、すべったころんだど愚図《ぐず》っている。
 負けつづけて三十金の星を背負わされた源十郎にしてみれば、盆の上の借りだけあって、堅気の相対ずくよりも気苦労なのだろう。今日はどうあっても調達しなければ……と与吉を供に出かけて来たのだが、埓《らち》のあかないことおびただしい。できしだい、与吉を飛ばして、先々へ届けさせるつもりで戸外に待たしてあるので、源十郎も一段と真剣である。
「そりゃ今までの帳面《ちょうづら》が、どうもきれいごとにいかんというのは、俺が悪いと言えば、悪いさ。しかしなあ兼公《かねこう》、人間には見こみはずれということもあるでな。そこらのところを少し察してもらわにゃ困る」
「へい。それはもう充分にお察し申しておりますが、先ほどから申しますとおり、何分にも殿様のほうには、だいぶお貸越しに願っておりますんで、へい一度清算いたしまして、なんとかそこへ形をつけていただきませんことには……手前どもといたしましても、まことにはや――」
 源十郎のこめかみに、見る見る太いみみずが這ってくる。羽織をポンとたたき返すと、かれは腰ふかくかけなおして、
「しからば、何か。こうまで節《せつ》を屈して頼んでも、金は出せぬ、三十両用だてならぬと申すのだな?」
「一つこのたびだけは、手前どもにもむりをおゆるし願いたいんで」
「これだけ事をわけて申し入れてもか」
「相すみません」
 起き上がりざま、ピンと下緒《さげお》にしごきをくれた源十郎、
「ようし! もう頼まぬ。頼まなけれあ文句はあるまい。兼七、いい恥をかかせてくれたな」
 と歩きかけたが、すぐまた帰って来て、
「おい。もう一度考える暇《いとま》をつかわす。三十両だぞ。上に千も百もつかんのだ。ただの三十両、どうだ?」
 この時、番頭はプイと横を向いて、源十郎への面《つら》あてに、わざとらしい世辞笑いを顔いっぱいにみなぎらせながら、
「いらっしゃいまし――おや! これは鳥越《とりごえ》の若様、お珍しい……」
 釣られて源十郎が振り向くと、三座の絵看板からでも抜けて来たような美男の若侍が、ちょうど提《さ》げ刀をしてはいってくるところ。
 兼七の愛嬌には眼でこたえて、そのまま二、三人むこうの番頭へ声をかけた。
「やあ、彦兵衛《ひこべえ》。今日は用人の代理に参った」
「それはそれは、どうも恐れ入ります。さ、さ、おかけなすって……これ、清吉《せいきち》、由松《よしまつ》、お座蒲団を持ちな。それからお茶を――」
 源十郎、これで気がついてみると、自分にはお茶も座蒲団も出ていない。

 用人の代理といって札差し両口屋嘉右衛門の店へ来た諏訪栄三郎のようすを、それ[#「それ」に傍点]と知らずに、じっとこちらから見守っていた源十郎は、ふと[#「ふと」に傍点]眼が栄三郎が袖で隠すようにしている脇差の鐺《こじり》へおちると、思わずはっ[#「はっ」に傍点]として眼をこすった。
 平糸まき陣太刀づくり……ではないか!
 とすれば?
 もちろん、それは左膳の話に聞いた坤竜《こんりゅう》丸、すなわち夜泣きの刀の片割れに相違あるまい。
 刀が刀をひいて、早くも、左膳につながる自分の眼に触れたのか――こう思うと、源十郎もさすがにうそ[#「うそ」に傍点]寒く感じて、しばし、
「どうすればよいか?」
 と、とっさの途《みち》に迷ったが、すぐに、
「なに、左膳は左膳、俺は俺だ。もう少しこの青二才を見きわめて、その上で左膳へしらせるなりなんなりしても遅くはあるまい。それに、こんな男女郎《おとこじょろう》の一|束《そく》や二束、あえて左膳をわずらわさなくとも、おれ一人で、いや与吉ひとりで片づけてしまう」
 ひとり胸に答えて、なおも、さりげなく眼を離さずにいると、そんなこととは知らないから、栄三郎はさっそく要談にとりかかる。
「用人の白木重兵衛《しらきじゅうべえ》が参るべきところであるが、生憎《あいにく》いろいろと用事が多いので、きょうは拙者が用人代りに来たのだ。実は、鳥越の屋敷の屋根が痛んだから瓦師《かわらし》を呼んだところが、総葺替《そうふきか》えにしなければならないと言うので、かなり手数がかかる。兄も、ここちょっと手もとがたらなくて、いささか困却《こんきゃく》しておるのだが、三期の玉落ちで、元利《がんり》引き去って苦しくないから、どうだろう、五十両ばかり用だってもらえまいか」
 番頭は二つ返事だ。
 いったい札差しは、札差料《ふださしりょう》などと言ってもいくらも取れるわけのものではなく、旗本御家人に金を貸して、利分を見なければ立っていかないのだが、栄三郎の兄大久保藤次郎は、若いが嗜《たしな》みのいい人で、かつて蔵宿から三文も借りたことがないから、さっぱり札差しのもうからないお屋敷である。
 ところへ、五十両借りたいという申込み。
 三百俵の高で五十両はおやすい御用だ。
「恐れ入りますが、御印形《ごいんぎょう》を?」
「うむ、兄の印を持参いたした」
 なるほど、藤次郎の実印に相違ないから、番頭の彦兵衛、チロチロチロとそこへ五十両の耳をそろえて、
「へい。一応おしらべの上お納めを願います」
 ここまで見た源十郎は、ああ、自分は三十両の金につまっておるのに、あいつら、この若造へはかえって頼むようにして五十両貸しつけようとしている……刀も刀だが、五十両はどこから来ても五十両だ――と、何を思いついたものか、栄三郎をしりめにかけて、ぶらり[#「ぶらり」に傍点]と、両口屋の店を立ち出でた。
「殿様」
 待ちくたびれていたつづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉が、源十郎の姿にとび出してきて、
「ずいぶん手間どったじゃあありませんか。おできになりましたかえ?」
 駈けよろうとするのを、
「シッ! 大きな声を出すな」
 と鋭く叱りつけて、源十郎はそのまま、蔵宿の向う側森田町の露地《ろじ》へずんずん[#「ずんずん」に傍点]はいり込む。
 変だな。と思いながら、与吉もついて露地にかくれると、立ちどまった源十郎、
「金はできなかった。が、今、貴様の働き一つで、ここに五十両ころがりこむかも知れぬ」
「わたしの働きで五十両? そいつあ豪気《ごうき》ですね。五十両まとまった、あのズシリと重いところは、久しく手にしませんが忘れられませんね。で、殿様、いってえなんですい、その仕事ってのは?」
「今、あそこの店から若い侍が出て来るから、貴様と俺と他人のように見せて、四、五間おくれてついてこい。俺が手を上げたら、駈け抜けて侍に声をかけるんだ。丁寧に言うんだぞ――ええ、手前は、ただいまお出なすった店の若い者でございますが、お渡し申した金子《きんす》に間違いがあるようですから、ちょいと拝見させていただきたい。なに、一眼見ればわかるというんだ。でな、先が金包みを出したら、かまわねえから引っさらって逃げてしまえ。あとは俺が引き受ける」
 与吉はにやにや[#「にやにや」に傍点]笑っている。
「古い手ですね。うまくいくでしょうか」
「そこが貴様の手腕《うで》ではないか」
「ヘヘヘ、ようがす。やってみましょう」
 うなずき合ったとたん
「来たぞ! あれだ」
 源十郎が与吉の袖を引く。
 見ると着流しに雪駄履《せったば》き、ちぐはぐ[#「ちぐはぐ」に傍点]の大小を落し差しにした諏訪栄三郎、すっきり[#「すっきり」に傍点]とした肩にさんさん[#「さんさん」に傍点]たる陽あしを浴びて大股に雷門のほうへと徒歩《ひろ》ってゆく。
 栄三郎が正覚寺《しょうがくじ》門前にさしかかった時だった。
 前後に人通りのないのを見すました源十郎が、ぱっと片手をあげるのを合図に、スタスタとそのそばを通り抜けて行ったつづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉。
「もし、旦那さま――」
 あわただしく追いつきながら、
「あの、もしお武家さま、ちょいとお待ちを願います」
 と声をかけて、律儀《りちぎ》そうに腰をかがめた。
「…………?」
 栄三郎が、黙って振り向くと、前垂れ姿のお店者《たなもの》らしい男が、すぐ眼の下で米|搗《つ》きばった[#「ばった」に傍点]のようにおじぎをしている。
「はて――見知らぬ人のようだが、拙者に何か御用かな?」
 栄三郎は立ちどまった。
「はい。道ばたでお呼びたて申しまして、まことに相すみませんでございます――」
「うむ。ま、して、その用というのは?」
「へえ、あの……」
 と口ごもったつづみ[#「つづみ」に傍点]の与吉、両手をもみあわせたり首筋をなでたり、あくまでも下手に出ているところ、どうしても、これが一つ間違えばどこでも裾をまくってたんか[#「たんか」に傍点]をきる駒形名うての兄哥《あにい》とは思えないから、栄三郎もつい気を許して、
「何事か知らぬが、話があらば聞くとしよう」
 こう自ら先に、楼門《ろうもん》の方へ二、三歩、陽あしと往来を避けて立った。
 そのとき、はじめて栄三郎の顔を正面に見た与吉は、相手の水ぎわだった男ぶりにちょっとまぶしそうにまごまご[#「まごまご」に傍点]したが、すぐに馬鹿丁寧な口調で、
「エエ手前は、ただいまお立ち寄りくだすった両口屋の者でございますがなんでございますかその、お持
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